第18話 均衡の侯爵令嬢


 マクゴ●ガル先生が言った。


「わたくしはレジーヌ・オルビット。あなたが転入する第一学年の主任教師です」


 訂正。マ●ゴナガル先生によく似た初老の女性教師が言った。

 すっと背筋が伸びた痩身。品よくまとめられたロマンスグレーの髪の毛。うっかり想像してしまうあの先生とは違い、魔法使いっぽいローブは着ていないけれど、服の趣味は同系統だ。非常にエレガンス。

 そして、非常に厳しそうな目力をしていた。


(……なんか、前世の乳母を思い出すな)


 星光眞わたしの乳母は厳しかった。もちろん意味のある厳しさだったのだけど、それがわかるのは私が人生二度目だったからだ。普通の子どもなら、泣いて逃げるか大いに反発するかだっただろう。ちなみにどうやら、ゲーム内の星光眞は後者だったようだ。サイドストーリーで見たことがある。

 私が東宮妃になる時にもついて来てくれて、侍女として傍にい続けてくれた。そんな彼女を思い出して切なくなっているうちにも、オルビット女史の説明は続く。


「本学院は、次代の優秀なる魔法士を育てることを目的としています。精霊との契約を結び、彼らの力を借りて魔法を使うことができるのは、選ばれしもののみの才能。しかしそれと同時に、そこには義務が生まれます――稀なる力を持つものとして、我が国のために尽くす義務です」


 義務、と口にする彼女はまるで、軍の指揮官だ。


「持てる者は、持たざる者のために在らねばなりません。選ばれし栄誉におごらず、ここでは誠実に学びを重ねることです。いいですね」

「はい。先生」


 素直に返事した私に、先生は「よろしい」と満足げに頷く。

 そしてふと、その目力をさらに強めた。


「ステラ・シャリテ――。あなたの身元について、とやかく言うものは多いでしょう。ヴィクトル殿下の後見があることも、良い面ばかりとは言えません。非常に残念なことですが、今わたくしが言ったような謙虚さを持とうとしない生徒や教師も、この学院には少なくないのです」

「承知しています。先生」


 貴族ばかりの学院に、平民風情が乗り込むのだ。どれだけ厄介かは先刻承知。


(まさに陽花鸞あの子の立場だものね)


 まっすぐに見返して微笑む私に、その覚悟が通じたのだろうか、先生は僅かに目元を緩め「でしたら結構」とあっさり頷く。


「では、ひとまず寮へ案内します。ちょうど今日は、祝祭休暇の最終日ですから、あなたのルームメイトも戻っていますよ」

「……ルームメイト?」

「ええ。本学院の学生寮は、二人一部屋が基本です。学院生活の詳細は、彼女に教わるといいでしょう」





 ――王立魔法学院。

 伝統あるこの学び舎に転入した私の立場は、特に秘されるわけでもなく、かといって喧伝されるわけでもない位置づけに収まった。


 到着と同時に通された学院長の執務室で、当の私を横に置き、部屋の主たる学院長と、私の後見人に名乗り出た第一王子さまの間でそう話がついたのだ。まあ、もしも意に沿わない方向へいくようなら挟もうと思っていた口を、私も最後まで開く必要を感じなかったからいいのだけど。


 普通が一番。良くも悪くも、特別扱いはされない方がいい。どうせ“平民の転入”というだけで、嫌というほど目立つのだから。


 そういうわけで、女子寮の一室で出迎えてくれた女子生徒に、オルビット先生はなんの躊躇もなくこう言った。


「本日より本学院に転入した、ステラ・シャリテです。確かな後見人はありますが、彼女は貴族の出ではありません。中央の事情や生活など慣れないことも多いでしょうから、同じ部屋を分かつものとして、ぜひとも快く協力してあげてください」

(ウウン……ばっさり言う……!)


 言葉は上品ながらなんとも実務的な紹介に、思わず唸りそうになる。腫れ物扱いは嫌だけど、ここまで明け透けにして大丈夫な相手なのだろうか。下手をすれば、これから先、自室ですら寛げない生活になってしまうのでは。

 そんな私の心配をよそに、相手の女子生徒は「はい、先生。喜んで」と静かに答えた。それに先生も、当たり前のように頷く。


「では、わたくしは学院長とのお話がありますからここで。後のことは頼みましたよ、ミュリエル」


 そう言って戻っていったオルビット先生を見送り、改めて、私は同じ室内に取り残された少女へと向き直る。相手の視線もこちらを向いて……私は思わずたじろいだ。


 端的に言おう。

 美少女だった。


 抜けるように白い肌。まっすぐに流れ落ちる銀の髪。同じ色の長い睫毛に縁取られた双眸は、雪山の湖面を映したかのような明るく静かな水の色。背丈は私とそう変わらないはずなのに、小作りな顔立ちもあってすらりとして見える。

 桂国後宮で東西南北あらゆる佳人を見てきた私からしても、息を呑むような美少女だった。リディアーヌ嬢も美少女だったけれど、健康的で快活な印象が強かった彼女とは違い、ミュリエル嬢の美しさは都会的で洗練されたものと言える。年相応の丸襟のワンピースが、まるで雑誌に載る最先端ファッションのように見えてくる。

 強いて難を挙げるなら、あまりに完璧すぎて近寄りがたい雰囲気をしていることだろうか。全体的な色彩も相まって、ひやりと冷たい印象がある。


 そんな彼女は、敵か味方か。


 すっと息を吸い込んだ私は、控えめかつ人好きがするよう心掛けた微笑を浮かべて、この国の淑女らしい礼をした。


「改めまして、ステラ・シャリテです。お手を煩わせないよう努めますので、ぜひともご指導よろしくお願いいたします。ミュリエル様」


 湖面の瞳が、私の頭から爪先までを撫でるように往復する。

 そして、年頃の少女の中ではやや低めの大人びた声音で、彼女が言った。


「野山で育った割には、ひとまずの礼儀は心得ているようで安心しました。言葉遣いや立ち居振る舞いから躾けなければならないようでは、先が思いやられますから」

「それは……ご期待に沿えられるよう、今後も励ませていただきます」

「学院生として、よい心がけです」


 ……なんだかマクゴ●ガル先生、もといオルビット先生が増えたみたい。

 凛と伸びた背筋といい、品の良さといい、違う年代の同一人物と言われても納得してしまいそうだ。顔立ちは、まあ、それなりに違うけれども。


 きっと成績優秀で素行がよく、先生にも一目置かれている監督生のような立場なのだろう。そのせいで私を押し付けられたに違いない。それならそれでまあいいか、と思いかけた思考を破り、彼女はぽいっと爆弾を投げた。


「わたくしはミュリエル・ド・バランス。バランス侯爵家の現当主、マティアス・ド・バランスが、わたくしの父です」

「……バランス侯爵様?」

「ええ」


 聞き覚えがありすぎる家名に相手を見返すと、静かだった水色の瞳が、ふと緩んだ。まさかの、どこか面白がるように。


「あなたとわたくしは、父親が兄弟の従姉妹同士、ということです」

「…………ええっ!?」


 従姉妹同士!?

 私と、このが!?


 完全に思わぬ方向からの不意打ちに素っ頓狂な声が飛び出てしまうと、それがツボに入ったのか、私の従姉妹を名乗った美少女は「ぷふっ」と噴き出した。えっ、嘘! めっちゃくすくす笑ってるんだけど! いや可愛いんだけど!

 途端に年相応に見える相手に混乱しつつ、それでも私は問いただす。


「あ、あの、それは、確かなお話なのでしょうか?」

「ふふ。こんな嘘をついても仕方がないでしょう。わたくしの父が、あなたの父上の兄にあたります。つまり、わたくしたちは従姉妹同士。でしょう?」

「そ、それはそうなりますけど……あっ! ではもしかして、ルームメイトなのも?」

「でしょうね。わたくしであれば、これ以上、家名に傷をつけるような真似は許さないと判断されたのでしょう」


 さらりと返された答えに、けれど身体の芯が冷える。

 ――ああそうだ。父の実家ということは。


「あの……両親のことで、侯爵様やミュリエル様にも、ご迷惑がかかってしまったのでは」

「ええ、そうですね。そういう話が好きな方に、場所を問わず、今でも嫌味や皮肉の種にされることは確かにあります」


 ああ、やはりそうなのだ。

 とっさに口を突いて出そうになった謝罪を、しかし察知したように、ミュリエルが先に首を振った。


「でもそれは、あなたには関係のないことです」

「……え」

「叔父上とエトワール様のしたことは、確かに責められるべきことでしょう。国を思い、責任を思うなら、あのような勝手な行動はすべきではなかった。たとえ国王陛下が許しても、許さない人々がいることを忘れるべきではなかった。その人々がいる限り、針の筵に転がされ続ける親族の存在を、軽んじるべきではなかった」


 淡々と紡がれる言葉。美しく整った表情から、感情はうまく読み取れない。握った両手に冷や汗が滲む中、しかし「けれど」と彼女は微笑む。


「それらは、あなたに問うべき責ではない。あなたが背負うべき業ではない。あなたはただ、二人の間に生まれてきたというだけなのだから」

「…………」

「わたくしの両親兄弟も、親族の多くも同じ考えです――我がバランス家は、その名の通り、〈均衡バランス〉を司る法廷関係者を輩出する家系ですから。私情や感情で目を曇らせ、裁くべきではないものを裁く愚行は犯しません」

「……どうして」


 素直な驚きが、口に出た。それに含まれる問いは、私自身にとっても一筋縄ではいかないものなのに、ミュリエルは悟ったように眼差しを緩める。


「『罪を憎んで人を憎まず』――わたくしにそう、教えてくださった方がいます。人を憎むものは人から憎まれる。それはとても、悲しく無益なことなのだと」

「それはとても……素敵な言葉ですが」

「ええ、素敵な感情論ですね。けれど、わたくしはそれに救われました。心に澱んでいたものが消え、なぜだかとても、すっきりしたように思えたのです」


 そういうミュリエル嬢の顔は、確かにさっぱりとして見えた。長年抱え続けていた闇を捨て去り、あるべき姿を取り戻した人の顔。

 その顔で、彼女は私に手を差し出す。


「ですから、ステラ・シャリテ。わたくしはあなたを歓迎します。従姉妹として、ルームメイトとして、あなたの学院生活を支えましょう」


 その言葉は、果たして信用に足るものなのか。出会ったばかりの私には、正確な判断はまだできない。

 それでも私は、その手を取った。


「よろしくお願いいたします」





 というわけでひとまず安心できた私だが、一つ、気がかりが残っていた。


「……ところでそれって、『パトリス私の父には責められるべき罪がある』と、親族にも考えられているってことですよね」

「それはもちろんです。自身の責務を放棄し、王国の象徴ともいえる重要人物の失踪に加担したのですから」

「ですよねー……!」

「でも、心配はいりません」


 にっこり美しい笑みでミュリエルは言う。


「我が一族に、暴力でもって裁くような野蛮なものはいませんから。きちんと当人と関係各所の証言および主張を聞き取り、当時の社会情勢などもふまえて、冷静で理と法にかなった対処がなされるはずです」

「そ、そうですか……」


 ……ああ、ドンマイお父さん。

 この理知と理性をまとう美少女を育てた血筋なら、それはもう、まさしく針の筵だろう。感情のままに責め立てられたほうが、もしかしたら、いくらかマシとすら言えるかもしれない。


(むしろなんでそこから、あのボンヤリおじさんが生まれたんだろ……)


 家系と血筋の不可思議さに、いっそ感動すら覚えつつ、私の学院生活は幕を開けたのだった。





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