第12話 ザック、エサル公に政略結婚を申しつけられる

 ♢♦♢ ――ザック――


 ザックことザカリアス卿は、憂うつな気分で荷物をまとめていた。王都内、南部領主家のタウンハウスの一室である。


 エサル公とは従兄弟にあたる名家の嫡子だが、外見に貴公子らしさはあまりない。騎手団のものではない真っ赤な長衣ルクヴァを着崩した巨体の男だ。


「ザック。ここにいたか」

 開けっ放しのドアから、ノックもせずに入ってきたのはエサルだった。片づけられた部屋をざっと見まわし、「なぜ荷物をまとめているんだ?」と尋ねた。


「シーズンももう終わるし、領地に帰るんだよ」ザックは不機嫌な顔のまま答えた。

 竜族の男にとって、シーズンの成功とは相手女性の妊娠を指す。主要なイベントも終わってしまった今からでは、もう相手を探すのも難しいだろう。もう王都にいる意味もないし、騎手団の帰省許可も出たから、今日にも出立するつもりだった。


 荷袋のひもをぎゅっと締めていると、エサルが「城に行って、フラニーを助けてやらないのか?」と聞いてきた。ザックがかがんでいるので、見下ろされる形になる。


「助けるたって……なにをするんだよ?」

 ザックはぶすくれた。「毎日毎日、やれ税金だの補修だの視察だの、決まった仕事ばっかりじゃないか。それに、補佐役だってついてる。ただの竜騎手にできる手助けなんてないだろ」


「おまえはなぁ……」

 エサルは頭をふりふり嘆いた。「権力図というものについて、もっとしっかり考えろ。秘書官も文官も、リアナ王配の仕込みだぞ。おまけに補佐役はナイメリオン、エクハリトス家の筋だ。フラニーは監視されているも同然なんだぞ?」


「そうは見えないけど」ザックはぼさぼさした金色の眉をひそめた。

 あの美貌の秘書官、ロギオンと言ったか。それにナイムも、フラニーに対して害をなすようには見えなかった。毎日、和気あいあいと職務にはげんでいて、むしろザックのほうが疎外感を感じるくらいだ。


「エサルは権力固めに熱心すぎるんだよ。中級の貴族やら商人たちとやらまで面談してさ。自分が王に対して後ろ暗いところがあるから、相手が下心を持ってそうに見えるだけじゃねぇか?」


「口が過ぎるぞ」エサルはぴしゃりと言った。が、ザックはこの年長の従兄いとこが怖いとは思わなかった。エサルは身内には甘いのだ。


「まあ、エサルは領主だもんな。俺みたいに自分のことだけ考えてればいいってわけじゃないんだ。王都で勢力を固めることにしたって、そうなんだろうし……そういうとこは偉いよな」


 ザックはいちおう、従兄をフォローした。聞くところによれば、西部は領主のエンガスが病弱で、嫡子のアーシャも不在だからごたついているらしい。なんだかんだ言っても、エサルがしっかりしているおかげで南部領主家は繁栄しているという理解はしていた。


「そのことだがな」

 エサルは腕を組み、真剣な顔になった。「ザックおまえ、しばらく王都に残れ」


「そのことって……なんのこと? なんで?」

 ザックは詰めていた荷物をそのままに、立ちあがった。けして小柄ではない従兄を見下ろして首をかしげる。


「おまえな、フラニーと夫婦つがいになれ」


「ハァ!?」思わず、自分でもびっくりするような大声が出た。「フ、フラニーと、なんだって?」


伴侶つがい。結婚。繁殖。言葉はなんでもいいが、そういうことだ」

 エサルは従弟の胸に指をつきつけた。


「い、いや、待ってくれよエサル」


「『エサル公』または『閣下』と呼べ。俺はまじめな話をしているんだぞ」

 それまで名前を呼ぶのを許していたのに、エサルは急にそう命じた。これは冗談ではない、という彼なりのけじめなのだ。


「だけど……だって……」

「だけどもだってもない。熊のような巨体で恥じらうな」

「恥ずかしいわけじゃねぇよ!」

 ザックはようやく自分を取り戻した。「どうしてそんなこと、急に言うんだよ。フラニーには政略結婚をさせるんだろ? だからデイミオン王を呼んだんだろ?」


「これもだ。おまえがフラニーに熱をあげてることくらい知っているが、俺がその熱意にめんじて結婚を決めたなどと思っているなら、おまえは阿呆だぞ」


「阿呆って言うな、エサルのアホ」

「『閣下』だろうが、この脳筋め」

 同レベルの争いをくり返してしまい、エサルはため息をついた。「はあ……」


「クルミ大のおまえの脳みそでもわかるように説明してやろう。状況が変わった。デイミオンはしばらく妻をめとるまい。エクハリトスのほかの男では王に見劣りするし、西部はお家争いでごたついている。さいわい南部うちはうまくいっている。夫としてフラニーを補佐し、王都での地盤を固めろ」


「そ、そんなこと言ったって」

 あらためて説明され、ザックはうろたえた。「フラニーの気持ちは……」



「気持ちもイシモチもない。これは、領主である俺の命令だ。安心しろ、ちゃんとフラニーに話は通してあるから」

 ぴしゃりと言うと、エサルは話は終わったとばかりにきびすを返した。そのまま立ち去ると見えたが、最後にふり返って念押しした。


「いいか? 俺は南部と西のことで忙しい。だが王都もないがしろにはできん。おまえを信頼して、重要なはたらきを任せているんだからな。俺の信頼にきちんとこたえてみせろ」


「エサル! 俺には無理だって」

 ザックが言いかけたときには、従兄の姿はすでになかった。


「南部と……西?」

 なにか気になる内容があった気がするが、ザックの頭からはすぐに抜け落ちてしまった。それどころではない事態になりそうだった。


 ♢♦♢


「エサルは勝手だ」

 ザックはぶつぶつと愚痴を言いながら、城の廊下を歩いていった。まとめかかった荷物もそのままに、タウンハウスからすぐに王城へとやってきたのだ。行く先は、もちろん王の執務室である。「いったん立ちどまって良く考えてみる」というのは、南部領主家の美徳にはふくまれていない。


「なあフラニー!」

 いきおいよくドアを開け、幼なじみの名を呼んだ。「おまえもエサルに聞いたよな!? どう思う!?」


 そこまで口にした時点で、執務室にはフラニー以外の者もいることに気がついた。そんなことも忘れているあたり……悔しいが、脳みそのサイズについてエサルが馬鹿にしたことは当たっているのかもしれない。


「ザカリアス卿、ドアは静かに開けましょう」

 秘書官のロギオンがさとした。あわいクチナシ色の長衣ルクヴァを着た、銀髪の美女めいた男である。


「ん? ああ、悪い」


「ロギオン卿、この脳筋に注意しても昼食後には忘れてますよ。脳みそがブラックベリーくらいの大きさしかないんだから」ナイムは指先で小さな輪を作ってみせた。

「さすがにそれよか大きいだろうよ!」

 ブラックベリーではクルミよりも小さいではないか。ザックは憤然ふんぜんとなった。


「はあ……」

 ドタバタしたやりとりに、フラニーはため息をついた。「ナイメリオン卿、ロギオン卿。申し訳ありませんが、しばらく席を外していただけますか?」



「「御意に」」顔を見あわせてから、二人の声が重なった。

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