第9話 予感


 にやける私に二人は不思議そうな顔をしていたけれど、ふとリディアーヌ――再び改めリディアが「あ」と声を洩らした。


「どうした?」

「あ、ああいえ!」


 連れの問いにはブンブンと頭を振ったものの、なおもなにか考え込む風を見せるリディア。ぶつぶつと呟くその姿に首を傾げていると、同じように彼女を見ていた少年改めヴィクトルが、呆れたように話しかけてきた。


「悪いな。たまにこうなるんだ。放っておけばそのうち治る」

「そうなんですね……。あの、それでは私、そろそろ父のもとへ戻ろうと思います。あまりお邪魔しても申し訳ありませんし」

「ああ、いや。別におれは邪魔だとは――」


 思っていない、と続けてくれそうだったそれを、


「――ちょっと待ったぁ!」


 突然、リディアが遮った。片手の平を私に向けて、ビシイッと効果音がつきそうな制止である。息が止まりそうなほど驚いた私とは違い、ヴィクトルは少し顔を顰めただけで言い返す。


「うるさいぞ、いちいち驚かせるな」

「す、すみません。けど、彼女を一人で行かせるのは心配なんです。さっきみたいに絡まれたらって思うと、やっぱり一人じゃ危ないですし」

「……絡まれていた?」


 険しい顔になった少年に、かくかくしかじかとリディアーヌが説明する。

 髪の毛を掴まれていたくだりで、おっかないほどのしかめ面になったヴィクトルに、私は慌てて弁明した。


「でも、リディアさんがしっかりと追い払ってくださいましたから。父がいる礼拝堂もすぐそこですし、大丈夫です」


 お忍びの貴族に守ってもらうなんて、今の私からしたら大袈裟すぎる。

 しかしヴィクトルは、「いや」とそれを跳ねのけた。


「そういう輩は逆恨みする。きみが一人になったのを見たら、祭りの空気に紛れて、またなにかしら仕掛けてくるだろう。――そうだな。礼拝堂なら、どうせおれたちも行くつもりだったんだ。送っていこう」


 有無を言わせぬ断定に、断る言葉も出てこない。


(……実際、次になにかがあったら、ユニを抑えられる自信もないし)


 先程からやけに静かな〈一角獣〉が、私にはだいぶ不気味だった。

 確かにこれまでも、私が混乱しないようにか、他の人と話している最中には黙っていてくれることが多かった。それでも隙さえあれば口を挟みがちだったし、なによりもっと自由に飛び回っていたのに、さっきからずっと、私の肩口に留まったままだ。

 周りの敵意や害意は怖くないけれど、いつもと違う様子の星獣を思えば、不用意な真似はしたくない。


「それでは……お言葉に甘えて」


 そう頷いたことにさえコメント一つないことが、どうにも不安で仕方がなかった。





「え? いない?」


 礼拝堂の前では、村を回り尽くした行列を迎えて、宴の様相となっていた。

 その中で、警備役をしている男性に父の行方を尋ねると、思いもしない返事が返ってきた。


「少し前に、娘が一人で帰ろうとしてるから、悪いが先に上がらせてくれって言って帰ったよ。なんだい、行き違いになったのかい?」

「……そう……みたいですね」


 男性のそばを離れてから、一緒に聞いていたヴィクトルが怪訝そうに呟く。


「どういうことだ?」

「……わかりません」


 父のことだ、なにかの見間違いや勘違いをしたという可能性もある。村を出ていく誰かを私と間違えて、慌てて追いかけていったのかもしれない。

 けれど、もしそうでないとしたら。


(……誰かが私を騙って、父を家へ帰らせた? でも、なんのために?)


 そんなことをして、いったいなんの得になるというのだろう。ただの悪戯か、それとも――と考えたその時、「ステラ」と思いのほか真面目な声で呼ばれた。

 顔を上げると、私を真っ直ぐに見据える、紫の瞳。


「このまま送ってあげるから、お父さんを追いかけましょう」

「えっ?」

「いいですよね、ヴィクトルさま」

「ああ、そうだな」


 二つ返事で了承したヴィクトルに、私は「待ってください」と止めに入る。


「初めてお会いした方に、そこまでしていただくわけには」

「気にするな。このまま放り出したほうが寝覚めが悪いだろう。それに……」


 赤い瞳が、ひたと私を見る。


「どちらにしろ、おれはきみの父親に会わなくてはならない――そんな気がする」

「え? ……ええと」


 わけがわからないながら、どうにも引いてくれそうにないのだけは理解した。悪人ではないのだろうが、この二人、どちらも頑固らしいとそろそろ私も気付いている。

 どうしよう、と思わず傍らを見上げると、ずっと静かだったユニと目が合った。夜色のその目を柔らかに細め、彼はいつもと同じように言う。


『ステラが心に思うままに。どちらにしても、ボクはキミの味方だよ』

「……では、すみませんが」


 漠然とした不安が消えたわけではないけれど、少しだけほっとして、私はヴィクトルたちに頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 歩いて村の端に着くと、そこに馬が用意されていた。どこに控えていたのやら、やはり従者がいたらしい。こちらの動きを読み取って、ヴィクトルとリディアの馬を連れてきてくれたらしかった。


「ステラはあたしと同じ馬に……」

「馬鹿を言うな。一人でもろくに乗れないくせに、他人を乗せられるか」


 訂正。どうやらこれはヴィクトルと従者の馬で、リディアーヌ嬢はどちらかに乗せてもらって来たようだ。

 最終的には、私はヴィクトルの前に、リディアは従者の前に相乗りさせてもらって村を出た。令嬢である彼女が敬称で呼ぶくらいだ、金髪赤眼の少年も相応の身分があるのだろうに、庶民に過ぎない私をずいぶんと丁寧に扱ってくれる。

 横座りで均衡バランスを保つ私に、ヴィクトルは意外そうに唸った。


「思ったより、乗り慣れているな」

「うちにも馬はおりますので。この子に比べると、かなりのお年寄りですけれど」


 そう答えたのは、嘘でもなく本当でもなく。

 うちに年老いた馬がいるのは事実だけれど、私が乗り慣れているのは、前世においてそれなりに嗜んでいたからだ。我が夫であり最愛の推しである月珀英げつはくえいの、数少ない趣味の一つが乗馬だったから。


雪瓊せっけいは元気かしら。珀英様なら、世話を続けてくれると思うけれど)


 皇太子妃時代、珀英への献上品とともに私にも贈られたあの子は、処女雪のように美しい白馬だった。私に白馬を、彼には黒馬を贈った高官は、それぞれの取り合わせをずいぶんと褒めちぎってくれた――黒髪の私に純白の馬、銀髪の彼に漆黒の馬は、陰陽和合の万世盛況を表す見事な取り合わせだと。


 遠い過去世の記憶を辿り、思わずぼんやりしてしまう。そんな私の気持ちを汲んだかのようにヴィクトルはしばし常歩なみあしで馬を進めていたが、村近くの小川にかかる橋を渡ったところで、並んだ馬から焦れたように声をかけられた。


「あの、もっと急ぎましょう」

「なんだ、珍しいな。きみがそんなに焦るなんて」

「……なんだか嫌な予感がするの」


 そう馬を急かせたリディアの勘は――

 果たして、当たっていた。





 父の背中どころか人影ひとつ見えない小道を速歩はやあしで進み、村からの視界を半ば遮っていた小高い丘を回り込む。


 目の前に広がるのは、ステラにとって故郷である広葉樹の森。

 その奥へと進む道のただなかに、見慣れた老馬が死んでいた。





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