第37話 ロールの生家へ

 リアナは眼下を見はるかした。


 なだらかな丘陵きゅうりょうが、緑の海のように広がっている。耕地があり、休閑地があり、草地がある。点々とちらばる牛と、家畜を守る小型の飛竜たち……。このエメラルドグリーンの景色に白竜レーデルルが加われば、さぞ美しい一枚の織物になるだろう。今ごろ、優しい性格の愛竜が自分のことを心配しているだろうと思うと、申し訳なくなった。

 そうもの思いつつも空の上から景色を楽しんでいたリアナは、シジュンの声かけで飛竜ピーウィを降下させた。



 竜騎手ロールの生家は、ニザランの南の入口から見ると北東――王国図ではスターバウ領の西の端にある庄屋だった。緑の海にぽつんと浮かぶ、小ぢんまりした屋敷である。小さいながらも竜舎をもつ、れっきとした竜騎手ライダーの家と見てとれた。

 もちろん、事前に知らされていたわけではないので住人たちは驚いたものの、リアナの訪問を温かく歓迎してくれた。

 四人の美女が一列にならび、そこから女性がひとり出てきて、家長のニービュラと名乗った。声を聴かなければ、ロールと見分けがつかないほど似ている。


「私は双子の姉ですの。こちらは母と、うえの姉たちです」

 女性たちはみな、癖のない絹のような金髪に夏空の青い瞳、均整の取れた長身の持ち主だった。「夜の女神が地上に星ぼしを落としていった」と近隣に言われているらしい、美貌の一家だ。


「先日は、弟に休暇をいただきまして、ありがとうございました。こちらに立ち寄るようにと、陛下に心くばっていただいたと聞きまして……。母が喜ぶ顔を見られて、感謝しております」と、ニービュラ。

「近くを通ったものだから。気にしないでくださいね」リアナも丁重に返した。


 一家はすぐに、リアナを邸内に案内した。古い造りで応接間はなく、広い食堂ホールがもてなしの場となった。


「里帰りをしていて、本当に幸運でしたわ。リアナ陛下にお会いできるなんて」

 ニービュラではないほうの姉が言った。ぽっこりと膨らんだお腹はリアナよりもしっかりと目立っている。

 エクハリトスの分家に養子に行ったロールには姉が三人いて、上の二人が双子、そしてもう一人がかれ自身の双子。それに母が健在だ。三女のニービュラが家を継ぎ、次女が出産のため里帰り中という。その日はたまたま、出産用の買い物を頼まれていた長女とその息子たちも立ち寄っていたため、リアナは一家の女性全員と知りあうことになった。


伝令竜バードの用意をしてまいります」

「あら母さん、私が行くわよ」

「そんな大きなおなかで、なにを言ってるの」

「竜舎の、あの階段のとこがいい運動なのよ」

 家長のニービュラがリアナの相手をしているあいだ、母と姉妹たちも楽しげにやりとりをしている。リアナは姉妹がいないので、うらやましく思った。


「養父のところに行くより、ここでみなさんと過ごすほうがよかったかもしれないわ。妊婦の扱いに慣れておられそうだもの」

 リアナが言うと、長女と次女が口々に賛同した。

「そうなさればいいのに。私たちも楽しく過ごせますわ」

「田舎って退屈ですのよ、毎日毎日おんなじ顔ばかり見るんだもの。おんなじ金髪、おんなじ目、おんなじ嫌味」

「双子ってほんとに面白みがありませんのよ。鏡を見てるみたいで、憂うつになっちゃう」

「それは私のセリフだわ」

 そのかけあいには、おもわず笑みがこぼれた。


 ロールをそのまま小さくしたような男児たちが、めまぐるしく床を走り回っている。何人いるのか数えてみようとしたが、追いかけ合ったり取っ組みあいをしたりと一秒もじっとしていない。まったく同じ顔が四人いるような気がするが、すばやく動きすぎて双子が分裂して見えるのかもしれない。


 伝令竜は半刻ほどでキーザインに届くだろうし、これほどアーダルに近ければデイミオンに直接届く可能性もある。早ければ夕飯の時間には、かれがここにたどり着くだろう。


 昨晩は夜どおしフィルの看病をしていたから、眠気がおそってきた。庄屋らしく豪華に整えられた客間もあったが、ぜひにと勧められてニービュラの寝台でやすませてもらうことにした。頼もしい家長は、「午前に布団を干したばっかりなんです」と教えてくれた。たしかに、これは王城では味わえない最高の贅沢だろう。寝台にもぐりこむと、日に当たった羽毛の匂いで気持ちが落ち着いた。


(デイミオンが来たら、なんて言おうかしら)

 とろけるような枕の感触を頬に感じながら、うつらうつらと考えていた。きっと、烈火のごとく怒っているだろうが……。

(でも顔を見たら、胸がつまってなにも言えなくなりそう。デイの顔が見たいわ……)


 ♢♦♢


 どれくらい眠っていたのだろうか。ロールに似た美しい顔に優しく揺り起こされた。


「ごめんなさいね。でも、竜王陛下がもうじき、お着きになるということでした」

 寡婦かふらしくひっつめにした髪型で、ロールの母クロエとわかった。そうでなければ、姉妹の一人と区別がつかないだろう。容貌が年を重ねない竜族は、服装や髪形で加齢をあらわすことが多い。


「ありがとうございます」

 リアナは微笑んで身を起こした。「起こしてくださって、助かりました。こんなぼさぼさの頭で夫に会いたくないもの」

 亜麻色に近い淡い金髪はふわふわと泡立ったような巻毛で、寝起きには絡まりやすい髪質だ。たまにはコテをあてて伸ばそうかと思うときもあるが、デイミオンが惜しがるので、そのままにしている。

 ――『俺の鳥の巣はどこだ?』、そう言って髪をかき混ぜてくる長い指……。


 髪をととのえようとクロエが櫛を手にするので、リアナは恐縮してことわった。侍女でもない、年長の貴族女性で、しかも自分はもてなされる側なのだ。だが、クロエも譲らなかった。

 娘のドレッサーの前に座らせ、いい匂いの香油をなじませた櫛で髪をいてくれる。いかにも母親らしい、愛情深いが適度に雑なしぐさだった。


「妊婦さんがお一人で動いては、ご主人も落ちつかないでしょう。お迎えにいらっしゃって、よかったこと」

 世話焼きな近所の中年女性といった口調で、声をかけてくれる。リアナは黙って、鏡越しのクロエを見つめた。クロエのほうは淡々と髪のもつれを梳いている。

「……」

 たぶん姉妹の誰かだったら、社交的に受け流していただろう。だがクロエの落ちついた動作と、母親じみたもの言いのせいだろうか。リアナはつい、

「お腹の子の父が、夫じゃないんです」

 と打ち明けてしまった。


「ご主人はそれを?」クロエは顔をあげないまま、やんわりと尋ねた。

「知っています。というより、そもそも第二配偶者は夫の差配さはいだし……」

「おやおや。それで、浮かない顔をしてらっしゃるのねぇ」


「理由はほかにもあるわ。わたしが〈呼ばい〉に弱いので、かれは竜の力をぞんぶんに振るえない。デイミオンは黒竜の王なのに」

「まあまあ」

 クロエの穏やかな声は、相づち以上のものは含まれていなさそうだ。鏡ごしの母親は、王よりも髪のもつれのほうがよほど重要な問題という顔をしている。

 なんだか、自分ばかりが深刻になっているようで(それは当たり前なのだが)、リアナはきまり悪くなった。


「それに……フィルを放っておけない。たった一人、家族から疎外されて、今もまた子どもを取りあげられようとしている。かれが子どもを欲しがってるわけじゃないのは知ってるけど、でも……」

『家族じゃない。そんなものが欲しいと思ったことない』

 養子にするというデイの言葉に、エリサが言いかえしたときのことを思いかえす。家族がいなかったのだから、欲しいと思わなかっただけだと夫は返した。フィルも、エリサとおなじなのではないかと思うことがある。欲しくないのではなく、どういうものかわからないということではないかと。

 それなのに、今のままでは生まれた子どもはデイを父として育つことになる。自分とかれが仲睦まじく子どもを育てているあいだ、蚊帳かやの外に置かれるフィルのことを思うと胸が苦しくなった。


「だから、キーザインにまで会いに行ったのに。もう、新しい恋人を作ってるし」

 フィルには見せなかったふくれっ面で、リアナは愚痴をこぼした。「わたしは、子どものことと二人のことで頭がいっぱいなのに。男のひとって、勝手だわ。フィルだって、悪阻つわりになってみればいいのよ」

「うちのひとは、なっていましたよ」

 クロエは思いだし笑いをしながら言った。「たまにいるみたいね、奥さんの悪阻つわりがうつってしまうという人が」

「……そんなことがあるんですね」

 自分のときのように一日中西瓜スイカばかり齧ったり、急にめそめそと泣きだすフィルを想像して、リアナは少しばかり溜飲りゅういんを下げた。


「そろそろ、迎えに出たほうがよさそうだわ」

 リアナは、なかば自分に言い聞かせるようにして立ちあがった。「……逃げて解決する話じゃないのは、最初からわかっていたんです」


「でも、こうして言葉にするまでには、時間が必要だったかもしれないでしょう?」

 ラベンダー水をかけて服の皺を伸ばしながら、クロエは優しくさとした。

「ニービュラは昔から男勝りのきかん気で、納屋にとじこめてもおやつを抜いても、絶対にいたずらを反省しませんでしたわ。……だけど、ロールが心配して泣きだすと、つられて泣いてしまうのね。その勢いで泣きながら謝って、泣きつかれて、二人で猫の仔のように団子になって寝てしまうの」

 そして母親の顔で笑った。「それを見ると主人も私も、怒っていたことを忘れてしまいましたわ。あんまりにもかわいくて」

「……」

 クロエの言葉を噛みしめてはみたが、夫に怒りをおさめてほしいのかどうか、リアナにはわからなかった。



「すこし、近くを散歩してきてもかまいませんか?」

 そう尋ねた。「夕暮れの景色を見ながら、夫を待ちたいと思うんです」


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