第35話 冬至祭①
そして、冬至祭の日がやってきた。
「すごいわよ、もうたくさんの馬車が来てるって」
朝、自室から談話室へ下りていくと、同級生の女の子たちが興奮交じりにしゃべっていた。男子寮の誰かが、門の辺りまで様子を窺いに行ってきたらしい。
「お母様、もう来ているかしら」
「うちは弟を連れてくるそうなの。ご紹介するわ」
王立魔法学院の冬至祭は、昼の部と夜の部に分けられる。
生徒中心のパーティーが行われる夜の部とは異なり、学院司祭の説教や聖歌合唱、聖劇が行われる昼の部は、生徒父兄たちにも開放される。正面大門は朝から開け放たれ、大聖堂には早くから多くの人々が詰めかけていた。
そして、それらに輪をかけて浮足立っているのが、生徒たちだった。
(いくら貴族階級でも、十代の熱量は変わらないものね)
遠く懐かしい、現代日本での文化祭を思い出す。あまりに遠い記憶過ぎて、実際に自分が経験したことか、それとも漫画やドラマで見たことなのか、判別がつかなくなっていたけれど。残念。
そうしていると、じきに黒髪の令嬢も談話室に現れる。
「おはようございます、リディアーヌ様」
「おはよう、ステラ」
互いに笑みを浮かべ、それ以上に雄弁な目線を交わす。
「――今日は、頑張りましょうね」
「ええ」
私たちにとっての本番は夜。
それでも今は慎ましく、冬至祭に参加するのが、生徒としての務めだった。
学院司祭による冬至の説教は、星女神による
遠い昔。星女神の権威を笠に着た星空は、一日の中で次第に幅を利かせるようになった。どんどん長くなっていく夜に、やがて人々は耐えきれなくなり、嘆きの祈りを星女神へと向けた。女神は人々と星々、双方の祈りを聞き届け、昼と夜に満ち欠けを作って世界に平和をもたらしたという――ようするに、一年のうちで一番夜が長い冬至と、そこから再び昼が長くなっていく現象への、信仰的な理由付けだ。
この奇跡譚自体は、私も故郷の礼拝堂で聞いたことがあった。田舎と王都で異なるのは、耳を傾ける聴衆の数と、説教を彩る聖歌隊の素晴らしさだった。
(あ、リュカ様)
妖精のような子爵子息の姿を見つけ、耳を澄ませる。合唱の中にありながらすぐにわかる、儚くも力強い澄んだ歌声だ。
最後の一音が消えると同時に惜しみない拍手を送りたくなったが、それは冬至祭の礼典の一環。後日に賛辞を贈ることにして、その場は抑えて見送った。
大聖堂での礼典が終わると、昼休みが挟まれる。ここでもお祭り仕様というか、食堂と付近の中庭が開放され、昼から品の良い立食パーティーの様相だった。
(なるほど、親同士の社交場でもあるってわけね)
人脈を広げるためには、確かにいい機会だ。朝から馬車が押しかけるだけはある。
その中において、帰還した〈星女神の乙女〉たる私が、放っておかれるはずもない。直接話しかけてくる人は少ないものの、どこを歩いても、意味深な視線や陰口がついて回った。
いつもなら庇ってくれる転生令嬢たちも、それぞれ親類縁者への挨拶に行っている。「よければ一緒に」と誘われたのに、いつもの調子で断ってしまったことを今更ながら悔いてしまった。
午後までどこかに撤退していよう、と思った矢先。
「きみがステラ・シャリテかね」
振り向くと、上品な身なりの男性がいた。誰かの親御さんだろうという年齢ながら、すらりとした長身で見栄えがいい。よくある金髪は見過ごした私も、その双眸には引き付けられた――冬の湖面のような静かな青さは、寮で毎日見ているものと同じだった。
男性は、低く落ち着いた声音で名乗る。
「私はマティアス・ド・バランスという。きみのことは、弟と娘からよく聞いているよ」
「バランス――ミュリエル様のお父様でいらっしゃいますか?」
ああ、と品よく頷くその人は、なんと私の伯父様らしい。私は慌てて、スカートをつまんでお辞儀をした。
「父も私も、ともに侯爵様ご一家にはお世話になっております」
「ふむ……弟の子とは思えないほど、よくできたお嬢さんだ。きみのような子が〈星女神の乙女〉として戻って、我々国民も、ようやく安心できそうだな」
言葉だけ掬えば当てこすりにも思えるが、実際に耳にすればそうは思わない。穏やかな眼差しで、ただ事実だけを述べるその話し方は、彼の娘にそっくりだった。
しかしその言葉に、私は思わず目を走らせる。
「あの、今日は、父は……?」
「ああ、どうにか屋敷に置いてきたよ。きみのことになると強情が増すようだが、多少は成長したのかな、昔よりは話が通じたからね」
「それは、お手数をおかけしました」
大好きな父ではあるけれど、今日この場には来てほしくなかった。他者の視線も陰口も、実の当事者が現れれば、今の比ではなくなるだろう。
ほっと肩を下ろした私は、見定めるような目を向けられていたことに気付く。バランス家当主は、湖面のような瞳で私を見据えたまま、僅かに率直な顔を見せた。
「愚かな弟だが……妻亡き後もきみを無事に育て上げ、再び王国へともたらしたことは、感謝すべきことではあるな。真に国に反し、国外逃亡などされていては、我が国から永遠に星女神の加護が途絶える危険もあった」
「……私の父母は、やむにやまれぬ事情で王都を出たと聞いています」
怯むことなく微笑で応じる。
「私もまた、やむにやまれぬ事情で王都へ入りました。初めからそうなるべく、すべて、星女神様の御意志だったのでしょう」
大口を叩いた自覚はあった。それでもこの場で、唯一そう言い切れる人間がいるとすれば、それは私以外にいないと言えた。
マティアス・ド・バランスは、しばし、考えるように間を置いた。そしてやがて、静かな調子で、しかしきっぱりと言い渡した。
「きみの父親は、バランス家を捨てた。今更その名を名乗らせるつもりはないし、本人も名乗らないだろうが……それでも我がバランス家は、女神の御意志に従い、きみの支えとなろう。それが引いては王国のため。――なにかあれば、遠慮なく娘に言いなさい」
その言葉は、遠巻きにしている周囲に聞かせる意図もあったのだろう。
バランス侯爵家は過去の遺恨を捨て、戻った〈星女神の乙女〉を受け入れて、その後ろ盾となると宣言したのだ。
先代聖女と今ここにいる私とを、ようやく切り離して認識できたらしい貴族たちが、面食らったように慌てだす。バランス侯爵が去れば擦り寄ってくるのだろうとありありとわかるその様に、私は丁重な礼を返した後、「侯爵様」と伯父を呼んだ。
「よろしければ、ミュリエル様の昔話などお聞かせ願えませんか?」
「うむ? ミュリエルの?」
「どうすればあのように素晴らしい淑女になれるのか、ぜひとも、御父上の目線からご教授いただきたいのです」
――優秀な我が子を厭う人はいたとしても、“優秀な我が子を育てた自分自身”を厭う人というのは、あまりいない。大抵は、他人にくすぐられれば思わず応えてしまう自負があるはずだ。
伯父がどういう人間かは定かでないけれど、少なくとも、この話題で私の昼休みがほとんど潰れた程度には娘の教育に熱心だった。おかげで私も、遠巻きにする余計な雑音に悩まされることなく、有意義な時間を過ごすことができたのだった。
やはり力のある後ろ盾は大切である。ありがとうバランス侯爵家。
午後からの聖歌合唱と聖劇は、大きな問題もなく終えられた。
第三学年には知り合いがいないけれど、おかげで聖劇の内容は先入観なく入ってきた。以前、ジェラルドに聞いた通り、三百年前の第二次聖戦を元にした奇跡の物語だ。国王と〈星女神の乙女〉、〈星騎士〉、星女神が主な役どころで、それぞれ人気の先輩方が演じていたようだ。……ちなみに〈星女神の乙女〉役の先輩が、金髪碧眼でどことなく私に似ている気がしたけれど、それは気のせいということにしておく。
ともかく父兄参観の時間も終わり、三々五々に馬車列も去って、学内は再び静けさを取り戻した。嵐の前の、ほんの僅かの静けさを。
「――まああ、ブランシュ! なんて可愛いの! このまま部屋に飾っておきたいくらい素敵だわ!」
「えへへ。リディアーヌさまこそ、お綺麗ですわ。その瞳と同じ色のドレス、とてもお似合いです」
「うふふ、そう?」
きゃっきゃとはしゃぐ美少女二人。
そんな光景がそこかしこに見えるのは、夕方の女子寮談話室。美しいドレスに身を包み、髪を飾った少女たちには、朝とはまた違った興奮が満ちている。正直、比べものにならないくらいの熱量だ。
色とりどりのドレス姿が集う様は、まるで、ここにだけ一足先に春が来たかのようだった。
「あっ、ミュリエル! ステラ!」
こっちこっち!と手招くリディアーヌ嬢が身につけるのは、菫の花のような鮮やかな紫のガウンドレス。ハーフアップで編み込んだ黒髪には、同色の貴石が控えめに飾られている。なんとも気品ある取り合わせだが、そうとは思えないほど、本人の笑顔は元気いっぱいだ。
「おしとやかにしましょうね、リディアーヌ。今夜は特に」
にこやかに窘めるミュリエル嬢を飾るのは、淡い緑色。ブランシュの台詞で気付いたけれど、その色は、王弟殿下の瞳の色だ。まとめられた銀髪を彩るのも同色の貴石と真珠の粒で、女神のように現実離れした彼女の美貌を、より一層際立たせている。
「みなさまお綺麗で、なんだか気後れしてしまいますわ……」
二人が並んだ途端、萎縮したように呟くブランシュ。彼女がまとうのは落ち着いたピンクで、重くなりがちなその印象を、繊細な白レースが和らげている。小麦色の髪に飾られているのは、同じレースで作ったリボンと、色とりどりの小さな生花だ。
不安げにしていた彼女の目が、私に留まってふと微笑んだ。
「そのドレス。やっぱり、ステラさんにとてもお似合いですわ」
「ありがとうございます。ブランシュ様のおかげです」
微笑み返して見下ろす色は、蒼天のような深い青。その縁取りには、金と碧の糸を組み合わせた、流れるような刺繍模様。――今日、私がまとうのは、母の形見であるあのガウンドレスだった。
流行にそぐわないその形を、それなりの見映えがするように仕立て直した。それを手伝ってくれたのが、なにを隠そう、この家庭派伯爵令嬢なのだ。
縫い目を見るように近付いてきたブランシュは、ふと、私の首元に気がついた。
「あら、綺麗なペンダントですわね。ドレスの青に映えてすごく素敵」
「ありがとうございます。……これも、母の形見なんです」
襟ぐりが開いたドレスでは、いつものように隠せない。人目にさらすことには躊躇があったけれど、置いていくわけにもいかなかった――今夜のことを考えれば。
(オデイルは……いないのね)
熱気に満ちた談話室に、赤毛の少女の姿はない。そもそも彼女の性格では、誰かとパートナーを組んでまでパーティーに参加しそうもないと言えば、そうだった。
(けれど、その動向は見張られているはず)
不審があればすぐに報告され、取り押さえるだけの手勢もいるはずだ。
前日にも確認したその手筈と準備を、ここでもう一度確認するために、黒髪の転生令嬢へと微笑みかける。
「準備は、よろしいですか?」
こちらへ向いた彼女も、確かな力強さで頷き返す。
「ええ――もちろん」
時間を知らせる鐘が鳴り、談話室のドアが開かれる。
その外では、一年で一番長い夜が、始まろうとしていた。
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