第16話 ブルータス、お前もか
「まさか私まで、リディアさんと同じお部屋で休ませていただけるなんて」
「女の子はあたしたちだけだもん。いいのいいの」
夕刻に立ち寄った街で、私たちは宿をとった。
王族一行としては本来、その土地の権力者の屋敷にでも泊まるのが筋だろうけれど、今はお忍びを徹底させることが優先されている。部屋分けは簡単に、男子と女子。本来ならば王族従者ひとまとめなどあり得ないだろうけれど、今はお忍び以下略。
我が事ながら振り返れば、なかなか奇妙なメンツだが、幸いにして今のところ大して怪しまれている様子はない。少なくとも、王国でも指折りの貴人を含む一行だと気づかれてはいないだろう――なんせ、侍女一人いない少人数である。年頃のご令嬢もいるというのに。
「不慣れな手ではありますが、精一杯お手伝いさせていただきます。ご用がありましたら、遠慮なくお申し付けください」
この場合、その役を買って出るべきは私である。この国の貴族習慣を把握しているわけではないけれど、ユゲットおばさんがしてくれた範囲なら、真似事ながらどうにかできるはずだ。
そう思って申し出たのに、当のご令嬢に「いいわよそんなの」といなされた。
「あたしだって、自分のことくらい自分でできるから。なんにも気にしないで、ステラもゆっくり休んでちょうだい」
「でも、お邪魔させていただくのに……」
「邪魔なんかじゃないから大丈夫。まあそりゃね、いつもみたいにドレスを着なきゃいけないんなら、喜んでお手伝いしてもらったけど」
初対面の時ほどではないにしろ、リディアはずっと、ご令嬢としては軽装だった。田舎娘のおめかしと同程度のワンピース姿で、膝下までの裾から覗く足元など、動きやすそうな編み上げブーツだ。快活の一言に尽きる。
とはいえ身分差を考えれば私のほうが手足を動かすべきなのは明白で、ひとまず、もらったお湯で紅茶を入れることにする。茶葉の品質もお忍びレベルだけど、白湯を出すよりはマシに違いない。
この世界では初めて触れる薄手のティーカップに、浅く出した紅茶を注いでリディアに差し出す。それを見下ろした彼女は、ふと顔を背けて呟いた。
「むしろ本当に、あたしの方が、お邪魔虫みたいで申し訳ないし……」
「まあ。どうしてです?」
「だってあたしが押しかけたせいで、せっかくの二人の出会いイベが変わっちゃったみたいだし…………って、ああ! いやいや! なんでもないわ!」
なんでも!と両手を振り回すリディアーヌ嬢。……ほほーん?
両眉を跳ね上げたくなるのを堪え、私は、強いて邪気のない笑みを作ってみせる。
「お邪魔虫どころか、私にとっては、感謝してもし足りない出会いでしたよ。リディアさんが来てくださらなければ、あの後、どうなっていたかわかりませんもの」
「そ、そう? ステラにそう言ってもらえるのは嬉しいけど……」
「それに今も。殿下と王都へ向かうなんて、もしも一人なら、震えるほど恐ろしかったと思います。リディアさんが一緒にいてくださって、本当にありがたいです」
「え、えへへ。そこまで言ってもらえるなら、まあ、よかったのかなあ」
「ええ、そうですよ。――ところで今回の出会いイベ、どの時点で変則ルートへのフラグが立ったと思います?」
「そりゃあやっぱり、あたしが来ちゃった時点でしょ。原作通りだったら〈リディアーヌ〉は王都から一歩も外に出てないはずだし、ステラとの出会いなんてもっと険悪になるはずだったんだから。ヴィクトルさまとの出会いイベは運命感が強くって素敵だから、ついうっかり見たい欲が出ちゃったせいで――」
はた、と彼女の語りが止まる。
「…………」
「…………」
目が合った私たちは、無言でお互いの感情を読み取る。
彼女の瞳には、底知れないような驚愕を。私の瞳には、きっともう少し、どうしようもないような複雑な色を。
引き攣った彼女の唇が、引き攣ったまま、にこりと笑う。
「……フ、フラッグって、ステラはご存知? 隣国スカイシアの言葉で、『旗』っていう意味なんですって」
「まあ。浅学にして存じ上げませんでしたが、どうやらそのスカイシア国では、グレートブリテン島と似通った言語が使われているようですね」
「そっ、そそそうみたいね。……あとは合衆国とかもそうだったかしら?」
「ええそうでしたね。大英帝国は植民地が多くありましたから、他にも世界中に」
「……………………」
「……………………」
再び、僅かに落ちる沈黙。
それを進んで私が破る。
「一言だけ、私から構いませんか?」
「え、ええ。なに?」
「――『ブルータス、お前もか』」
一瞬の色濃い沈黙の後、王子と従者と私の父がうち揃って部屋に飛び込んでくるほどの叫び声が、彼女の口から飛び出した。
「ご、ごめんね……あたしのせいで、みんなに不審がられて……」
「いえいえ。こんなの、驚かないほうがおかしい状況なんですから」
得物を片手に駆けつけてきた男性陣には「大きな虫が出てビックリしただけ」と言い訳して帰ってもらい、改めて二人きりとなった女性部屋。入れ直した紅茶を一口飲み、彼女は「そうよね」と息をつく。
「まさかあたしたち二人とも――現代日本からの転生者だなんて」
そう。
彼女もまた、私と同じ転生者だった。
出会った時からの言動で、なんとなくそんな気はしていたけれど、実際にそうだと知れると不思議な気分だ。この広い世界の中で、こんな出会いがあるなんて。
ただ――
「私の場合、ちょっと込み入ってまして」
すかさず手を上げた私は、彼女とは少々異なる経歴を暴露する。つまり、私にとってのこの世界は、二度目の転生先であること。現代日本から『日月の契り』へ、そしてここへ来たのだと、かいつまんで説明すると相手は首を捻った。
「うん? 『にちげつのちぎり』? 初めて聞くなあ、それも乙女ゲーだったの?」
「――うそでしょ!? 知らないの!? あの神ゲーを!?」
「ひょえっ!?」
くわっと身を乗り出した私にビビる相手。それもに構わず、私は『日月の契り』がいかに素晴らしい作品かを語る。いかに美麗なイラストか、いかに魅力的なキャラクターか、いかに盛り上がるストーリーか!
「『日月』を知らないなんて絶対もったいない! 人生ほぼほぼ損してるよ! もう一回転生し直して百周プレイしてくるべきよ!」
ビシィっと人差し指を突きつけて言い切ると、ぐぬぬ、と相手の顔が歪む。
「うう……い、いいの! あたしは『コンステ』一筋だったんだから!」
「『こんすて』? って、なんですか?」
「――うそでしょ!? 知らないの!? あの神ゲーを!?」
異口同音とはこのことである。
矢継ぎ早に語る彼女の話を総合すると、『コンステ』とは『コンステラツィオンの夕べ』という乙女ゲーの略称らしい。『日月』とは違い携帯ゲーム機のソフトとして発売された作品で、ファンタジー世界の魔法学院を舞台にした、いわゆるノベル選択ゲーム。彼女いわく、その絶大な人気からメディアミックスや舞台化、実写映画化なども行われ、乙女ゲーム界に旋風を巻き起こしたゲームらしいけれど。
(……知らないんだけど。そんな作品)
口には出さずとも首を捻った私に、相手もふと眉を寄せる。
「本当に知らないの? だったらどうして、あなたが〈ステラ〉になってるの?」
「え? どうしてって」
そんなの私が知るわけない、と思う私に、彼女は言う。
「だって〈ステラ〉は、ヒロインなのに」
「……………………」
ああ、神さま。
がくり、と顔を覆って俯いた。そして私は、絞り出すように胸の内を呻く。
「…………正直、そうかなとは思ってた」
「え? なにが?」
「出会いイベとか攻略対象とか聞いてさ。自分の出自を聞かされてさ。周りはやたら美形だし第一王子とやらに出会っちゃうし、それよりなにより〈
「す、ステラ?」
「おかげで家も焼かれるしお父さんも死にかけるし、もしかしてお母さんが病死したのもそのゲームのストーリーのせいなわけ? 私がヒロインだったから? なにそれほんとありえない! 私はただ普通に穏やかに平和に生きたかっただけなのに!」
握りしめてぶちまけるのは、父から譲られたあの首飾り。その中で眠っているという〈一角獣〉はうんともすんとも言わず、私ばかりが息を切らせて不公平だ。
……ああ。引き千切って窓から投げ飛ばしたい。このペンダント。
ぐっ、と円盤状のトップを握る力を強めると、がっ、と横からの手に手首を掴まれる。誰の手と問うまでもない。紫色の双眸を大きく見開いた黒髪の令嬢が、その中の彼女が、私の自暴自棄による蛮行を察知しやがったのだ。
恨めしくその目を見返すと、まあ素敵な笑顔で励まされる。
「まあほら、前向きに考えようよ! ヒロインってことは、これから素敵な出会いもいっぱいあるんだから!」
「素敵な出会い……?」
「そうよ! 攻略対象はやり込み数によって増えていくんだけど、最初から選べるのは四人なのね。まず第一王子のヴィクトルさまと、彼と王位継承権を争う王弟のセルジュさま、それから現宰相の子息であるジェラルドさまがいて――」
「――ああ! いい、いい! やめて!」
そんな話、なんにも嬉しくない。
だって私は。
「私にはもう、心から愛する人がいるのよ」
「ええっ!? うそ誰!? まさかラウル!?」
「違う。全然違う。もっと大人で、もっと冷徹で、もっと尊敬できて、もっと麗しくて、もっともっともっともーっと素敵な人」
「な、な、な……だ、誰なのそれ!? どこの人!? ねえ、ステラ!!」
両肩をがつりと掴まれて、がくがくと思い切り揺さぶられる。脳が飛んでいきそうになるけれど、たとえそうなっても私の答えは変わらない。
王子にも王弟にも宰相子息にも、ましてや狩人の幼馴染にも用はない。新しい出会いも新しい恋も、砂粒どころか髪の毛一本ほどの興味もない。
私が逢いたいと願うのも、私が愛したいの想うのも、未来永劫一人だけ。
「夫よ」
「ふえ!?」
「前世の夫」
「ほあ!?」
奇声を発して固まった“リディアーヌ”。
その両肩を、今度は私ががしりと掴む。
この世界のことなんてわからない。この物語のことだってわからない。
だけど、これだけはハッキリ言い切れる。
「私、ヒロインにはならないから」
何度生まれ変わろうと、この魂が続く限り、
断言した私に彼女は絶句し、もはや悲鳴すら上げることはなかった。
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