第二幕

4 追いかけっこのはじまり

第20話 消えたリアナ


 ♢♦♢ ――デイミオン―


 その日、デイミオンは朝から帰宅の準備をはじめさせていた。ようやく記憶を取りもどし、妻と完全に結ばれ、生まれ変わったような爽快な気分だった。

 

 その妻が女祭に顔を出すと言って、早朝から不在である。自分も後祭があり、そこまでは氏族長として役を務めたが、その後の宴会にまでつきあうつもりはないと通告していた。気ごころの知れた親族の男たちと飲むのは楽しくないわけではないが、せっかく記憶がもどった今、妻との時間を大切にしたい。

 そして、翌日にもシグナイをつつもりだった。目的を果たしたのだから、これ以上ここにいる理由はない。王都に戻るか、それとも別の休暇地にうつるかは、妻の意見も聞いてみるつもりだ。


(東部領は、しがらみが多すぎるからな。リアナも苦労しただろう)

 と、ひとりうなずく。


 ――東部最後の夜にふさわしい食事はなんだろう。特産の黒バラを気に入っていたから、寝室にも持ってこさせようか。


 あれこれと計画を練り終えると、彼女を迎えにいこうかとひらめいた。もともと、頃合ころあいで誰かに呼びもどさせるつもりだったのだが、あの女神官たち相手では小姓も苦労するだろうと思った。


 もともと、自分がやったほうが早い仕事については腰が軽いデイミオンである。思いたつと同時に、女たちが集まっているだろう小神殿のほうへと向かった。本殿同様、開放的な造りになっていて、裏手には人工の泉もある。基本的に男性が立ち入らない慣習になっているから、足を踏みいれるのは子どものとき以来だった。……東部は日が長いが、それでも西の空は茜色に染まりはじめている。緑の少ない岩山が黒く沈みかけ……なつかしい故郷の夕暮れに、一瞬ではあるが目を奪われた。


 入口では金髪の女神官、ミリアムが応対した。いつもの鎧はなく、神官服である。


「楽しくご歓談中ですよ」

 と、ミリアムはにこやかに報告した。「妃殿下もずいぶん、東部こちらのやり方になじんでこられたようで、話がはずみまして」


 『話がはずむ』? デイミオンはかすかに眉をひそめた。「おまえたちにも、リアナにも、親族づきあいをするには社交性と忍耐が不足しているように思うが」

「『女は相見互あいみたがい』と申します。ともにアルファメイルを崇拝しお仕えする女同士ですもの」


 デイミオンはうさんくさそうな顔でミリアムを見下ろした。が、反論するのも面倒だ。どうせ、明日にはここを出るのだし、そしたらこのどぎつい女神官たちともおさらばできる。

「そうか。……とにかく、そろそろ頃合いだろう。夕食は妻と取るつもりだから、呼んできてくれ」


 ミリアムは「はいただいま」と快諾かいだくして引っ込んだが、それからいつまで待っても戻ってこない。まさかあの両者にかぎって、名残なごりしんでいるわけでもないだろう。誰に遠慮する立場でもないので、デイミオンはずかずかと内陣まで上がりこんでいった。


「男子禁制です!!」女神官の一人が叫んだ。


 デイミオンとて、それくらいのデリカシーはある。だから神事が終わるまで待ったのだ。……だがもう、遠慮する気はない。ぐるりと周囲を見まわし、さらに奥まで進んでいく。本殿よりは狭いが、そこそこの広さがあり、内部を布製の衝立ついたてで仕切っている。妻を探して衝立のかげをのぞくと、悲鳴とも歓声ともつかない黄色い声があがった。


「神事は終わったんだろう。そもそも、護衛のロールはどうしたんだ? あいつは男だぞ」

 女人禁制というなら近くで待機しているはずだが、美貌の竜騎手の姿は見当たらなかった。それに、妻の姿もない。浅黒い肌と大柄な体格が自慢のエクハリトスの女たちのあいだで、リアナの姿は目立つはずだ。……〈呼ばい〉の経路をひらき、竜騎手を招集した。どうも、嫌な予感がしてならない。


「ナハーラ」

 デイミオンは責任者であろう女神官を呼んだ。「俺の妻をどこへやった?」


「み……見ての通り、ここにはおられません」

 奥に座していたナハーラが立ちあがって、観念したように王の前に立った。


「どういうことだ? 言い訳はいらん。事実だけを説明しろ」


 王の威圧感に、ナハーラが思わず目をつぶったのが見えた。「ど、どこにもお連れしておりませぬ! 最初から、おられなかったのです! ですが……『自分がここにいるように話を合わせてくれ』と、リアナさまに頼まれたのです! 本当です!」

「嘘をつくな」

「先ほどの演技についてはお詫び申し上げます。ですが誓って、望んでのことではありませぬ!」

 ミリアムも割って入った。「リアナ陛下に命じられ、しかたなく……」


 彼女たちの言い訳が口から出てくるよりも早く、んでいた竜騎手たちが到着した。女神官たちは拘束され、すぐに家探しがはじまった。


 この時点では、もちろんデイミオンはナハーラたちを疑っていた。なにしろリアナを目の敵にしていたし、隙あれば彼女の地位にとって代わりたいという野心も隠さず見せていたからだ。もし彼女になにか危害を加えられていたら――氏族たちへの怒りよりも、不安のほうが勝った。


(ああ、リアナ――とにかく、無事でいてくれ)


 あの泉の一件があったのだから、注意に注意を重ねるべきだった。

 リアナのたっての希望で行かせたが、止めるべきだったのだ。巨大な翼でつがいを隠す古竜の雄のように、自分の目の届くところに置いてしっかりと守るべきだった。どうして俺は――。


 竜騎手たちが神殿内を探す一方、リアナ付の兵士たちはそれ以外の施設を確認してから次々に報告に訪れた。


「古竜レーデルル号は竜舎にいるのを確認しました」

 警備責任者である、ハートレス部隊のケヴァンという兵士からの報告だった。「ですが、リアナさまと、ロレントゥス卿の飛竜が見当たりません」


「なんだと……?」

 デイミオンの顔色が変わった。飛竜ピーウィは、少女時代からのリアナの相棒である。レース用に繁殖・飼育され、持ち主以外を乗せることを嫌う。そのピーウィが、いない?


「どういうことだ? ……」


「それと、申しあげにくいのですが、ハートレス部隊からも不明者がおります」

「誰だ」

「シジュンです」

 その名前には聞き覚えがあった。「あの、銀髪の大男か。北部にも帯同していたという……」


 さらに、ベテランの竜騎手シメオンが近づいてきて、言いづらそうに報告した。

「リアナ陛下さまの〈呼ばい〉を追いたいのですが、ままならず……」


 そうだった。デイミオンは舌打ちした。「神事があるから、竜の心臓の機能を弱めていたんだ。〈呼ばい〉はあっても微弱すぎて、グリッドにはかかるまい」


 通常の〈呼ばい〉以外に、王位継承者が持つ〈血の呼ばい〉もあったが、それも同様だ。

「竜騎手ロールは、リアナさまの誓願騎手です。帯同している可能性は高い。彼の〈呼ばい〉を追う、ということでよろしいですか?」


「それしかあるまい」デイミオンは虚空をにらんだ。


 行方不明のライダーとハートレス。彼女以外に懐かないピーウィの不在。デイミオンの頭の中に、これまでの不安とは違う疑念が渦巻きはじめていた。


 ♢♦♢


 竜騎手ロールは、ほどなくして見つかった。


 繁殖期シーズンが終わり、東部領の竜騎手たちが故郷に帰省していたことが幸いした。古竜とライダーは、水中で光る石のようなもの。竜の心臓を持つ者たちには、たとえ距離が離れていてもいずれは居場所が突きとめられるのだ。


 ところが、引き立てられてきたロールはリアナをともなっておらず、一人だった。どこもケガはしておらず、つまり仮にリアナが襲われたとすれば、身を挺して守るという誓いを怠ったことになる。王の怒りに血の気が失せ、紙のように白くなっていたが、取り調べには素直に応じた。

 早朝、リアナとともに部屋を出てすぐに飛竜に乗って神殿を脱出したこと。前もってナハーラたちと話をつけ、時間を稼ぐつもりだったこと。さらに、かれ自身は最初から別行動だったこと。

 彼はの役割――つまり、おとりだったというわけだ。


「どういうことなんだ!」

 エクハリトスの男たちでさえすくみあがるような声で、デイミオンは竜騎手を問いつめた。「リアナは――おまえやシジュンに連れ去られたわけではないのか? ほかの者の命でもないというのか? 答えろ!!」


 ロールの話から、王配は誰かにさらわれたわけでもそそのかされたわけでもなく、本人の意思で出奔しゅっぽんしたということが明らかになった。ロールが嘘をついている可能性は低かった――野心とは無縁の男だし、そもそも誓願騎手は主人に絶対服従を誓っている。


「リアナが、俺のもとから逃げだしたというのか?!」

 とうてい信じられず、デイミオンは青い目を見開いたままつぶやいた。「一言の相談もなく、誓願騎手もともなわず、ハートレスの兵士だけを連れて?」


 もっとも、ここまで計画的にことが進められて、すぐにリアナの潔白を信じるというのも難しい。彼女自身の練った計画だとすれば、すべてにつじつまが合う。


「目的地は」デイミオンは半信半疑のまま、機械的に尋ねた。「リアナは、どこへ向かったんだ」


 ロールが答えた。「フィルバート卿のいる、西部領へ向かうつもりだと」


「なんだと……!?」


 ピシッ、という軽い音がして、男たちから「わっ」という悲鳴があがった。ロールの金髪に、ぱらぱらと細かな破片が降ってきた。


「嘘を言うな」

 抑えきれない怒りが、アーダルの力と連動してしまったらしい。間仕切りになっていた布製の衝立ついたてが、ばたばたと倒れていった。遠くからは、地鳴りめいた音まで聞こえてくる。


「お、おしずまりを!!」ナハーラが叫んだ。「ロレントゥス殿の言っていることは、本当なのです!」


 ぎろりとにらむと、ナハーラはおびえつつも「リアナさまの命令と、申しあげたとおりです」と繰り返した。


「おまえたちが、リアナの命令を諾々だくだくと受けるはずがない」

 デイミオンは確信に満ちた調子でつづけた。「脅されたんだな?」


 ナハーラはこくこくと忙しくうなずいた。


「つまり、なにか弱みがあったということだ」

 デイミオンの声が冷たさを増した。「俺の不在を狙って、妻に手をかけようとしたな? ……それくらいのことがなくては、ここまで意のままにされるまい」


「そ、それは、陛下」

 ナハーラは空気を求める魚のようにぱくぱくと口を開閉したが、やがてあきらめたようにうなだれた。


 ロールはその様子を横目に見ていたが、さらに続けた。

「時間稼ぎの嘘ではありません。私がリアナさまと別行動をとったのは、彼女の伝言をお伝えするためでもあります」


「言え」デイミオンが命じた。


 ロールは覚悟を決めたように息をつき、青い目をなんとか王に向けて言を発した。

「『子どもの父親と一緒に暮らすので、婚姻を解消したい』」


 空気が凍る音までしそうなほどの沈黙。


 よりにもよってその衝撃の宣言は、エクハリトス家の男たちの前で、告げられたのだった。

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