第30話 一時休戦といこうじゃないか

 ♢♦♢ ――デイミオン――


 デイミオンはひさしぶりに顔をあわせた弟にあいさつもせず、ずかずかとアパートに上がりこんだ。巨大な音を立ててドアを開けはなし、ささやかな住居をすみずみまであらため、「妻はどこだ」とフィルをにらみつける。


「どこって……朝までここにいたんだ」

 フィルは近くをうかがうように首をめぐらした。「でも、もうアマトウ卿のところから帰ってくるはずだけど。ね、フェリシー?」

「……ええ、そう聞いていますわ」フェリシーはデイミオンに向かって答えた。


 そうこうしているあいだにも、王は帯同していた竜騎手たちに〈呼ばい〉を放って連絡していた。じきに、かれらがおなじ建物内のすべての部屋と一階の店舗に突入する騒々しい音がこの部屋まで届きはじめた。


「アマトウのところにはいない」

 デイミオンは苦々しい顔で言った。

「なんでわかるんだ?」

「エンガスの治療の件で以前、〈呼ばい〉をやりとりしたから、あいつとは通路ができている。いま確認したが、ここには来ていないと。竜の心臓がないから、それ以上はわからん」


「ふーん、〈呼ばい〉でそんなことまでわかるのか」

 フィルはハートレスなので完全に他人事の顔だったが、フェリシーという名らしい若い女性は驚きで固まっていた。念話が使える距離は、通路の強さ(関係性)にもよるが、ほぼ竜とライダーの力の大きさに比例する。〈呼ばい〉があるからできるというわけではなく、それほどアーダルとデイミオンの力が強大なのだ。


 二人は手分けして近隣を探し、すでにリアナがキーザインにいないことまでを突き止めた。ハートレスの従者、シジュンも消えている。表通りの宿屋にあずけていたという飛竜二頭をシジュンが引き取りに来たのが、早朝六つ半ごろらしい。すると、アパートを出てその足ですぐキーザインを出立したのだろう。


 彼女を追うにしても、竜の心臓をたよりにできない今、まずは情報共有が必要だ。まったく似ていない兄弟はその点では意見を一致させ、ひとまずアパートに戻ってきた。

 フィルはあらためてフェリシーを紹介し、デイミオンはここには王の用事でやってきたわけではないから、気遣いは無用だと告げた。


「ずいぶん久しぶりだね。記憶をなくしてたって聞いたけど、もういいの?」

「誰がそれを?」

「もちろん、リアナが教えてくれたんだよ」

 それを聞いたデイミオンは一瞬渋い顔になったが、「記憶は戻った。問題ない」と短く返答した。


 一人暮らしの女性のせまい住居に、男二人が並んで立っているだけでも威圧感がある。そう思ったのかどうかはわからないが、フェリシーに勧められ、二人は向かいあってテーブルについた。


「おまえがここで女性と暮らしているという話は、道すがらに聞いた」

 キッチンに向かう彼女を目で追ってから、デイミオンは妙に上機嫌で言った。「リアナと別れて泣き暮らしているかと思ったが、なかなかやるじゃないか。他人の妻に執着しているようでは、一人前の男とは言えないからな」


「リアナ……彼女を見てショックだったのかな」

 デイミオンの言葉をまともに聞いていたわけではなかったが、フィルはリアナを思って眉尻を下げた。その頼りない表情は女性の母性本能をくすぐるらしいが、あいにくとデイミオンは母性を持ち合わせていないため、心を動かされることはなかった。


「おまえが別に女をつくっていてショックなら、リアナは黙って去ったりしない。おまえを非難するなり、相手女性と争うなりするだろう。……そうせずにいなくなったのは、もとよりそういうつもりだったからだ」

 デイミオンは自信満々に言った。「俺にはわかる」


「デイのときもそうだったから?」フィルはちくりと返した。「こうやって追ってきたってことは、リアナは勝手にとびだしてきたんだろう? 休暇中だったって聞いたけど」

「……」

「愛想をつかされたんだ」

「利いた風な口をきくな」


「まあ、俺のもとを出たときといくらかの共通点はある」デイミオンはしぶしぶと認めた。


 そうだ。記憶喪失のせいで生まれた溝を埋めるため、二人きりの時間をとろうとわざわざ東部に滞在していたのだ。苦心して記憶を取りもどし、さあこれからというところで手ひどい裏切りを受けた。氏族の男たちの前で『子どもの父親と暮らす』などと言いおいて出奔しゅっぽんされ、男としての面目めんぼくをつぶされた。

 だからこそ古竜のように怒り狂って、ここまでほとんど不眠不休で彼女を追ってきたのだった。

 だが――おなじように途方に暮れている様子のフィルを見て、デイミオンは少しばかり溜飲りゅういんを下げた。先ほど戸口に立ったときには、正直にいえばふたりの仲睦なかむつまじい様子を見せつけられるのではと不安に思っていたのだ。

「重要なのは、リアナはおまえと暮らすために俺のもとを去ったわけではなかったということだ。それがわかったのは収穫だな」

 いまだに怒りがおさまったわけではないが、冷静さは戻ってきつつあった。


「だけど、お腹の子の父親は俺なんだ」

 フィルは薄く笑った。「今、デイと話してて思いだしてきたよ。リアは俺のためにここまで来てくれて、それで『あなたは父親になるのよ』って教えてくれたんだ」


 リアナには見せない、酷薄こくはくといってもいい笑みのまま、フィルは続けた。「驚いたな。人間じゃあるまいし、たった一年でなんて。デイも想定してなかっただろう? 油断したな」


 デイミオンの鉄壁の自信に、多少のヒビが入った。

「子どもなど欲しくないとわめいていたくせに、本音が出たな。……子どもの親権は俺にある。この点ではリアナにも譲るつもりはないぞ」


「話しあいの余地よちはあるんじゃないかな」

 フィルは笑みを深めた。「あなたは子どもが欲しいし、俺はリアナが欲しい。おたがいに納得できる条件で取引できるんじゃないか?」


「そもそも、おまえには子どもに関するなんの権利もない」

 デイミオンはぴしゃりと言った。「その話をいま、するつもりもない。彼女を探すのが先決だ」


「もちろん、そのつもりだよ。一時休戦」フィルは手を軽くあげて同意を示した。


「さて。彼女がどこへ向かったかだが……」

 二人の男は顔をつきあわせ、それぞれに別の推測を披露した。


「北部だな」と、デイミオン。「出産となれば、実家の援護が必要不可欠だろう」

「だけど妊婦が移動するには遠すぎる。いっそ王都かもしれない」と、フィル。「成人後はずっとタマリス暮らしだろう。彼女の手助けをする者たちが多いのも王都だ。医師たちもいるし」

「だが、すぐに居場所が知られるような場所に行くか?」

「秘密を守ってくれる友人もいるだろう。ヴェスランとか」

「ふむ」

 二人はその他の可能性も話し合い、リアナが頼りそうな伝手つても共有しておいた。エサル公、フィルの養父リカルド、義母のレヘリーン、友人のエピファニーやセラベス卿。

「北と王都。どちらにも一理あるな」

 顎に手をあて、デイミオンは言った。「ならば、それぞれ別のルートから探すということでいいだろう。俺は北部、おまえは王都」

「わかった。北にはこっちも連絡ルートがある。もし俺のほうで見つかったら、スタニーかほかの部下から連絡させるよ」

「ああ。頼む」


 フェリシーがお茶を運んできたときには、男たちはすでに打ち合わせを終えていた。王は急な訪問の非礼をび、若い女性は恐縮して首を横に振った。


「とにかく、リアナの保護が最優先だ。おまえの働きを期待している」

「もちろん、全力を尽くすよ」

 二人は短くやりとりをし、それなりに友好的に別れた。



 ♢♦♢


 せまいアパートを出ると、目の前にすでに王の飛竜バーシルが待機していた。鉱山町にはめずらしいみごとな飛竜と竜騎手たちの姿に、住人たちがさっそく野次馬となって遠巻きに群がっていた。


 竜騎手のひとり、シメオンが追いついてきて王と合流した。リアナが即位する前から竜騎手団にいるベテランだ。茶色のヒゲをしごきつつ確認してくる。

「では、これから北部に向かう、ということでよろしいですか。領内を通りますので、エサル公にも報告をする予定なのですが」


「いいや」デイミオンは短く答えた。「北部には行かない」

 竜騎手はヒゲから手をはなし、いぶかしげな顔になった。「……リアナ王配さまを追われないので?」

「もちろんそうだが、北部に行くというのは嘘だ。ただしい行き先を答えて、あいつが先にたどりついたら困るだろう」

「えっ」シメオンは感情が隠せないタイプの男なので、露骨に驚いた。「協力して陛下をお探しになるのでは……」


「情報は欲しいが、あいつと協力して事にあたるつもりなど毛頭ない。先にたどりつくのは俺だ」デイミオンは堂々と言いきった。


 ♢♦♢ ――フィル――


 一方のフィルもいそいそと出発の準備をはじめていた。鉱山の治安についてもかかわった責任はあるので、アマトウ卿の屋敷に顔を出してから町を出るつもりだ。リアナを見つけたら、一度はこちらに戻ろうと思っているが……。


「兄が急にきて、驚かせてごめんね」

 フィルはいかにも彼らしい、困ったような柔らかい笑みで謝った。「それに俺の世話を焼いてくれて、ほかにもいろいろ……すごく感謝してる。スターバウの家令に連絡をとるから、お金はそっちから送るからね」


「当たりまえのことだもの、気にしないで」

 フェリシーはあわてたように断った。レヘリーンがなにがしかの金を渡しているのは把握しているが、それで十分という意味だろうか。あるいは、面倒な男と金銭的にもかかわりを持ちたくないのかもしれない。どちらにせよフィルは彼女におおいに恩を感じていたので、いずれなにかの礼をしたいと思った。


「じゃあ、道中気をつけてね」

 フェリシーは、気持ちの冷めはじめた女性特有の事務的な優しさでそう声をかけた。「奥さん……元奥さん……? 妊娠おめでとう。とにかく、あの、リアナさまにもよろしく」

「うん」フィルは名残惜しかったが、にっこり笑って部屋を出た。



 階段を降りていくと、アパートの脇にスタニーが立っていた。「涙の別れっていう感じでもなさそうですな。もったいない」

 フィルはとりあわず、「デイに情報を流していないだろうな?」と念を押した。


「してませんよ、命が惜しいですからね」

「よし」フィルは満足そうにうなずいた。


「で、どこに向かうつもりなんです?」

 スタニーが尋ねた。「ぬかりないあんたのことだ。お兄上に言った行き先は、偽装なんでしょう?」


 フィルは笑顔で答えた。「もちろん、そうに決まってる。俺が先行するにしても、デイについてこられたら邪魔だからな。……この勝負、さきに彼女のもとにたどりついたほうが絶対に有利だ」


 スタニーは『自分にはどうしようもない』というような顔で首を横にふった。「で、いったいどちらへ?」


 ♢♦♢


 それぞれの場所で、それぞれの帯同者に向かって、デイミオンとフィルはまったくおなじタイミングで宣言した。



「「西だ」」

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