第44話 花を暴く


 珀英様はその後、日に一度は訪ねてきてくれた。


「よろしいのですか? こうも頻々と私のもとへ来ていただいて」


 お渡りを待っている方々もいるのでは、と気遣うけれど、彼は眉ひとつ動かさずに平然と言う。


「宰相子女である徳妃が危うい状態なのだ。他の妃嬪のもとへ通っている場合ではなかろう」

「……左様でございますね」


 それが建前でも本心でも、こうして会えるだけで私は嬉しいので仕方がない。抑えきれない気持ちに頬を緩めると、夜色の眼差しも、どこか和らいだように見えた。

 それにしても、と改めて室内を見回した珀英様は、今度は少しだけ眉を顰める。


「まことにこの臥室しんしつから出ていないのか。宮の内くらいならば、多少、出歩いても構わないのではないか?」


 暗殺者の目から隠れるため、目覚めてからこちら、私は玄晶宮の臥室に引きこもっていた。調理も食事も入浴も、汚い話だが排泄もここで済ませている。

 とはいえ、人目を避けつつも換気は怠っていないし、香も焚いてあるので異臭等はしないはず。永喜も潭淑妃もなにも言わないから大丈夫なはずだ。……たぶん。

 一瞬、乙女心に不安が過ぎった。けれど不快ならはっきり言う人だと思い直して、おとなしく問われたことにだけ答える。


「念には念を入れませんと。どこに誰の、どんな目があるか、わかりませんので」

「しかし、窮屈であろう」

「意外と慣れるものですわ」


 根っからのお嬢様なら窮屈だろうが、十六年ほど森の小屋で過ごした私には、これくらい余裕だ。外部の手を借りられない分、永喜たちには迷惑をかけるけれど――


「そう長いことではございませんでしょうし」


 言い切った私を、珀英様が見据える。


「なにかわかったのか?」

「確たる証拠はまだですが、いろいろと、耳に入ることもございます」


 私が臥室に籠り、侍女たちの手を煩わせているのは、外からの目をごまかすためだけじゃない。仕えるべき主の不調により仕事量の減った下女たちを、他の妃の宮や裏方へと、疑われることなく送り込むためでもある。


 先日、私が永喜に頼んだのは、陽花鸞の詳しい身辺調査だった。

 後宮妃である以上、私にも個人的な情報網というものがある。けれど、その基本は広く浅く。その中から気になる話があれば、特別に調べることもある程度だ。

 それを今回は、陽花鸞へと全振りした。

 もちろん、潭淑妃の情報網からも、皇后の噂は入ってきている。けれどその情報の精度を上げるためには、他者の取捨選択を介さない別方向からの情報も必要だった。誰が誰になにを語り、なにを伏せたかも大事な情報だ。

 おかげさまで、直接的であれ間接的であれ、陽花鸞についての噂をいろいろと手に入れることができている。


「どうやら娘々のもとには、彼女が貴妃になった頃合いから、星家を差出人にした荷が時折、届いていたようです」

「そなたの家から?」


 珀英様の当然の理解を、私は首を横に振って否定する。


「いいえ、我が家ではございません。我が家が関わる際には、父から私へ、必ず一報がありますから」


 私には伏せられた、あるいは父すら知らない星家からの荷物。

 当然、怪しいのですぐに詳細を調べさせた。その報告が、ついさっき入ってきたばかりだった。


「その荷は、都の外より運び込まれたものでした。西大門近くにある我が家の別邸を経由してはおりますが、荷解きをした侍女の話では、西域の品が数多く入れられていたそうです」


 もとより西域の血が色濃い陽花鸞だ。上級妃となってからついた侍女も、最初こそ驚いたものの、西域に起源ルーツをもつ花鸞のために私が手配したのだろうと受け入れていたらしい。

 その侍女が、花鸞から聞いた荷物の送り元を覚えていた。


「西都莫楼ばくろう――麗藍れいらんの移り先ですわ」

「……、麗藍か」


 一瞬固まった珀英様が呟く。私もまさか、ここでこうして、彼女に辿り着くとは思っていなかった。


 星麗藍。

 彼女は私の従妹であり、そして五年前、東宮妃であった私に最初の毒殺を仕掛けてきたその首謀者でもある。


 五年前。新米妃だった私は珀英様の例の叱咤激励を受け、証拠と情報をあらん限りに集めて手繰り、ようやく相手を突き止めた。それが自分の従妹だと知った時には驚いたけれど、順当に娘を皇后位に導きたかった父の力も得て、遥か遠く離れた西の都へと移り住ませることで許したのだ。

 ――それなのに。


「また性懲りもなく、そなたへ害を成そうとしてきたということか? 花鸞を手駒に取り込んで?」

「確かな証拠はございません。侍女たちの戯言、後宮内の噂といえば噂です。引き続き、情報を集めさせてはおりますが」


 その荷物が本当に星家別邸を経由したのか、西大門を通って都に入ったのか、現場や記録を確かめられたわけではない。後宮内部から手が届く場所には限りがある。

 そう告げると、珀英様も頷いた。


「わかった。表でも手を回して調べさせよう」

「ありがとう存じます」


 おそらく後宮の外、外廷での調査も進んでいるのだろうけれど、あえてこちらから尋ねはしない。私が知る必要のあることがあれば、珀英様は教えてくれる。

 なのでもう一つ、こちらからの情報を付け足しておく。


「それと……これは気にし過ぎなのかもしれませんが」

「構わない。聞かせてくれ」

「以前より聞き及んでいたのですが、大家のお渡りがない夜には、娘々は侍女たちを下がらせて完全な一人の時間をとることがあったようです。いわく、『後宮に入る前まではそれが普通だったから、たまには息抜きがしたい』と」


 それだけ聞けば、それこそ普通のことじゃないかと思うだろう。夜のお勤めがない時くらい、一人でゆっくりしたいというのはわかる。


 しかし――ここは後宮だ。


 皇后でなくとも上級妃ともなれば、常に侍女を控えさせておくのは当たり前。就寝時でも声が届く範囲に不寝番を置くのが当然で、なんなら皇帝との同衾には、周囲の護衛および専門の宦官の同席がある。日中はもちろん夜間でも、完全なる一人の時間というのはあり得ないのだ。

 それは妃としての威厳を保つため、暗殺者から身を護るため――理由は様々あるだろうが、なによりもまず、この国の皇位継承に関わるためである。


 後宮妃嬪私たちは皇帝のための花。

 常に身の清らかなるを証明し続けなくてはならない、秘されるべき花なのだ。


「立場や習慣の変化に疲れることもあるだろうと、勝手ながら、これまでは大目に見て参りましたが……」


 今回のことを考えると、なにか不穏な気配を感じてしまう。


(〈物語〉の陽花鸞ヒロインだと思って、ずっと目溢しをしてきたけど)


 しかしあの〈陽花鸞〉は、私を〈稀代の悪女〉だと知っていた。

 他には誰も使わない〈星光眞〉の蔑称。

 それを知っていたということは。


(――あなたもなのね)


 ブルータス、と呼びかけたくはない。

 元来の意味を辿ればこちらのほうが適切な気はしたけれど、私にとって、それは協力関係の友人へと親しみを込めて向ける呼び名だ。

 決して、友好を無視して毒殺を企てる相手に使う言葉ではない。


「大家がお許しくださるなら、もうしばらく、朱瓊宮しゅけいぐうでのご様子を確かめさせていただきたく思います」


 立后の儀を終えても、陽花鸞は貴妃時代と同じ朱瓊宮という宮にいる。だから彼女への調査継続をそのように乞えば、珀英様は「もちろんだ」と頷いた。


「先にも言った通り、後宮での調べはそなたに一任する。なにもなければ、それでいいというだけの話だ」


 頼もしい承認に感謝する。次いで彼は、陽花鸞の『一人の時間』調査のためにも、しばらく朱瓊宮への訪問を控えると約束してくれた。ひとまず五日ほどを目途に、私の下女を、そちらに張り込ませることにする。


(鬼が出るか蛇が出るか……麗藍関係者との密会でもしてくれれば、証拠にもなりそうなものだけど)


 ただの他愛ない趣味の時間とかだったら、なんとも情けない話になってしまう。せめて、珀英様への報告ができる程度のなにかは、あってくれればいいのだけど。


「ところで――」


 ふと声をかけられて目を上げる。

 私が籠る臥室は、半分ほどが巨大な寝台で占められているため、他の調度品はほとんどない。なので私は寝台の端に、珀英様は椅子に腰かけて向かい合っていたのだけど、改めてその夜色の双眸が、私の首から下を往復した。


「ここに籠る間は、ずっとその恰好でいるつもりか?」


 実を言えば、私が身にまとっているのは、飾り気のないただの寝間着だけだった。もちろん上級妃らしく上質なものだが、寝間着は寝間着。珀英様が来ると聞いて多少、髪を整えたりはしたものの、それもただ片側の肩に流しただけで銀釵かんざし一つつけていない。

 本来なら、夜伽の時にしか許されない姿なのだけれど。


「宰相子女の徳妃は、意識も戻らぬ危うい状態ですから。普段の衣装を揃えては、周りに怪しまれてしまいます。……おいでくださる大家には、お目汚し申し訳ございませんが」

「いや……どちらかといえば、目の保養ではあるが」

「えっ」


 聞き間違いだろうか。

 怜悧で冷徹な月の君・月珀英から出るとは思えない言葉が聞こえたような。


 思わず瞬いて見返すけれど、相手に冗談の色はない。途端、無防備な己の姿に気恥ずかしさが湧き上がり、頬が熱くなる。それを隠すように顔を逸らすと、ふっと笑われるような気配があった。

 目を向けられないでいるうちに、立ち上がった彼が隣に腰を下ろす。抱き寄せられるままその胸に寄り掛かると、頭頂に柔らかい唇が押し当てられ、低い声が囁いた。


「この件には、早く片を付けたいものだ。――危うい状態の徳妃と、褥をともにするわけにはいかないからな」


 そこに込められた熱さを感じ、私の奥にも熱が灯る。望み望まれる幸福とともに、二人の間で紡がれる熱だ。

 それでも今は、その熱に身を任せるわけにはいかない。


「……“すべては、すべきことが終わってから”ですわ」


 暗殺に加担したすべてのものを捕らえ、神獣に見放された陽花鸞を皇后位から下ろしてから。それからようやく、私は、この夢に浸ることを許されるのだ。


(そのためにも引き続き、私に出来得る限り、各所に手を打っていかなくては――)





 ――しかし。

 私がそう決意したその翌日、事態は急転直下の展開を迎える。



 皇后・陽花鸞が、不義密通の罪で捕縛されたのだ。





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