第46話 御花園での裁き:陽花鸞
***
現実世界なんて最悪だった。
平凡な親のもとに生まれた平凡なわたしは、平凡に生きて平凡に死ぬだけ。そう気付いた中学の頃から、わたしは生きるのがつまらなくなった。
どうせなにをやっても一番になれない。目立つことなんてできなくて、いつも誰かについて回るだけ。人数合わせで入れてもらったグループには、わたしなんていてもいなくても同じだった。それでも一人になるよりはマシだから、好きでもないアイドルを覚えて、どうでもいいドラマで時間をすり潰していた。
そんな自分は大学卒業後も続き、就職した会社でも、わたしはただの凡人だった。ハブられることもないけれど、別にいなくてもいい人間。
つらいというより、つまらない日々。
乙女ゲーアプリ『日月の契り』を知ったのは、そんな頃だった。
中華後宮のことなんてよく知らないけど、広告バナーのイラストが好みだったからダウンロードした。始めてみたら結構面白くて、気付けば仕事以外の時間をすべて、それに費やしていた。
現実で死んだのも、『日月の契り』が原因だった。
歩きながらスマホで公式サイトをチェックしていたら、赤信号に気付かず道に出て、横断歩道で撥ねられた。痛いとか苦しいとか思う間もなく、わたしはあっさりと死んでいた。
そして――
気付けば〈陽花鸞〉として、宴の舞台に立っていたのだった。
混乱しながらも順応し、わたしは、十六歳の少女として後宮に入った。
若い身体に美しい容姿。苦も無く与えられる、豪華な着物と上等の生活。夫となったイケメン皇帝と、ちょっと甘い顔を見せればなんでも言うことを聞く召使いたち。
これぞ最高の人生だと思っていた。
――皇帝の心が、わたしに向いていないことに気付くまでは。
(きっと騙されてるんだわ。あの悪女に)
星光眞はゲームと同じ黒髪黒目で、見るからに悪役といった姿をしている。ゲームと違ってちょっと格好は地味だけど、それでも悪女であることに変わりはない。見た目と同じ地味な嫌がらせもされたけど、ヒロインであるわたしは負けなかった。
だけどそれでも――月珀英は、こっちを向いてくれなかった。
(もういいわ。どうせそんなに好きでもないし)
もともとわたしは、権力はあるけど気難しい月珀英より、他の攻略キャラのほうが好きだった。
武官の
武官の晋彭と文官の琴敬。どちらにしようかと思っていたけれど、サブルートに入るはずの春の園遊会では、どちらにも会うことができなかった。
むしゃくしゃしたので、代わりに適当な男に声をかけた。愛らしい陽花鸞が微笑めば落ちない男はなく、許された遊びだと嘘をついて、欲求不満を解消した。顔は好みじゃなかったけど、たまに遊ぶには都合がいい。宦官にお金をあげて、いつでも連絡が取れるようにしておいた。
――妊娠に気付いたのは、秋の園遊会が過ぎてからだった。
この後宮では産婦人科がない代わりに、占いで性別を調べるらしい。ちょっと気持ち悪かったけど、男の子だとわかって周りの態度が明らかに変わった。
星光眞もその一人だ。
やたらと優しくなり始めた彼女は、わたしを皇后にと言い出した。男の子を産む以上そんなの当たり前なのに、恩着せがましくてムカついた。せいぜい利用してやろうと思って、感謝しているフリをしていたけど、本当は気持ち悪くて仕方なかった。
そんな時に――
あの〈手紙〉を受け取ったのだ。
差出人の『星麗藍』という名前には聞き覚えがなかった。けれどその名字だけで、あの悪女の身内だということはわかった。
なんの嫌がらせかと思ったけれど、その内容は驚くべきものだった。
『玄晶宮にある星の光は、この国の闇を深くする。ともに手を携え、月の朝廷に
それはとても遠回しに、けれど確かに、わたしの味方となる手紙だった。
わたしは手紙を持ってきた侍女を優遇して、その『星麗藍』とのやり取りを始めた。彼女はなかなか賢くて、星光眞を出し抜き、陥れるための方法をわたしに教えてくれた。
二本一組の毒薬をくれたのも、『星麗藍』だった。
遅効性と即効性のペアで、それぞれ片方だけ飲むと毒だけど、両方を飲めば毒素が相殺されて効かなくなるという。遅効性の毒を隠れて飲んだ後、即効性の毒を入れたものを“毒味”と称して目の前で飲んでみせれば、星光眞もまんまと引っかかるだろうとのことだった。
もちろんわたしも、最初からそれを信じたわけじゃない。適当に下女を見繕って実験台にした。二人ほどが死んでくれた結果、手紙の内容が真実らしいと確認できた。
そして――立后の祝宴で、わたしはそれを実行した。
宴が始まる前、わたしと月珀英だけでお酒を飲んだ。“予祝の盃”と称したそれで、遅効性の毒を飲んだのだ。そして事前に買収しておいた女官を使って、祝宴の儀式で飲むお神酒の酒壺に、即効性の毒を入れさせた。
そうして見事、星光眞だけが血を吐き倒れたのだ。
「――やっぱりわたし、あなたのことは信用できないの。たくさん役に立ってくれたけど、これ以上はいらない」
「っえ、……」
「だってあなたは――『稀代の悪女』なんですもの」
そう告げた時の、星光眞の間抜け面といったら。
わたしに
『星麗藍』にも言われた通り、すべては星光眞の自作自演にした。聞えよがしに疑う人もいたけれど、皇后になったわたしに直接文句をつけるやつなんていない。
わたしは、立后のお祝いを穢された可哀想な皇后さま。
星光眞は、薄汚く死んだ負け犬だ。
(これでもう、邪魔するものはいない)
皇后の座も月珀英も、これでみんな、わたしのものだ。最高位になったわたしに口答えするものなどいないし、いれば愛する大家に言いつければいい。処刑でもなんでもしてくれる――はずだったのに。
星光眞が倒れた日から、皇帝のお渡りはパタリと途絶えた。噂では、生死の境をさまようあの女を心配して、余所への訪問を控えているらしい。
(どうせ死ぬ女なのに、馬鹿みたい)
そんな理由でわたしが我慢するのもムカついて、遊び相手に連絡を取った。いつもの宦官にお金を払えば、皇帝以外とだって簡単に会える。そうして逢瀬を楽しんでいたところに、忌々しくも乱入者があったのだ。
「きゃあっ! なに!?」
幸い服は着ていたけれど、突然入ってきた宦官たちにはぎょっとした。抵抗する間もなく、遊び相手ともども手首を縛られてしまう。
「わたしを誰だと思ってるの!?」
「すぐに大家が来られます。今しばらくお待ちください、娘々」
そう見下ろしてきた宦官の目は、道端のゴミでも見るように冷ややかだった。
固く冷たい床に跪かされて待つのは、屈辱以外のなにものでもなかった。それでも月珀英さえ来たら、泣き落としでもなんでもして、この宦官たちを罰してもらおうと思って堪えていた。
それなのに。
「大家……――!」
待ち焦がれた月珀英の隣には、黒髪の女が寄り添っていた。
瀕死のはずの――毒殺してやったはずのその女を見た瞬間、あまりの憎しみに、脳みそが焼き切れてしまうかと思った。
それでも我慢してごまかそうとしたのに、次から次へと裏切られて、遊び相手にわたしのせいだと言われたところで限界がきた。おまけに自分から頭を下げるし、わたしにひどいこと言うし、それなのに誰もわたしを助けてくれなくて。
「なんでよ、わたしを誰だと思ってるの!? 陽花鸞は主人公よ!? 主人公を破滅させる馬鹿がどこにいるっていうの!? みんなわたしを愛しなさいよ!!」
「あなたがなんの話をされているのかは存じませんが――人を何者かに為さしめるのは、その人の思想と言動です」
「はあ?」
意味のわからないことを自慢げに、哀れむような目で言う女が癪に障る。死にぞこないが口出しするなと、誰かが言ってくれればいいのに、みんな同じような目でわたしを見下して。
ムカつく、ムカつく、ムカつく――!
「えらそうになによ! 珀英さまの子どもを産むのはわたしなんだからね! あんたみたいな不妊女とは違うんだから!」
後宮なんて結局、子どもを産んだもの勝ちだ。えらそうなことを言ったって、子どもがいないってことは、ろくに抱かれていないってこと。ろくに抱かれていないってことは、本気で愛されていないってことだ。
みんなに愛されているのはわたし。
だってわたしは、主人公なんだから。
「だいたいあんた、なんでまだ生きてんのよ! 死んだんじゃなかったの!? これ以上わたしの邪魔をしないでよ――〈稀代の悪女〉のくせに!」
あそこであのまま死んでいれば、こんな面倒事にはなっていなかったのに。
関係ないくせに口出ししてきた女は、月珀英が追い出してくれた。やっぱりわたしは愛されている。慌てたせいでちょっと大声も出してしまったけど、月珀英は、後宮の空気に染まらない陽花鸞が好きだから大丈夫なはずだ。
期待を込めて、彼の黒い瞳を見つめる。
じっと見つめ返してくれていた月珀英は、やけに長い間を置いてから、わたしの隣へと顔を向けた。裏切り者の男のほうへ、淡々とした声をかける。
「今この場で、そなたの罪を償わせてやってもよい」
「な、なんなりと……!」
即答した男に、月珀英が顎を動かす。
後ろにいた宦官が、男の縄を解いてその手になにか握らせたのがわかった。それを見ようと振り返ろうとしたわたしは、突然、背中から強く押さえつけられた。痛いし苦しいし、振りほどきたいけど叶わない。
「ちょ、ちょっと! なにを……!」
「その女を殺せ」
目の前に落ちた言葉の意味が、わからなかった。
「首を撥ねよ。さすれば此度のことは不問とする」
重なる命令に息が止まる。その声は月珀英のものだった。わたしを愛しているはずの月珀英が、わたしの首を撥ねろと命じていた。
さらり、と衣擦れにも似た金属音がして、我に返った。わたしは顔も上げられないまま、それでも必死で訴える。
「待って! 待ってよ、わたし妊娠してるのよ!? あなたの子どもなのよ大家! わたしが死んだらこの子も死ぬの――わかってる!?」
「その
言い返そうとした口を、汚らしい床に押し付けられる。うなじにひやりとした風が当たり、無意識に肌が粟立った。無理矢理に顔を横に向け、喘ぐように叫ぶ。
「後悔するわよ、こんなこと……!」
「そなたほどの悪女を一時でも皇后位につけたことこそ、朕は終生悔やむだろう」
やれ、と短い一言に、背を押す力が強くなる。
頭の上で、空を切る鋭い音がして――
――胴から離れて数秒間、わたしの首には意識があった。
すぼまるように欠けていく視界の中、血だまりにも染まらない、真珠色の毛並みをした獣の脚を見た気がした。
『ずいぶん引っ掻き回してくれたけど、これでおしまい。おまえのような魂は、もう二度と廻らないようにしてやろう』
そんな声を、聞いた気がして。
そして、わたしは、終わった。
***
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