第43話 可能性を潰して
私の回復状況は、外には伏せることにしてもらった。
むろん、私の死を画策した人たちの動向を探るためである。
珀英様と今後の対応について話し終えた後、入れ代わりに戻ってきた侍女頭と淑妃、医官にもすでに厳重な口止めがされていた。永喜の機転もあり、私の宮である
寝台に腰かけ、私は彼女たちと向かい合う。
「此度の件について、大家は、後宮内の調査を私に一任してくださいました。淑妃様と潭医官、そして永喜には、その協力をお願いしたく思います」
「――星徳妃様は、わたくしを信用してくださるのですか?」
開口一番、そう言ったのは潭淑妃だ。
意味を問うように見返すと、彼女は切れ長の双眸で、私を正面から見据える。
「わたくしが関わっているとは思われないのですか? わたくしが大家の寵愛を得るために、徳妃様と娘々をまとめて排除しようとしたとは?」
「もちろん考えましたわ」
真っ先に考えた。淑妃の協力を得たいと思ったその時に。
「そのうえで、あなたは無関係だろうと判断したのです。私も、大家も」
「大家も……」
真偽を図るような間は僅かのこと。物思いを振り切るように首を振った潭淑妃は、いつもの爽やかな笑みを見せた。
「お二人が信じてくださるのなら、わたくしはその信頼にお答えしましょう。この身にできることがあるのなら、どうぞ遠慮なく使ってくださいませ」
「――ありがとう」
ともに今代の後宮を二分する淑妃がいれば、どう動くにもかなり有利になる。それは相手にとっても同じはずで、後ろ盾のない平民皇后につくよりも、大家の信頼を得た私に
(なんて――そういう打算もあるけれど)
個人的な心情としても、私は彼女を信じたかった。健やかで自立した
それは幼い頃から一緒の、元乳母についても同じことだ。伏魔殿のようなこの後宮で、私にとって、まだしも心許せる女性たち。この二人に死を願われたなら、さすがの私も平静ではいられないだろう。
一方、後宮医官については、また別の意味合いで協力に足ると、大家との間で話がついていた。黙って控えている彼に、私は「潭医官」と呼びかける。
「あなたには、私の回復状況の隠蔽を頼みます。そしてそれと合わせて――私に盛られた毒の特定にも、協力してもらいたいのです」
珀英様とも話した通り、毒の種類から入手経路が探れるかもしれない。
酒盃のほうの分析は、すでに外廷の典医たちが行っているそうなので、こちらでは私の記憶と症状から絞り込みを試みたかった。
快く受けてくれた医官に、私は、覚えている限りの情報を伝えた。
手にした時点で酒盃に異変はなかったこと。神酒の香りもいつも通りだったこと。ただ、口に入れた時、いつもとは違う妙な甘味を感じたこと。
「甘味ですか……」と考え込む遼元を横に、私は潭淑妃にも顔を向ける。
「今回の宴で使われた神酒も、いつもと同じ、
そんなことを尋ねるのは、彼女の故郷が、その北苑地方だからだ。
北方山脈を水源とした麗しい水の里で、春から秋にかけて育てられた
地元のことというのもあり、その点は潭淑妃も押さえている。
「いつも通り、最上の北苑酒をお納めしたはずです。
となれば、やはり混ぜ物があったと考えるべきだろう。
しばらく考えていた遼元は、そこで口を開いた。
「甘味があったとのことですが、あるいは毒花の蜜であれば、そういう風味が残るものもあるかもしれません」
「毒花の蜜、ですか」
「生薬に
鳥兜の毒は知っていたが、蜂蜜にまで毒が移るとは知らなかった。
「ただし、附子毒は主に心の臓を止める毒です。花蜜に含まれるのも同種の毒とされますので」
「私に出た症状とは違う、ということね」
私の喉を焼き、血を吐く原因となった
黙って控えていた永喜が、そこで遠慮がちに口を挟んだ。
「砒霜毒ではないのですか? わたくしも耳にしたことがあるだけですが、徳妃様の身に起こった症状とよく似ているようでしたが」
「それはありませんでしょう」
私が否定する前に、遼元が一刀両断した。
「回収された酒盃の漆に、変色はなかったと報告されています」
「漆が反応しない砒霜毒が出回っている、ということはないのですか? 昔、後宮に勤めていたという人から、同じような話を聞いたことがあるのですが」
それは初耳だ。
驚いて侍女頭と医官を見比べると、医官は少し考えたのち、口を開いた。
「その人は、先々代の後宮におられたのではないですか?」
「ええ、そうです。
「ではそれは、
また初耳の単語に私たちが首を傾げると、潭医官は続けて説明する。
「砒石毒はひどい爛れを引き起こす鉱物毒で、銀製の食器を用いることでその有無が確認されていました――砒石毒に触れると、銀が黒く変色したからです。しかし時代が下るにつれ、銀では反応しない砒石毒が出回るようになりました。精錬技術が向上したからです」
遼元いわく、そもそも銀を変色させていたのは、砒石毒に含まれていた別の物質らしい。技術の向上に伴い、純度の高い砒石毒を精錬できるようになった結果、銀食器では確認できなくなった。
「その高純度の砒石毒が、『砒霜毒』と呼ばれるものです」
その『砒霜毒』が出回り始め、大陸南東部の山中に産する
「しかし、南丹漆にも反応しない砒霜毒というものは、今のところ発見されておりません。この漆は、毒素本体に反応して変色すると言われているのです。似た症状の毒に
「あるいは――」
ふと、思いついたことを口にする。
「あの場で使われた酒盃の漆が、南丹漆でなかったとしたら?」
今の宮廷内の食器に使われるのは南丹漆ばかりだが、いわゆる普通の漆というものも存在する。それは文箱などの工芸品や家具に使われて、今、この
もしも酒盃の漆が見せかけで、毒に反応しないものだとしたら――
一様に強張った三人の顔を見て、その可能性がまだ考慮されていなかったらしいことを悟る。
甘味こそ、別の混ぜ物で演出できる。死の間際、もしも私が余計なことを言い残しても、言い逃れに使うことができるかもしれない。その偽装のために。
けれど。
「……それこそ、酒盃を調べればわかることかと」
冷静さを取り戻して告げる遼元に、それはそうだと私も頷く。零れてしまった酒と違い、現物があるのだから検証はできる。
――結局のところ、科学分析もできない状況で、毒薬の種類を特定することは困難なのだ。残った毒が多ければ各種の実験もできるだろうが、そうでなければ、服毒者に出た症状から推測するかしか方法はない。
それも出回っている一般的な毒薬ならば可能という程度。未知の薬物だった場合、その特定は、さらに困難を極めるだろう。その分、入手経路は絞れるけれど――
それに思い至ったのは、私だけではなかったらしい。
「桂帝国内には多くありませんが、西の
力不足だと顔を顰める潭遼元。
大陸の東半分を治める大帝国・桂では、周辺各国との貿易が盛んに行われている。
多様な文物が集まることは文化の発展に望ましい一方、その統制となるとなかなか難しい。私たちの預かり知らぬところで未知の劇毒が持ち込まれていても、おかしくはないのが事実ではある。
重くなった空気を払うように、潭淑妃が首を振る。
「毒の種類も重要でしょうが、それよりもわたくしは、いったいいつ、どうやってそれが盛られたのかということのほうが気になります。それについては、大家や徳妃様は、どのようにお考えなのですか?」
立后の祝宴。酒盃下賜の儀式中のことである。衆人環視の中、その機会も方法も限られる。それが可能な人物も。
「最初に口をつけた大家は、神酒の味に異変は感じていらっしゃらなかった。次に口をつけた娘々も平気で――最後に口をつけた私は異変を感じ、そして倒れた」
そこから単純に考えれば。
「いつと言うなら、両陛下から私に酒盃が下される間。どうやっては定かではありませんが、誰がというのなら――」
「その間に触れた、陽娘々と側仕えですね」
恐れることなく後を引き取った潭淑妃は、しかし納得がいかないように眉を寄せた。
「それはわたくしにもわかります。けれどあの時、どちらも怪しいそぶりはしていなかったはず。すれば誰か気付いたはずです」
けれど誰も気付かなかった。気付いていて止めなかった可能性も、もちろんないではないだろうが、あの場に集まった人数を思えば低くなる。
潭医官が、「結局、毒の種類だと思うのです」と呟いた。
「例えば液状か粉末状かでも、酒盃への混入方法は変わります。小指の先ほどの分量でも死に至るものもあれば、一掴み必要なものもある。ごく少量ですむものならば、誰にも気付かれずに入れることも、可能かもしれません」
それは至極もっともな指摘で、私たちはまたもや壁に突き当たった。
けれど落ち込む必要はない。複数の意見を聞き、可能性を一つずつ潰すのも、真実に辿り着くためには大事な作業だ。
(それにまだ――本命の筋が残っている)
ひとまず潭淑妃には後宮内の情報収集を頼み、潭医官には引き続き、私の体調管理と毒薬の調査を頼む。そうして今日のところは解散し、潭姓の二人を送って戻った侍女頭を、私は改めて呼び寄せた。
「調べてほしいことがあるの」
厳しい眼差しで頷く彼女に、私は、ごく内密にことを進めるよう付け足した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます