第43話 楽しい時間にしようじゃないか


 ♢♦♢ ――ニエミ――


 夜の森は、なにもなくても分け入って進むような場所ではない。まして、敵の罠が張り巡らされているかもしれない状況では、なおさらだった。

 だが四人の男は、月明かりの下、昼の行軍と変わらないスピードで森を進んでいた。


「追うとは言っても、いまから、間に合うのでしょうか?」

 デーグルモールの兵士、ニエミが尋ねた。「ハートレスのかたがたの超人的な力は存じていますが……」


「半死者のかたがたに超人と言われては、謙遜けんそんを疑いますな」

 ヴェスランと名乗る中年の男が、にこにこと言った。「温度と匂いから罠を見破れるなんて、うらやましいかぎりだ」

 完全なデーグルモールとなると、非常にすくない栄養と休息で長時間活動でき、致死傷の傷からでも復活できる。兵士としては理想的かもしれないが、まっとうな生物とは言えないようにニエミは感じる。それを言うと、妖精王イノセンティウスは首をかしげるのだが。


『はっきりとした死が存在しないのは、菌糸類には当たり前のことだぞ。エルフはりっぱな生物だし、おまえや私もおなじだ。忌避感きひかんはひとびとが作りだすもので、それもまた興味ぶかい生存戦略ではあるが、判断の根拠には足らないものだ。

 ――古竜をあやつり長命を生きる竜騎手とて、人間から見たら超生物だろうよ』


 ふむ。そうかもしれない。

 ともあれ超常の生き物となりはてたニエミにとって、森は夜でもさまざまな温度といろどりに満ちており、住民が設置した狩猟用の罠や、おそらく敵兵のものと思われる罠を見分けるのに苦労はしなかった。亡命者として一節(竜族の十二年)ほどはニザランの森で暮らしているのだから、敵兵よりニザランの森については詳しいと言えるだろう。敵兵たちの動きが、すこしずつ濃く感じ取れるようになりつつあった。押しつぶされた土とシダ類の新鮮な匂い。そして、ごくかすかではあるが、心そそる血と肉の匂い……。


「かなり、あわてて撤退していったようです。ふだんなら、足跡を消しつつ慎重に進んでいたようなのですが」

「あるいは罠か」と、ヴェスラン。このなかではもっとも高齢に見えたものの(実年齢はニエミのほうがはるかに上)、移動のスピードについてくるのに難儀はしていないようだ。


「あのでっかい黒竜を見て、ビビって逃げたんじゃないかなぁ」シジュンと呼ばれる若者が、のんびりと言った。

「こちらもおっとり刀だがねぇ。ハートレスの兵士が、たった三人」と、ヴェスラン。


「おまけに、片方は老兵ロートル、片方は新人ルーキーときてる」

 追跡の指揮をとるフィルバートが、快活に言った。戦闘を目前にしていながら、散歩にでも出ているかのような気やすさだ。「城の食糧といっしょだな。こんな残りものでも、なんとか料理しなくちゃ」

「ま、私とシジュン、二人あわせてなんとか一人前と言ったところでしょうね。あなたを合わせてようやく二人の戦力だ」

「だろうな」


 ニエミはなんとなく不安になった。

「半死者である私が言うのはおかしな話ですが、森のなかに潜むのは、亡霊のように得体のしれぬ兵士たちです」

「いちおう確認しておきますが、徴税に反発する農民たちの集まりといった可能性はないんですね?」と、ヴェス。

「そもそも、ニザランに税制はありません。おそらくあなたがた王国の民が思っているより、はるかに原始的な村社会です。なにより、かれらは鉄をきらう」


「弓のあつかいは、たしかにアエディクラ風の連射だった。鉱山で見たものとおなじだな」フィルもうなずいた。


 ニエミはためらいながら説明した。「いつから潜伏していたのかもわからない。もちろん、どれほどの数がいるのか、装備は、指揮官は、そういったことも、なにひとつ」


「それ自体がひとつの情報だろう。普通の兵士は、住民にまったく気取られずに森に潜伏することはできないものだよ。一人二人なら別だが」

 フィルが言った。「敵はかなり長いあいだ森で生活して、住民たちとも交流があった可能性が高い。諜報の知識がある兵士だ」

 弓兵は高度な専門職で、装備にも金がかかる。そんなものを、いつまでも森で遊ばせているとも思えないと説明した。


「森に……」と、ニエミ。

「と、すると、それほどの数は用意できない。矢の数からして弓兵が十か、もっと少ないかも」

 ヴェスランが口をはさんだ。「ゲリラ戦は嫌ですなぁ。あれは不快で、疲れる」


「だけど、あの両目色違いの女王さまを攻撃したのがわざとじゃないなら、相手は予想外の反撃で落ち着きをなくしてるかも。いまがチャンスかもしれない」と、シジュン。


「いずれにしてもこちらも少数だから、今回は捕虜の確保と情報収集だけを狙おう。俺が最初に索敵さくてきに出て、シジュンは援護を……悪いがニエミはヴェスと一緒に、おとりを頼めるか? 粘らなくていい。駆けつけ一杯、エールを飲むくらいの時間でいいから」


「わかりました」

 ニエミはうなずいた。


 ♢♦♢ 


 ほどなくして、ニエミの鼻よりも先に、フィルバートが装具の反射から敵を目視で確認した。うなずきが合図のかわりとなり、ニエミはヴェスランのあとを追うようにしてかれらに近づいていった。


「もし私が矢を受けたら、私に近づかないでくださいね」

 ニエミは念を押した。「受傷すると、生命危機と判断して補食行動が出やすいのです。意識を失うと自分では制御できませんから」

「心得ていますよ」

 ヴェスランは、なぜか苦笑のようなものを浮かべた。「身近なかたがなるのを、経験したことがありますから」


 敵兵たちはわずかな休憩中だった。

 明かりを使うこともできないため、兵士たちの顔には疲労と緊張が色濃く感じられた。すえたような体臭はニエミでなくても感じられたかもしれない。数は二十名をわずかに超えるほど。弓は種類違いで五名ほど、そして長銃を装備しているものもいた。隠密行動のあいだは、使わずにしまってあったのだろうか。


 そして、ヴェスランの武器は――弓と、ナイフと、あらゆるものだった。


 簡易鎧のヘルメットに、かつんと小石があたって落ちた。

 兵士のけげんな顔を、ニエミの目は昼間とおなじように認識できた。だが、いくら暗闇に慣れていても人間の目では、ヴェスランの次の動きは見えなかっただろう。

 最初の攻撃は矢で、それはアエディクラ兵の連射にくらべれば庭木に水を散布するようなのどかなものだった。

 しかし、攻撃に色めきたった兵士が弓を射はじめたときには、ヴェスランはすでに集団のなかに身をおどらせていた。ニエミもかろうじて矢をよけ、乱闘に参加する。かれ自身はあまり近接戦闘が得意ではないので、なんとか長剣の間合いをたもちながら時間をかせぐつもりだった。


 だが、兵士たちの練度が想像以上に高い。長剣をなんなく打ちあわせ、かと思うと別の兵士が短剣で背をめがけてくる。

「ぐあっ」

 思わず声をあげてしまったのは、その短剣が脇腹に刺さったせいだった。思わずたたらを踏み、背後にさがったニエミに長剣が振り下ろされる。身体を転がして間一髪それを避け、別の兵士の脚にぶつかる。

 敵兵を盾にする形でなんとか起きあがり、状況を把握しようとした。ヴェスランはむしろ拳の間合いまで近づき、まさに一人をナイフで仕留めたところだった。だがナイフを持つ手がふさがっている間に、敵兵は間合いを広げており、そこに銃弾が雨とそそいだ。

「じゅ、銃!?」

 ニエミは思わず声をもらした。かれはそもそも、銃など影も形もなかった時代の竜騎手なので、いまだに銃声に慣れないのだ。おまけに、それは連射だった。


 あわやと目を閉じそうになるが、カンカン! と固い金属音に銃弾がはじかれたことがわかった。幅広の斧が銃弾をふせぎ、豆粒のようにはじき飛ばすと、火花が散った。


 衝撃を受けとめたのは、シジュンだった。長剣よりはるかに重そうな戦斧を、子どもの棒あそびのようにくるくるとあやつる。どこに着弾するのかまでわかっているように、銃弾は一発ごとに、みごと刃にはばまれた。


「うおー、危なかった」

「ずいぶんゆっくりしただったじゃないか。途中、小便にでも行ってたのか?」

 シジュンとヴェスランがやりあっている。

 『駆けつけ一杯』、とフィルバートが指示したとおり、それはかれらが突入してから間もなかったようだ。


「散開して逃げろ!」

 指揮官らしい者の命令が聞こえた。それを待っていたかのように、シジュンが確保に向かう。


 だが、あの銃声は……。

 もはやひとつしかない竜の心臓が、恐怖に早まるような気がした。実際には、竜の心臓は鼓動を打たないのだが……


 ニエミの目は、森の奥に異様をとらえた。小山のように盛りあがった背から銃が生えているように見えたが、うぞうぞと動くさまは巨大な甲虫のようで、言葉をうしなうほど不気味だった。なりそこないのデーグルモールにも似ているが……


 だが、恐怖を感じたのはニエミだけのようだった。フィルバートが陽気な声で「見ーつけた」と言うのが聞こえた。


「キーザインを出て、どこに逃げたんだろうと不思議に思ってたんだ。なるほど、ここは穴場だな。仲間がいないというのは嘘か」

 フィルバートは剣を構えて近づきながら、猫なで声で怪物の名を呼んだ。「キャンピオン」


「ヒイィィィ。竜殺し。ヒイィィィ」

 巨大な甲虫、いやキャンピオンはガシャガシャと金属音を立てながら逃げはじめた。ニエミはあずかり知らないところだったが、キーザインでフィルに復讐を果たしそびれてから、さらに全身の金属量が増していた。いまは、人間のサイズなら三倍ほどの重量があるだろう。四つ足で逃げる姿は、ますます、甲虫じみている。

「キャンピオン殿! お早く!」

 兵士の一人が叱責するのが聞こえた。


「こんなところまで私を追ってくるとは。なんて執念深いのでしょう、竜殺し! おぉ嫌だ嫌だ!」


「ははは」

 フィルバートは快活に笑い、恋人にささやくように優しく尋ねた。「俺に追いかけてきてほしかったんだろう、キャンピオン? 俺も会いたかったよ」


「汚らわしい鬼畜! 薬漬けの戦闘狂!」

 甲虫じみた人間が、妙に小さい顔だけをこちらに向けてキィキィとかん高く叫んだ。


「ここにいるのはみんな、おなじ戦闘狂いの仲間だろう? ……さあ、かかってこい。楽しい時間にしようじゃないか」


 フィルバートは、その言葉とともに高く跳躍ちょうやくし、キャンピオンに打ちかかった。

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