第一部 秘めたるは森の星

第1話 三度目の人生


 きらきら輝く。光が揺れる。


 ――ごめんなさい


 金の髪。蒼の瞳。


 ――信用できないの


 可憐な少女が。その唇が。


 ――だってあなたは


 彼の幸せである少女が。

 そうだったはずの知らない誰かが。



 ――あなたは――



 私を、嗤う。




          ***




『――おはよう、麗しの我がお姫さま』


 もふ、という感触に覚醒すると、すぐ目の前に白いものがいた。

 その白いものは、夜色の瞳で私を覗き込む。


『顔色がよくないね。またあの夢かい?』

「……おはよう、ユニ」


 質問には直接答えず、枕に頭を埋めたままそれだけ返す。

 それでも相手は理解して、大仰に鼻面を左右に振った。


『いけないな、やっぱりキミには、この素敵な王子さまが一晩中ついていないといけないようだ。ねえ、ボクの可愛いお姫さま』

「うんまあそうね。いつもありがとね」


 歯が浮くような甘い台詞も、日常となると耳を素通りする。ましてや相手はだ。メルヘンはあっても胸きゅんはない。


(……そのメルヘンの塊に、確かに救われてはいるんだけど)


 思えばまた、溜め息が洩れる。

 それに気付いて身を寄せてきたもふもふを、ぎゅっと遠慮なく抱き締めると、喉元にわだかまっていた苦みが溶け消える。嬉しげに擦り寄せられる彼の額……そこに生えたまろやかな虹色の角が触れたところから、やわらかな熱が流れ込んでくる。

 その熱に包まれて、私はようやく、強張る肩の力を抜いた。


「……ありがと、ユニ」

『どういたしまして。我が愛しの姫君のお役に立てたなら、ボクこそ望外の喜びさ』


 まったく大袈裟な軽口を叩くもふもふを、軽く撫でてから息をつく。

 それから改めて見回せば、部屋はすでに薄明るい。すぐに夜明けが来るだろう、と当たりをつけて、少し早いが起床を決めた。


「んんん~……でいっ」


 起きるついでに勢いをつけて、もふもふを宙へと放り投げる。薬草や香草を吊り下げた梁の上まで飛ばされて、くるりと回ったもふもふは、しかし落ちることはなく、そのまま宙に留まった。

 夜色の双眸が、ふわふわと、頭上高くから私を見下ろす。


『ひどいな、ステラ。急に放り投げるなんて。危うく大怪我をするところだったじゃないか』

「あら。私は信じてるのよ、ユニなら大丈夫だって」


 ベッドを下りた私は、寝間着を頭から脱いでにっこり笑う。


「私に信頼されるの、嬉しいでしょ?」

『それはもちろん』


 この即答を知っているからこそ、私は遠慮なく放り投げるのである。

 実際、そういう点において、ユニのことは大いに信頼していた――が相手なら、さすがの私も、こんな粗雑な真似はしない。


 ユニは普通の生き物ではない。

 星女神に遣わされ、私を守護する聖なる獣――星獣〈一角獣ユニコーン〉、なのだ。


(……ぱっと見には、抱っこサイズの仔馬のぬいぐるみ、なんだけど)


 初夏の普段着であるスカートとブラウス、そして布製のボディスに着替えながら、頭上を緩やかに飛び回るユニを見上げる。

 ふんわりもふもふと全身を覆う、真珠の光沢をもつ毛並み。額にちょんと突き出した、虹を閉じ込めたかのような角。ただの仔馬にしては小さ過ぎるし、おまけに私以外の誰にも見えないという特殊性まであるものの、ユニコーンと言われて想像する神秘性とは、なんとなくかけ離れている気がする。


(まあ、可愛いからいいんだけど)


 想像通りのサイズ感で懐かれるより、いろいろと勝手が良いのは確かである。


「さて」


 鏡もない粗末な部屋の中。日々の慣れだけで身形を整えた私は、ぬいぐるみめいた星獣を見上げ、彼がこの一晩、私のそばを離れた成果を問いただす。


「それで、あの子の様子はどう?」

『もちろん、もうばっちりさ。今日の夜には、走り回れるくらいになるよ』

「そう――さすがね」


 軽やかな回答に、私は安堵の息を吐く。

 その目の前に飛来して、ユニはいかにも恭しく、その真珠色の首を垂れた。


『当然さ。――ボクのすべては、ステラのために』





 ステラ・シャリテ。


 それが、私の名前。

 森の中の一軒家で暮らす、今年十六歳になる少女の名前だ。


 両親にもらったこの名前からも察せるように、ここはどうも、ヨーロッパのような世界のどこからしい。

 ユニの存在や現代より遅れた生活様式など、諸々を思うと「ような」の仮定を取り除くことはできないけれど、前世を生きた世界とも、前々世を生きた世界とも明らかに違うことだけは確実だ。人種も生活も植生も、御伽話やファンタジー作品で知るヨーロッパ世界にそっくりだった。

 そんな世界の片隅で、優しく美しい母と真面目で働き者の父のもとに、今生の私は生まれ落ちた。


(……とはいえ、『私』の記憶があるのは、やっぱり幼児からだけど)


 星徳妃と呼ばれた前世と同じように、赤子の頃の記憶はなかった。ふと気付けばすでに『ステラ』としてそこにいて、その中に『私』が存在したのだ。その時、『私』が『ステラ』の中に入ってしまったのか、単に前世の記憶を思い出しただけなのかは定かじゃない。もしもそれがわかるなら、『生命はどこからやってくるのか』という問いへの答えにも、あるいはなるかもしれないけれど。


 現代日本から中華乙女ゲーときて、今度は見ず知らずの西洋世界。

 なんの因果か知らないけれど、なにはともあれ、得られた生は大事にしたい。無念の死を遂げた後であれば、なおさらである。


 平穏第一。

 それが今生での私の目標だ。


(まあ――)


 人生三度目にもなれば、いろいろと、肝も据わってくるもので。

 前世で毒殺された私は、今、この一軒家で薬師の真似事をしていたりする。


 なにがどうなってそうなったかと言えば、ステラとして生まれた時から、私の母がそれを生業としていたからだ。この森からは滅多に出ずに、近くの村人たち相手に、自然療法や民間療法の類いを請われるままに施していた。

 幼い頃からそれを眺め、簡単なことを手伝ううちに、自然といろいろな知識を身につけた。いつしか村人相手の生業を手伝わせてもらえるようになり、母が亡くなった十一歳の春からは、一人でそれを引き継いだ。

 〈一角獣〉のユニキザなもふもふが私の前に現れたのも、確か、それくらいの頃だった。


「おはよう。朝よ。もう起きられるかしら」


 部屋を出てそう声をかける先は、居間のベンチに寝かせた子ども。昨日の昼、毒蛇に噛まれて熱が下がらないと半泣きの両親が連れてきた、近くの村の男の子だった。

 藁と布とで寝床に仕上げたベンチに横座り、寝ぼけまなこながらすっきりした顔の子どもの額に触れながら、容体をつぶさに観察する。


(熱はないし、腫れも引いてる。……さすがは癒しの〈一角獣〉)


 この辺りの毒蛇は、主に神経性の毒をもっている。それ自体への対処は知ってさえいればたいして難しくもないのだが、あいにく今回は、体力のない子どもだったため後のほうが大変だった。患部が倍近くに腫れ、うなされるほどの高熱になり、抗生物質もない自然療法だけでは、危うく助からないところだったのだが。


「……うん、もう大丈夫ね。お昼にはお父さんが来てくれるから、そうしたら一緒に帰っていいからね」


 はあい、と弾む声の元気さに、私の頬も自然と緩む。

 自慢げに飛び回るもふもふ星獣に目顔だけで感謝して、私は、朝食の準備のために腰を上げた。





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