第36話 冬至祭②


 女子寮の前は、今か今かとパートナーを待つ男子生徒たちで溢れていた。

 私も幼なじみを探そうと目を向けるけれど、どうしたことか見つからない。その一方ですぐに寄ってきた第一王子によれば、寮に戻って以降、気付けばいなくなっていたらしい。

 こんな時にいったいどこへ……と思っていると、「ステラさん!」とクラスメイトに声をかけられた。


「よかったわ、探していたの。オルビット先生がお呼びですって。パーティーの前に用事があるから、すぐ第四講義室まで来るようにって」

「えっ!」


 驚きの声はリディアーヌとかぶる。


「ええと……先生は、なんのご用なのでしょうか?」

「さあ? ごめんなさい、そこまでは聞いていないの」


 とにかく伝えましたから、と慌ただしく告げて、彼女は自分のパートナーとともに去っていく。

 リディアーヌは、私よりも愕然としてそれを見送った。


「嘘でしょう……こんな時に、いったいなんなのかしら。パーティーの前と言ったって、もう開場の鐘も鳴ってしまったのに」

「まあ、大丈夫だろう。ダンスの開始までは、まだ余裕がある。先生もそのつもりで呼び出しているはずだしな」


 渦中の人物でありながら、なにも知らないヴィクトル王子。いつもの調子で宥めてくる婚約者に、「あなたの安全に関わることだ」と言いたくとも言えないリディアーヌは、もどかしそうに彼を見上げた。

 ……気まぐれな十代らしく、無視することもできるだろう。けれどここは、さっさと行って、さっさと戻ってくるほうがよさそうだ。


「ひとまず行ってまいります。始まるまでには戻るつもりですが――もしもの時は、なにかとよろしくお願いいたします」

「……わかったわ。気をつけてね」


 頷いた彼女たちを残し、私は一人、ドレスの裾を翻した。





 第四講義室は、講義棟の二階にある。

 回廊から繋がる扉を入るとすぐに上階へ向かう階段があり、そこを上って左へと進めば、灯された明かりの先に、その扉が見えてくる。

 いつも使う建物でも、人気のない夜には不気味さが増す。そんな中、樫材の重い扉を開けると、柔らかな光とともに暖房の空気が溢れ出た。ちゃんと誰かがいるらしい。思わずほっとしそうになるが、講義室の前中心――舞台にも見える教壇にいた人物に、私はそのまま動きを止めた。


「……レオナルド先生?」

「やあ。ステラ・シャリテ」


 そこに立っていたのは、レナルド・レオナルド先生だった。

 編入したての頃、第一学年の基礎魔法学を担任していた男性教師だ。授業中の監督不行き届きを理由に解任されてからも、研究職として学院に留まっていることは知っていた――その彼が、どうしてここにいるのかは知らないけれど。


「オルビット先生をご存知ありませんか? パーティーの前に、なにかご用があるそうなのですが」


 私を呼び出したはずの女性教師は、見える範囲のどこにもいない。もしや代理でこの人物がいるのかもしれないと思って問うが、相手は笑って否定する。


「いいや? 知らないな」

「まあ、そうですか」


 行き違いになったのかしら、と呟く間もなく、相手は歌うように言葉を連ねて足を踏み出す。気取った足取りで、私へ向かって。


「ここにはわたし以外、誰もいないし、来ることもない。堅苦しい女教師も、生意気な王子も、身の程知らずの下民風情も――」

「……先生?」


 不穏な空気に目をすがめる。

 中年教師の顔が、愉快げに歪む。

 その間にも距離は縮まり、違和感が警鐘へと変化する。これ以上はいけないと、私は、さっと会釈をして辞意を告げた。


「オルビット先生もいらっしゃらないようですし、私は失礼させていただきます。お邪魔いたしました」

「残念だが、それはできない相談だ」


 無視して扉を開けようとするが、ドアノブが石のように固まって動かない。押しても引いても、開くどころか揺れる気配すらなかった。


「どうして――」

「それは」


 間近で声がしてその場を飛びのく。背後に立っていたレオナルド先生は、余裕を湛えた笑みのまま、まるで講義中のように言う。


「扉封じの魔法だ。土と水の精霊を操り、扉と周囲の壁に対して直に働きかけて扉を封じる。使用する魔法士のレベルにもよるが、今そこにかかっているものは、破城槌や大砲をもってしても破れない非常に高度なものだ」

「…………」

「それだけではない。この建物自体には、火と風の属性魔法を駆使した結界が張ってある。中の物音は一切洩れず、許可したもの以外の出入りもできない。誰もいないし、誰も来ない。――ここにいるのは、わたしときみの二人きりだ」


 ありがたい解説の間にも、私は相手から目を離さないまま、じりじりと距離を取り続けていた。最後にトドメのように付け足された下卑た笑顔にも、別段反応せずにいると、初めてつまらなさそうに相手の顔が歪む。


「なんだ、思ったよりも怯えないな。その可愛げのなさまで親譲りか」

「…………。レオナルド先生……あなた」


 不意に思い至ったその答えに、私は足をぴたりと止めた。

 そしてこれまで、教師としか思っていなかった相手を睨み据える。


「十七年前、私の母を――エトワール・シャリテを監禁しようとしたのは、あなただったんですね」

「……おやおや。おやおやおや」


 見開かれた両の瞳も、後ろへと撫でつけられた髪も黒。気取った物腰で意識しづらかったけれど、その年頃も、確かに父と同じくらいだ。その他はただの勘だけれど、こういう時の女の勘はだいたい当たる。

 レナルド・レオナルドは唇を吊り上げ、これ以上なく愉快だとばかりに拍手喝采をまき散らした。


「――ご明察だ、ステラ・シャリテ! さすがは特別編入生! 素晴らしい推察! それともあの男の入れ知恵か? まあいい、きみの成績には優をつけてやるとしよう!」


 ――ふざけている。

 殴りたくなる衝動を堪え、その目を見据えて丁重に断る。


「お褒めに預かり光栄ですが、先生の講義は受けておりませんので、またの機会に置いていただければと思います」

「そうか。そうだな。ではこの場で存分に可愛がってやることにしよう」


 品位を失いつつあるその顔に、今この段階で、この男には変態の烙印を押すことと決めた。そうとも知らずに、変態教師はまたこちらへと足を踏み出した。


「きみは母親によく似ている。美しい金髪も愛らしい顔立ちも、見つめていると、まるで時が巻き戻ったかのようだ。彼女はよく俺に微笑みかけてくれた。愛らしい声音で話しかけてくれた。それなのに――あんなくだらない男と一緒になるなんて、まったく馬鹿な女だ」

「“くだらない男”に“馬鹿な女”ですって……?」

「――その通りだろうが!!」


 途端、相手が悪鬼に変貌した。


「俺が嫁にしてやると言ったんだ、レオナルド家屈指の天才であるこの俺が! そうだというのにあの女、暴力しか能がない馬鹿な男と駆け落ちだと!?  フィリベールまであいつらの弁護をしやがって……この俺を馬鹿にするにも程がある!」

(……この男は)


 怒りが胸中で渦を巻く。私の両親だけでは飽き足らず、国王まで侮辱するとは何様のつもりなのだろう。

 それでもまだ堪えていた私を煽るように、男は笑う。


「まあ、その報いは受けてくれたからな――聖女が僻地で病死など、聞いて呆れる。きみは、同じ間違いは犯さないだろうな。

「……は?」


 この男、今、なんと言った?

 母への侮辱も耳に余る。しかしそれを越えて、聞き逃してはならない証言を、今この男はしたのではないか?

 私の動揺をせせら笑い、男は決定的なことを吐き捨てた。


「あのまま父親が焼け死んでいれば、きみは哀れな孤児として、とっくに俺のモノになっていたはずなのになあ」

「――――っ!!」


 カッと頭に血が昇り、拳を握り直した時だった。


『その辺にしておいてもらおうか』


 少年のように軽い声。世界の薄膜が弾けるような感触とともに、次の瞬間、そこには気高く美しい獣が現れていた。

 彼は虹色の角を擦り寄せて、私の持て余した感情を、いとも簡単に拭い去る。


『愛しのステラ。ボクの可愛い〈乙女〉。これ以上の我慢は必要ないよ。この男は、きちんと処分してあげるからね』

「ユニ……ありがとう」


 その男は「〈一角獣ユニコーン〉か」とさすがに驚いた様子だったが、ぽかんとしていた間抜け面は、見る間に傲岸な笑みへと取って代わった。


「ふうむ、伝承通り、なかなか美しい獣だな。〈星女神の乙女〉のおまけに飼ってやるのも悪くない。どうだ? 俺に忠誠を誓うというなら、その角を折らずにおいてやってもいいぞ!」

(…………。こいつ……)


 心底アホだわ、と感心する。どうしたらそれほど自尊心の塊になれるのだろう。

 ユニも呆れが他を上回ったように、幼子相手のような声を出した。


『おまえは勘違いしているね』

「なに?」

『自分の立場や力量も、なぜ〈一角獣〉が星女神の獣と呼ばれているのかも、なにもかもわかっていない。わかろうとしていないのかな』

「……なにを言っている?」


 険を増す男を、ユニは鼻先で笑い飛ばす。


『おまえ程度じゃ、ボクの相手にはならないってことさ』


 右前脚を振り上げる〈一角獣〉。その蹄を床に打ち下ろすと同時に、そこから見えない波が立ち起こる。星獣を中心に人も扉も石壁さえもすり抜け駆け抜けたそれが、なにかを次々に打ち破っていくのが、目ではない部分で感じられた。

 なにが起こったかわからない私に対し、レナルド・レオナルドは、目に見えて狼狽し始めた。


「ま、まさか、そんな……すべてだと!? 俺の魔法を、すべて一気に解除など、そんなこと、できるはずが……っ!」

『できるんだよねえ。ボク、星女神の〈一角獣〉だから』


 かつ、と蹄で歩み寄るユニ。


『おまえにはステラだけじゃなく、エトワールの借りもあるからね。あの時はいいところをパトリスに持って行かれちゃったけど――今回はちゃんと、ボク直々に始末をつけてあげよう』

「ひっ……!」


 あっと思う間もなく、背を向けたレナルドが走り出す。体当たりするように扉を抜けていくその後を、私は考えるより先に追いかけた。逃がすわけにはいかなかった。

 しかしその逃亡劇は、思いのほか早く止められた。


「――どけ!」


 怒声が聞こえたと思ったら、直後に鈍い音と「ぎゃっ!」と短い悲鳴が続く。ちょうど階段の降り口付近で、地面に俯せで転がったレナルド・レオナルドを、誰かが取り押さえていた。

 その人物が、顔を上げる。


「無事だったか、ステラ。とりあえずこいつ捕まえたけど、よかったか?」

「ラウル――」


 ありがとうと口にする前に、下から苦しげな抗議が上がる。


「き、貴様、俺を誰だと思っている!」

「知らねえよ。誰だあんた」


 たぶんラウルは本当に知らないのだが、それがちょうどいい感じの煽りになる。青くなったり赤くなったり忙しいレナルドは、私たちが追いつくのを見て、突然、自棄やけになったように笑い始めた。


「まあいい! まあいい! おまえらのことなんて、もともとおまけだからな! 王族というだけで偉そうにするあのくそ生意気なガキを始末できたなら、おまえらのことなどどうでもいいわ!」

「王族を始末ですって?」


 聞き捨てならない言葉を拾うと、男はにやにやと得意げに笑う。


「残念だったなあ、聖女様。おまえが守るべき王族の人間は、今頃とっくに死んでるよ。こうしている間にも、俺の駒は動いているんだ。あれは金を払えばなんでもするいい駒だからな。フッ、ハハハ! パーティー会場は阿鼻叫喚だ! 肝心な時にいなかった聖女のことを、どれだけのやつらが怨むだろうなあ!」

(――それはつまり)


 第一王子暗殺計画は、やはり進行中ということだ。この男が言うようにすでに起きてしまったかは定かでないが、それならなおさら、今すぐにも現場へ向かうべきなのは確かだった。

 さすがのラウルも、煩わしそうに捕らえた人間を睨み下ろす。


「お貴族様ってのは、案外まともな人たちだと思ってたけど、あんたみたいなやつもいるんだなあ」

「うるさいっ! うるさいうるさいうるさいっ!」


 駄々っ子のような三十路男に呆れていると、不意に別の声がした。


「そのような謀反人と同列にされるのは心外です。ラウル・トロー」

「――オルビット先生!」


 階段を上ってきたのは、気品と厳格さを併せ持つ、我らが第一学年の主任教師。厳しい目つきで、彼女は組み敷かれた同僚を見下ろして佇んだ。


「状況はあらかたわかりました。レナルド・レオナルド卿。あなたには、詳しい事情を聞かせてもらわねばなりません。ええ、もちろんレオナルド家にも子細を伝えましょう。そのうえで、しかるべき場所で、しかるべき裁きを受けるよう覚悟なさい」

「俺が……っ裁きだと……!?」

「――ラウル」


 学院側の第三者が証言するならもういいだろう。またうるさくなる前にと私が呼ぶと、ラウルは委細承知とばかりに、手刀を男のうなじに落とした。狙い違わず、男はがくりと失神する。

 虚を突かれたように真顔でそれを見下ろす主任教師に、私はあえて進み出て、己と〈一角獣〉の姿をさらした。


「失礼いたします、オルビット先生。先程のレオナルド先生のお言葉は、〈星女神の乙女〉として看過できません。今すぐ会場へ向かわせていただきます」

「――ええ、わかりました。こちらの後始末は任せて、急いでお行きなさい」


 頼もしい了承をいただいて、相棒を呼ぶ。


「ユニ」

『はあい、ステラ』

「一番早い方法で、パーティー会場になっている講堂へ」

『了解!』


 差し出された真珠色の首に手をかけた、次の瞬間――私はすでに、人いきれのする即席舞踏室ボールルームにいた。

 そして、


「――リディアーヌ! リディアーヌ!!」

「リディアーヌさま!」


 割れた人波の中心には、真っ赤な血を流し、真っ白に血の気の失せた、黒髪の転生令嬢が倒れていた。





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