第30話 あなたとダンスを


 秘密のピクニックから程なくして、事実、オルビット先生から冬至祭のダンスパーティーについて説明があった。

 とはいえ上級生と繋がりがある生徒はブランシュだけではなく、クラスのほとんどが、すでにそれを知っていた。先生からの通達は、それに向けての準備を公然と進めるための合図になった形だ。

 解禁された“冬至祭のお楽しみ”の話で、昼休みの食堂は持ち切りだった。


「わたくし、ダンスパーティーなんて初めてです。とっても楽しみですわ。ね、リディアーヌさま」

「ああ、うん、そうね……」


 きゃっきゃと楽しげなブランシュに対し、どこか上の空で返すリディアーヌ。当然その異変には、ヴィクトル王子がすぐさま気付く。


「珍しいな。きみのことだから、こういうパーティー事では、率先してはしゃぐものだと思っていたんだが」

「いえ、その、ええーと……」


 はしゃげるわけがない理由を、知っているのは彼女と私だけだ。それを正直に言えるわけがなく、リディアーヌも躊躇った末、当たり障りない答えを返した。


「わ、わたくし、ダンスがあまり得意ではないものですから」

「ああ、そういえばそうだった」


 速攻で納得されている。


「毎年おれの誕生日会のたびに、きみには足を踏まれているからな」

「そうなのですか? リディアーヌ」


 満面を歪めた王子の言葉に、目を光らせたのはミュリエル嬢。問われた当人は「ヴィクトルさま、それは秘密の約束で……!」と焦っているが、聞かれたものは戻せない。苦言を呈そうとしたミュリエルを、横から「まあまあ」とセルジュ王弟が引き留めた。


「僕もここ最近ご無沙汰だから、ステップが怪しいんだよね。せっかくだから一度、事前練習に踊っておくかい? 編入生の二人も、さすがにワルツには縁がなかっただろうし」

「ええ――ぜひ」


 貴族階級では教養科目らしくとも、我々庶民には無縁のものだ。私はありがたく頷いたけれど、幼なじみのほうはにべもなく断る。


「いや、オレはしませんよ。ダンスにもパーティーにも興味ないし」

「まあまあ、そう言わず」


 いなすように笑ったセルジュは、細めた碧玉の目でラウルを見据える。


「帰ってきた〈星女神の乙女〉が、席を外すわけにもいかないんだ。誰でも手が届く場所に彼女を一人で放り込むのは、きみだって、あまり好ましくはないだろう?」

「…………」


 ラウルが私を振り返る。頷いてみせると、はぁあ、と大きな息をつき、やがて「わかったよ」と諦めたように了承した。


「その代わり、笑いものにするのはナシですからね」





 そして放課後。

 練習のためにジェラルドが借りたのは、講堂だった。冬至祭本番でも、この講堂が飾り付けられ、即席の舞踏室ボールルームになるそうだ。


「初心者もいるし、練習用のペアを作るか」


 男女それぞれ四人ずつ。体格と経験の有無を考慮に入れて、ヴィクトル&私、ラウル&ミュリエル、ジェラルド&リディアーヌ、セルジュ&ブランシュでペアを作る。


「よろしくお願いします、ヴィクトル様」

「ああ、こちらこそ」


 お辞儀を交わして、手を取り合う。ワルツの基本姿勢“ホールド”は、おとぎ話でよく見るあれ――握り合ったのと反対の手を、男性は女性の左肩甲骨に添え、女性は男性の右肩に乗せるあの体勢だ。


(人生三度目だけど……ワルツを踊るのは初めてだわ)


 今更ながら緊張してくる。握り合った手、背中に触れる相手の指の感触が、自分でも戸惑うほどに意識される。


「じゃあ、基本ステップから始めよう」


 ヴィクトルにリードされ、いくつかのステップを繰り返す。必死についていこうと足元ばかり見ていると、不意に手を強く握られた。


「ステラ」

「っ、はい!」


 驚いて見上げると、笑ったヴィクトルに、励ますように頷かれる。


「そうだ。顔を上げて、あまり気負わず、こちらの足を踏むくらいのつもりで踊ればいい。おれの足はリディアーヌのおかげで鍛えられているから、多少なら大丈夫だ」

「まあ――では、遠慮なくリディアーヌ様の後に続かせていただきます」

「ええと、控えめに頼む」


 途端に気弱になる王子に、くすりと笑う。矢先、「余所見をするな、またわたしの足を踏むつもりか!」「ひゃあ! ごめんなさい!」とジェラルド&リディアーヌペアの声が聞こえて、今度は二人で顔を見合わせ、笑ってしまった。

 しばらく練習を重ね、ワルツのリズムが馴染んだ頃を見計らい、ミュリエルが言った。


「基本のステップを覚えたら、あとは『習うより慣れよ』です。ひとまず、一曲踊ってみましょう」


 その言葉に応じて、セルジュが壁際に置かれていた箱に手を伸ばす。繊細な草花の彫刻が施された一抱えほどの木箱で、王弟が蓋を開けなにやら施すと、木管楽器と弦楽器が重なったような音曲が流れ始めた。


「まあ、自動で音楽が? どうなっているんですか?」

「風魔法の応用さ。美しいメロディは、精霊彼女たちの好むところでもあるからね」


 風琴やオルゴールのような理屈だろうか。なめらかに奏でられるそのワルツに乗って、私の手を取ったヴィクトルは、一分の躊躇もなく真っ先に踊り始めた。

 曲に合わせたヴィクトルのリードは、力強く情熱的だ。私の不慣れもあるとはいえ、気付けばいつの間にか主導権を握られている。抗うような余裕もなく、彼のステップに従っていると、ふと思い出したように尋ねられた。


「きみはもう、当日のパートナーは決めているのか?」

「いえ……これから探そうかと」


 曖昧に笑って応じると、ヴィクトルも私側の事情を察したらしい。そうか、と難しい顔で眉根を寄せた。


「おれが組めればよかったんだろうが、婚約相手がいる身としては、あまり軽率なことはできないからな。リディアーヌはいいと言うかもしれないが、周りはそうは思わないだろう」

「ええ。ご迷惑はおかけできませんから、お気持ちだけ、ありがたく頂戴しておきます」


 私だって、たかが学院内のダンスパーティーで『相手がいる男性を誘惑した』などと責められたくはない。なんなら今のこの状況すら、危ない橋を渡っている気分なのだ。ここにいるのが理解ある人たちだけだから、どうにか無事でいるけれど。

 そんなやり取りをしつつどうにか一曲踊り終えると、ブランシュの手を取ったまま舞台役者のように一礼したセルジュが、爽やかな笑顔でこう言った。


「せっかくだから、ペアを変えながらもう何曲かやらないかい? いろいろな相手と踊ったほうが、練習にもなるだろうし」

「ええっ、まだやるんですか?」


 げんなりしたように言ったのはラウルだけで、その訴えも封殺された。相手を変えての練習は、実際に重要だったのである。

 私が次に組んだのは、ジェラルドだった。ヴィクトルよりもいくらか背が高い宰相子息と踊って、私はその必要性を実感した。先程までと同じように動くと、たちまち相手の足を踏んでしまったのだ。


「あっ、すみません!」

「大丈夫だ。わたしの歩幅が狭すぎたのだろう。少し広めに変えてみるから、無理があればすぐに言ってくれ」


 ジェラルドのリードは、丁寧で細やか。練習ということを差し引いても、こちらを気遣い、フォローしてくれる。私のミスを事前に読み取り、流れるように導く手腕は見事と言えた。


(……そういえば、この人は誰とペアを組むのだろう)


 婚約者やその候補がいるなら、そのままその相手だろう。しかし彼とオデイルとの婚約は、すでに解消されてひさしいはずだ。別の婚約者がいると聞いた覚えもないし、もしかすると、と少しの期待を持って問いかけた。


「ジェラルド様は、冬至祭でのダンスパートナーを、もう決めていらっしゃるんですか?」

「ああ……いや。わたしはダンスには参加しないんだ」

「えっ、そうなのですか?」

「実行委員だからな。みなが踊っている間にも、問題がないか目を配っておかなくてはならないだろう」


 なんとまあ。実行委員とは、そんな時にまで役目に徹していなくてはならないのか。残念だけれど、そういうことなら仕方がない。

 二曲目が終わり、私は丁寧にお礼のお辞儀をした。


「それなのにお付き合いいただいて、ありがとうございました」

「いや。当日にはできない分、きみとも踊ることができてよかった」


 最後のフォローも抜かりない。

 そういう細やかさこそが、女子に好かれる要因だ。決まった相手はいないけれど、実は各学年に一定層のファンがついていることを私は知っている。本人は、まったく気付いていないだろうけれど。


 相手が変わって、次はセルジュ王弟。

 三曲目とはいえまだ探り探りにステップを踏んでいると、不意に笑う気配がした。見れば、やけにニコニコしている王弟と目がかち合う。


「やっときみの、年相応の顔が見られた気がするな。読み書きの他にダンスも苦手、と」

「……からかわないでください。ご迷惑をおかけしないようにと、こちらは必死なのですから」

「それほど慎重にならなくても、僕のリードに合わせれば、それなりの見映えで踊れるだろう?」


 それはその通りで、セルジュの導きに従っていれば、驚くほど簡単に身体が動く。優雅で軽やかな彼のリードは、まさに風に乗っているようだった。


「どうせ本番では、何十組も一緒に踊るんだ。みんな自分のダンスに夢中で、他人のステップなんて気にしないよ。つまり――」


 ぐっと手を引かれた勢いで、その手を軸に身体がくるりと回る。ふらついたところを片手で支えられ、結果、なんとも自然に仰け反るようなポージングを決めさせられていた。

 わっと周りが驚く中、貴公子は碧玉の瞳でウインクする。


「ようは楽しんだもの勝ちってことさ」

「……ミュリエル様に愛想を尽かされない程度にお楽しみくださいね」


 にっこり笑って言い返せば、無言で笑顔が固まる王弟。

 ちょうど一曲がそこで終わり、私は最上のお辞儀で彼と別れた。


 そうして最後。多少慣れてきた初心者同士、ラウルと手を取り合うと、彼は心底ほっとしたように情けない声を出した。


「よかった、やっとステラだ」

「あら、そんなに喜んでもらえるなんて思っていなかった。嬉しいわね」

「ご令嬢の相手は疲れるんだよ。ミュリエルは優しい顔して厳しいし、リディアーヌには三回も足を踏まれたし、ブランシュなんて小さすぎてうっかり潰しちまいそうだし」


 確かに、長身のラウルと小柄なブランシュとでは、大人と子どもほど背丈が違う。自分のことに必死で見ていなかったけれど、よく一曲踊れたものだと思わなくもない。

 そんな我が幼なじみの覚えたてのリードは、かなり自由で大雑把だった。油断していると、こちらの足のほうが被害を受けそうになる。もしかしなくとも私相手で気を抜いているらしい、と悟って、少々心外だったので言い返した。


「私だって厳しいし、足は踏むかもしれないし、あなたに比べれば小さいわよ」

「でも頑丈だろ。潰す心配はない」


 真顔で言われたので、思い切り爪先を踏みつけておいた。


「いってえ! おまえ、そんなんだと本番でペア組んでやらないぞ!」

「あらそう? それじゃあ残念だけど、他に誰か探さなきゃね。お互いに」


 ブランシュに指摘されてから、そもそもそのつもりだった私は動じない。むすっとしてしまったラウルを構わずにいると、曲の終わり、突然ウエストを両手で掴まれ、驚く間もなく軽々と宙に持ち上げられた。


「えっ? きゃあっ!」


 おまけにぐるっと振り回され、抱き留めるようにして下ろされる。

 王弟リードの決めポーズ時に増して驚愕の視線が集まる中、ラウルは平然とした態度で、大きく笑って謝ってきた。


「悪かったよ。おまえが笑ってくれたら、一緒にパーティーに行ってもいい」

「……考えておくわ」


 揺れる頭を支えるように、片手で額を押さえて呻く。


 狼のにおいもなく、身なりを整えた幼なじみの破壊力。そのすさまじさに、私らしくもなく動揺してしまっていた。





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