第16話 デイミオンには言わないでね

「女性を拷問するのは苦手でしてね」

 なおも手をこすりあわせながら、ヴェスランはうきうきと言った。「大きな声を出すわりに苦痛に強いし、かといって出血量を見誤ると死ぬ。ですが基本は、男性兵と一緒です」


「お手並み、拝見させていただきましょう」ロールもにこやかに言った。


(ロールもすこしは、腹芸ってやつがわかってきたじゃないの)と、リアナは思った。


「神聖なる女体への拷問など、竜祖をもおそれぬ所業!」

「汚らわしいハートレスになど屈したりせんぞ!」

 女神官ナハーラとミリアムは、緊縛されたまま口々にののしった。


「おや、なにをご想像されたのやら。……いまの言葉で想像がつきますね」

 ヴェスランは「ウフフ」とひそやかに笑った。

「もっとも、強姦は拷問としてよりは下級兵士への報償の意味合いが強い。は男性側も無防備になりますし、おすすめできません」


「と、なると、やはり鞭を打ったり、爪をはがしたり……?」

 ロールが尋ねると、聞いていた女たちは顔をひきつらせた。


「そうですね」

 ヴェスランはにこやかに説明した。「閣下にはぜひ基本から習得していただきたいのですが、時間も限られておりますから、効率的に。まずは初歩のり下げからまいりましょう」


 そう言うと、ロールに指示を出してミリアムを立たせ、天井の梁を利用して手首から吊り下げた。地面に足がついているのですぐに腕を痛めることはないだろうが、屈辱的な体勢だ。

(そういえば、デイミオンがこうやって両手を拘束されていたことがあったわ)

 まだ王になる前の誘拐騒動を思いだし、リアナは眉をしかめた。


「この男を止めてください!」ミリアムが、リアナに向かって嘆願した。

「エクハリトス家の武装神官に手を出せば、どうなると――」ナハーラも凄んだ。


「わたしが拷問を命じたなんて、夫は信じるかしら? 日陰で育てたアスパラガスみたいにひ弱なのに?」

 リアナはナハーラの発言を蒸し返して当てこすった(もちろん、まだ根に持っていた)。

「このスミレ色の目から涙の一滴でもこぼせば、デイミオンは喜んであなたたちの処刑の命令文書にサインするでしょうね」

 もちろん、単なるはったりだ。デイミオンがいかに夫馬鹿といえども、妻かわいさに法を曲げるようなことはしない。

 だがこの馬鹿馬鹿しい演出はなかなかの効果があった。


「さて陛下、いったい何から尋問いたしましょうか?」

 ヴェスランは、ナハーラたちの持っていた棒状の武具を手のひらでもてあそびながら尋ねた。「ぜひ、骨のある内容をお願いしますよ。簡単に済んでしまっては興ざめですからな」 


 神官たちの目のなかに恐怖の色が映るのを、リアナはしっかりと確認した。「そうね……南部のエサル公とつながりがあるかどうかは、ぜひ知りたいわ」


 ♢♦♢ 


 結局、二人の女神官はその後すぐに解放された。ヴェスランの演技にずいぶん怯えていたから、これにりてしばらくはおとなしくしてくれるといいが。


 エサルとのつながりはなかったようで、それがわかっただけでも収穫ではあった。

 リアナを連れ去ろうとした理由もおそまつなものだった。泉に放りこみ、集団で囲んですこしばかり脅かせば、王都へ逃げかえると思ったらしい。そのように女々しい女と思われていたとは、心外だ。


「あそこまでさせなくても良かったわよね。ごめんなさい、ヴェスラン。あなたには汚れ仕事をさせちゃった」


「もっと痛めつけてもよかった。妊婦にみそぎという言葉だけでも、万死ばんしあたいする」

 ヴェスランは、感情の見えない平板な声で言った。先ほどまでの陽気で嗜虐しぎゃく的なそぶりは、やはり演技だったのだろう。冷静に見えても怒り狂っているのは、フィルを見て知っている。

 そして怒りは、不安とおそれの裏返しでもある。リアナは、不器用な男を正面から抱きしめた。「あなたのおかげで、わたしは無事よ。どこもケガしていないし、もちろん子どもも」


 ヴェスランは不機嫌そうに眉を寄せたままハグを受けていたが、やがて落ちついたのかそっと抱擁ほうようをといた。

「あなたがそうやって、私の怒りをなだめようとするのが嫌いだ」

「そう?」リアナは笑った。「わたしは、あなたにこうやって大切にされているのが好きよ」


 ヴェスランはきまり悪そうで、わざとらしく咳ばらいをして、事務的な口調になった。

「では……あとのことはロレントゥス卿にお任せします。もう、男衆たちの禊も終わりますから、陛下もお戻りになる」

「もう帰っちゃうのね。……館に戻るの?」

「いえ、立ち寄りはしますが、すぐ出立します。もとよりそのつもりで、準備もしてきましたので……ただ、数日はここに逗留とうりゅうするフリをしていますので、陛下もそのようにお振舞いください」

 きびきびと説明する姿は、商人というよりもやはり、兵士のものだった。その数日を使って影のように移動し、また誰かを驚かせるのだろう。

 

 別れ際、ヴェスランはためらいながらリアナの肩に手をおいた。その父親のようなしぐさにリアナは胸を打たれる。

「私はこれから、サルシナ河をくだってキーザインに向かいます。スタニーとも協力して、かならずフィルバート卿をここへお連れすると約束します。ですから……」

 ヴェスランは間を置いてから、念を押した。

「ここでちゃんと待っていてくださいますね? あの人に勝手に会いに行ったりしませんね?」


「約束するわ、大丈夫よ、ヴェス」リアナは笑顔でけあった。



 ヴェスランが退出するのを見おくって、ロールが暗い顔でつぶやいた。

「ヴェスラン殿は、あんなにあなたを思っているのに……。あなたは嘘つきですね」


 リアナはすぐに返答しなかった。


「今回の襲撃……デイミオンには言わないでね」

 ただ、ロールにそう念を押した。

「それでなくても神殿のことではぴりぴりしてたし、こんなことがあったと知ったら、部屋からも出してもらえなくなっちゃうわ」


「ですが……陛下に隠しだてするのは……」


「忘れたの? あなたは、わたしの誓願の竜騎手なのよ。王命よりも、わたしの命令を守る誓いを立てているはず」


「……はい」ロールは悩みながらもうなずいた。


 ♢♦♢


 禊を終えたデイミオンが、神殿内の部屋に戻ってきた。昼のことは、さすがに隠しきることは難しいだろうと思ったので、嘘が大きくなりすぎないようロールから報告させた。ナハーラたちに押しかけられたが、よくある親族の嫁いびり程度のものだと。


 二人は東部風の、前合わせになった涼しい夜着姿だった。リアナは肌に薔薇水トナーをつけ、就寝の支度したくをしていた。デイミオンが背後から、むきだしになった彼女の首を撫でる。鏡に映った端正な顔は、妻が嘘をついていないか吟味するような表情を浮かべていた。

「一日でも離れていられない」そんなふうに言う。


「わたしがなにをやらかすか不安だから?」

「おまえは運命のつがいだから」


 デイミオンはそう言うと、背中から妻を抱きしめ、耳の下に口づけた。大きな体にすっぽりと包まれ、鼓動が速まる。片方の手が乳房をすくいあげ、もう片方の手がそっと腰をさすっている。ふり向いてキスをねだると、熱い舌が口内をまさぐった。だが、リアナの身体が熱を帯びてきたところで、夫は愛撫を中断した。


「ここから先は……まだダメだ」

 自分自身も興奮に息を荒くしているくせに、デイミオンはそんなふうに言った。ぎゅっと力を入れて抱きしめ、欲望をこらえている様子だった。


 彼が記憶をなくしてから、二人はまだ完全な形では夫婦のいとなみをしていなかった。その前には一年の眠りという不在があったから、もう、一年以上経っている。

 妊娠がわかってすぐの時期には、性交そのものが難しかった。だから安定期に入った今まで持ち越されても不思議ではないのだが、侍医の許可が出ても、リアナ自身が大丈夫と念を押しても、デイミオンは最後までは進もうとしなかった。もちろん、今夜は禊という理由もある。


「いったいいつ、わたしたちは元どおりに結ばれるの?」

 夫にプレッシャーをかけすぎないように、リアナは冗談めかして尋ねた。「記憶が戻るかどうかより、そっちのほうが心配だわ」


「アーダルのなかに、完全なままのおまえの記憶があるはずなんだ。俺は、それを取り戻したい。託宣の舞で……」デイミオンはつぶやいた。「完全な形で、おまえと結ばれたいんだ」


 夫の腕のなかで身をよじり、リアナは正面から夫に向きあった。

「なにもかも完全に戻す必要があるの? 今のままでも、あなたは昔と変わらないデイミオンよ。……あなたにこれ以上、危険なことはしてほしくない」


「おまえを選んだ理由があるはずだ。千回の春をともに過ごすと決めた理由が……」

 その言葉で、夫がなにを恐れているのかリアナには想像がついた。今のデイミオンには、リアナが運命のつがいだという確信がないのだと。それがこんなにも、夫を不安にさせている。


 リアナは運命のつがいを信じていなかった。それはあまりにも儀礼的で、竜の子孫だと信じていることと同じように、大切ではあるが現実とは遠い信仰のように思えたからだ。

(それに、もしも竜祖がつがいを定めるというのなら、ハートレスたちは……フィルはどうなるの?)


「変わらないものはないのよ、デイ。なにもかもが変わっていく。長命なわたしたちでさえ、日一日と死に近づいていく」

 夫の背中に腕をまわし、リアナはささやいた。「でも、あなたをずっと愛してきたわ。あなたと過ごせるあと一回の春をと、いつも願っている。……それではダメなの?」


「それではもう、足りないんだ」デイミオンは彼女を抱いたまま、暗い声音でつぶやいた。

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