第29話 伯爵令嬢との内緒のお茶会


「あの、ステラさん!」


 ある日の放課後。珍しくリディアーヌから離れてきたブランシュが、どこか緊張した面持ちで話しかけてきた。


「もしよろしかったら、今度のお休み――わたくしとお茶会をいたしませんか?」

「お茶会、ですか?」


 思わぬお誘いに目を瞬く。それをどう捉えたのか、ブランシュは慌てたように、顔の前でぶんぶんと両手を振った。


「あの、お気軽に考えていただいていいのです。お茶会といっても、ティーポットとお菓子を持って、お庭のベンチでおしゃべりするみたいな、それくらいのものですから」

「というと……ピクニックみたいな感じでしょうか?」

「そう! ピクニックです!」


 途端、ぱあっと輝いたご令嬢の笑顔に、私は思わず手庇を作った。すごい。眩しい。直視できない可愛さだ。世界はこの笑顔に救われる。

 そんな可愛いお誘いを断ることなどできるはずもなく、次の休日、私たちは二人きりのお茶会を開くことになった。





「よく晴れてよかったですね」


 約束した休日の昼下がり。

 寮の談話室で待ち合わせして、二人で学院内の庭園を歩く。


「日差しが柔らかくなってきましたから、もうすぐ秋ですね」


 我らがシエル=エトワレ王国は、ヨーロッパの中でも北部地方を参考としたのか、年の三分の一が冬気候だ。本当に暑い夏などあっという間で、残りは秋と春が長々と続く。冬にさえ備えれば、比較的過ごしやすい国だった。

 夏薔薇の名残と秋薔薇の走りが交じる小道を歩き、図書館裏の低木に囲まれた庭に出る。そこには大きな樫の木が一本。そばには燃えるような赤の実をつけたナナカマドが植えられ、木製のベンチが一つ置かれていた。庭園とも呼べない、小さな庭だ。


「ここにしましょう」


 ベンチに座って、私はバスケットに入れてきたティーポットを、ブランシュは同じくバスケットに入れてきた焼き菓子を取り出す。クッキーにフィナンシェ、一口サイズの洋梨タルトと桃のパイも、すべてブランシュの手作りだった。「このパイは、マルゴおばあちゃんメメール・マルゴのレシピなんですよ」と楽しげに言うブランシュに、私は心から感心する。


「ブランシュ様は、本当にお菓子作りがお好きですね。昔からそうなのですか?」

「ええ。実家では侍女頭とよく作っていましたの。――わたくし、弟と妹がいますでしょう? しかも二人ずつ。お菓子なんて、いくら作ってもすぐに足りなくなってしまって」


 伯爵令嬢であるブランシュ・ヴィエルジュだが、その父親の領地は、私がいた森に負けず劣らずの田舎にあるという。雪に閉ざされる冬季以外はそちらで過ごしていたヴィエルジュ一家は、王都のお貴族様たちとは違う、ずいぶんおおらかな子育てをしていたらしい。


(そのせいか結構、見た目に寄らず世話焼きなのよね)


 今も私が紅茶を入れるかたわら、広げた大きな綿布の上に、せっせと焼き菓子を分配してくれている。うっかり忘れた私のために、予備の膝掛けまで貸してくれた。いい子だ。


「それでは、二人だけのピクニックを始めましょう」

「お招きいただきありがとうございます、ブランシュ様」


 笑って応じると、ブランシュが「ふふっ」と笑みを洩らす。

 そして、内緒話をするように顔を寄せて囁いた。


「ステラさんがピクニックをお好きでよかった、と思って。入学したての頃、リディアーヌさまをお誘いしたこともあるのですが、その時にはミュリエルさまに『歴史ある学院内でピクニックなんて』と𠮟られてしまって」

「まあ。それなのにまた、今度は私と?」


 責めるというよりも呆れて言うと、ブランシュは、ばつが悪そうに眉尻を下げた。


「やっぱり、お嫌でしたか?」

「いえ、嫌ではありませんけれど、そこまでしてピクニックをしなくても……それこそ普通のお茶会でしたら、ミュリエル様も許してくださるのではないですか?」


 庭園の東屋や寮の談話室では、時折、そういう光景を見かける。生徒同士、家同士の情報交換の場として機能しているお茶会なら、ミュリエルこそよく参加しているはずだった。

 けれどブランシュは、「それでは意味がないんです」と拗ねたように唇を突き出した。


「……ステラさんは、故郷の森が懐かしくなることはありませんか? わたくしはあります。講義室でクラスメイトに囲まれて、毎日毎日勉強をしていると、時々、どうしようもなく息苦しくなってしまうんです。木々に触れ、草地に寝転がって空を見上げ、野山に咲く花を愛でていたい――って」


 その願いを叶えるためには、格式ばったお茶会では意味がない。そう言われれば、確かに、私も納得するより他になかった。


(つい最近、同じような悩みを聞いたしね)


 庭仕事に逃げ場を見出した幼なじみの狩人を思い出す。かくいう私も、現代日本の学生だった頃は、同じような息苦しさを感じていた。今は物珍しさと使命感が勝っているけれど、二人が抱える気持ちは痛いほどわかる。

 だから私は「では」と紅茶のカップを掲げた。


「これからも時々、こうしてお誘いください。田舎生まれの二人で、楽しくピクニックしましょう。……ミュリエル様には気付かれないように、こっそりと」

「――ええ!」


 花咲くような笑顔の少女とカップを掲げ合い、彼女お手製のクッキーをかじる。

 懐かしく素朴なその味に、森で亡くなった母を思い出し、少しだけ切ない気持ちになった。





 他愛のないおしゃべりを続け、しばらくした頃。

 ふと口を閉ざしたブランシュが、思い切ったように尋ねてきた。


「ステラさんは、冬至祭のエスコート役を誰に頼むか、もう決まっていらっしゃるの?」

「エスコート役?」


 思いもしないことに首を傾げると、ブランシュが教えてくれる。

 冬至祭のダンスパーティーは、基本的にパートナーがいなくては出席できないものらしい。本来は教師から通達される事柄だが、ブランシュは、ミュリエルたち上級生から先んじて教えてもらったらしい。


「ミュリエルさまもリディアーヌさまも、ご婚約のお相手とパートナーを組むでしょう? けれど、わたくしには決まったお相手はいませんし……ステラさんはどうするのかしら、と思って」


 なるほど、と私は頷く。このお茶会に私だけが誘われたのには、そういう理由もあったのだ。


「でしたら私は、やはりラウルになるかと思います。私にしろ彼にしろ、せっかくの機会に一般庶民の手を取っていただくなんて、身分ある方々に申し訳ありませんから」

「そんなことはありません!」


 強い否定に目を瞬く。


「身分を引き合いに出すのなら、ステラさんこそ、ただの貴族子息が手を取るにはもったいない方だと思います。だって、だってあなたは……」

「……〈星女神の乙女〉だから?」


 口ごもった先を汲み取って問うと、ブランシュは、大きな双眸を瞬かせて頷く。


「みなさん口にはしませんが、ステラさんのことは知っています。それに、それだけではありません。ステラさんの立ち居振る舞い、洗練されたお姿に、憧れている人も多いのです」

「えっ! ……私、浮いてしまっていたのでしょうか?」


 気をつけていたつもりだが、年齢差に身分差に過去世の記憶まで、交ざりに交ざった状態だ。無意識のうちに、妙なことをしでかしてしまっていたのかもしれない。

 けれどブランシュは「そうじゃありません」と首を振った。


「“憧れている”と言いましたでしょう? ……ご存知でしたか? 編入したての頃、みなさんからあなたに向けられていた嫌な視線が、今は尊敬に変わっていること」


 確かに、以前ほどの敵意や害意を感じることはなくなっていた。けれど、そこまでとは思っていなかったのに。


「それは、あなたが〈星女神の乙女〉だからではありません。あなた自身の姿を見て、みなさん心を変えられたのです。ですから、庶民だからなんて、そんな理由であなたが身を引くことはないのです」


 両手を握って、瞳と声に力を込めて。

 私のためにと諭してくれる伯爵令嬢を、思わずしばし見つめてしまう。


(私の振る舞いを、不審だと思う人もいた)


 王弟に探りを入れられたのは、いまだに新しい記憶。


(それなのにこの子は、それを認めて、励ましてくれるのか)


 芯から真剣なその眼差しを見れば、嘘偽りない言葉だとわかる。なんてありがたいことだろう。面映ゆいような気持ちになって、頬を緩める。

 ――けれど。


「そうでしたらなおのこと、ラウルにしか頼めません。彼だけは私の、聖女らしくも憧れにふさわしくもないところを、ちゃんとわかってくれていますから」

「えっ……」


 その途端、ぽぽぽぽっと音が聞こえそうなほど、ブランシュの頬が上気した。


「そ、それはつまり、ステラさんとラウルさんって、そういう……!」

「あ、いえいえ違います。妹としてですよ。血の繋がらない妹として」


 あらぬ誤解をすぐさま解くと、ほっと胸元を押さえるブランシュ。


「ああよかった。もしもそうならどうしようかと」

「…………。もしかして、ブランシュ様はラウルのことを……?」


 転生令嬢の話を思い出して、そっと尋ねる。

 けれどブランシュは憤然として、「まさか!」と首をぶんぶん振った。


「ステラさんには申し訳ありませんけれど、あの方、やっぱり変わっていますでしょう? お行儀もあまりよくないし、講義にもほとんど出てきませんし。――なによりわたくしのこと、小さな子ども扱いしてくるんですよ! 同い年なのに!」

(それは本当に申し訳ない……)


 実際、彼としては年下だから、子ども扱いしているのだと思う。悪気があるわけではないだろうけど、悪気がなければいい話でもない。どんなに幼く愛らしく見えても、ブランシュだって年頃のご令嬢なのだから。

 あとで注意しておこう、と思いながら謝る私に、ブランシュも深呼吸で気炎を収める。そして「ともかく」と言葉を継いだ。


「お言葉を借りるようですが、そういう関係でないならなおのこと、それぞれ別にパートナーを探したほうがいいのではないですか?」

「どうしてです?」


 怪訝に眉を寄せる私へと、ブランシュは至極当然の指摘をした。


「お二人とも、これまでに宮廷風のダンスを踊ったご経験は?」

「……………………」


 沈黙こそが雄弁な答え。


 どうやら私は早急に、聖女に臆さずダンスが上手な、それなりの相手役を見つけなくてはならないらしい。





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