第2話 ステラの生活



「本当に、ありがとうございました」

「またなー、ねーちゃん!」


 何度も頭を下げる父親と、飛び跳ねながら両手を振る子どもを見送って、私はふうと息をついた。

 その目の前に、くるりと回ってもふもふが降ってくる。


『お疲れさま、ステラ』

「ううん、ユニこそお疲れさま。お礼はクッキーでよかったかしら」

『お礼なんていらないよ、ボクはキミのために在るんだから。……と言いたいところだけど、キミの気持ちも無碍にはできないなぁ』

「はいはい。それじゃあ、あのジンジャークッキーは全部ユニのものね」


 午前中に男の子と一緒に作り、おみやげに渡した残りがひと山ほど。それをすべて進呈すると告げると、神聖なる星の獣は『ヤッホウ!』と三回転半して喜んだ。

 仔馬みたいな見た目をしつつ、〈一角獣〉なんてものだと言いつつ、食べ物の好みは人間の子どもと大差なかったりする。まあ、それも可愛いところだ。


「さってと。それじゃあいろいろ片付けて、畑の手入れもしないとね。そうだ、そろそろ虫刺されの軟膏も作りたいから、その準備もしておかないと。お父さん、ちゃんと蜜蝋を持って帰ってくれるかなあ」


 私の父親であるパトリス・シャリテは、近隣の村で番兵のような仕事をしている。とはいえ、基本的には平和な田舎の村なので、荒事よりは力仕事の何でも屋のようになっているらしい。昨夜のように村に泊まり込むこともあれば、行って野菜や牛乳をもらって帰ってくるだけの日もあったりと、なんとも緩い勤務体制だ。

 本人の性格も顔に似合わずゆるゆるなので、こうしてお使いを頼んでも、最後までなんとなく心配が付きまとうのである。


『まったく働きものだねえ、ボクのお姫さまは』


 なんだか呆れたようなセリフだけど、夜色の瞳は楽しげだ。そんなユニに肩を竦めて、私はあちこちの窓を開け放ち、掃除を始めた。


 父娘二人暮らしの私の家は、木組みと土壁でできた、ごくこぢんまりした平屋だ。

 部屋数は三つで、一部屋は玄関直通の台所兼居間リビングダイニング、残りの二部屋がそれぞれ私と父の寝室になっている。床はすべて土間造りで、家具はどれも、最低限ながら趣味よく実用性の高いもの。居間には大きな暖炉があって、毎日の調理にも冬場の暖房にも重宝していた。

 もともと物置だった私の寝室にも、昔は親子三人で寝ていた父の寝室にも、たいしたものは置いていない。古布を重ねたようなベッドと、服や小物を納めたタンスくらいだ。まあ、強いて特徴を上げるなら、私の部屋には所狭しと薬草や香草が吊ってある。乾かして薬や料理に使うためで、昔、母も、この部屋で同じようにしていろいろなものを干していた。


 だからだろう。父は今でも、私の部屋にはあまり目を向けない。そこにあるのは、年頃の娘に対する遠慮だけではなく、亡くした妻への想いでもあるはずだった。


(あの人も……少しはそんな風に、思っててくれたりするのかな)


 夢の中に垣間見る、愛しい相手に思いを馳せる。

 月珀英は、少しでも、私のことを悼んでくれているだろうか。それともあの世界では、死んだ〈キャラクター〉のことなど忘れ去られてしまうのだろうか。皇帝の婚礼の宴の最中に死ぬなんて不敬だと、そんな風に怒る人でないのだけが救いだ。


(今となっては、知るすべもないけれど)


 願わくは、彼が幸福でありますように。

 そのためなら、私一人の生と死くらいは、忘れ去られても構わないから。


 あちこちのホコリを落として土間を掃き、テーブルやベンチを水拭きする。汚れた水を捨てるついでに庭先を見れば、梅雨のない乾いた初夏の日差しの中で、朝の間に干した来客用寝具が風に揺れていた。……さすがに水仕事の間、男の子を放っておくわけにもいかなくて、今朝は洗濯らしい洗濯をしていない。森に囲まれた一軒家では日照時間が余所より短いため、残念だけれど、今日は諦めるより他にない。


「……明日もお天気だといいんだけど」

『明日かい? 昼くらいまでなら清々しくいい天気だよ。その後も、降りそうでギリギリ降らない曇り空って感じかな』

「うーん……それならなんとか、洗濯物も乾くかな」

『ボクのお姫さま、キミが望むなら、この森一帯の上空を素晴らしく美しい青空で彩ることも、ボクには容易いんだけど?』

「そんなことしたら、村の人たちに変な目で見られちゃうでしょ。いいのよ、朝早く起きて洗濯して、昼までにたっぷり、おひさまと風を浴びせれば乾くから」

『そうかい? 本当にキミは、慎ましやかでいじらしいね』


 そういう意味じゃないのだと知っているだろうに、この〈一角獣〉は言う。


 ――村から離れて暮らし、見るからに危険な状態の病人をあっという間に治癒させるような人間を、たいていの人は〈異質なもの〉として捉える。

 前々世を生きた地球の中世ヨーロッパでは、そういう人たちのことを〈魔女〉と呼び、教会が先導して捕らえ、拷問し、火炙りにして処刑した。


 今生のこの世界にキリスト教はなく、あるのは自然崇拝から発展したものらしい、星女神を主神に据えた多神教だ。いろいろと懐が深く寛容な教えをしていることを思えば、そこまでの迫害はないだろうが、悪目立ちはしないに限る。


(一度目の死因は事故、二度目は毒殺、三度目は火炙りとか、悪化の一途にもほどがあるし)


 ちなみに前の人生を生きた世界では、医術といえば自然物を元にした内服養生が主だったし、呪術や占術も普通にあった。後宮内のトラブルといえば『呪いと占い』だと、相場が決まっていたものだ。……陽花鸞ヒロインが合流してからは特にひどくて、いろいろと手を焼いた。匿名性の高いものがほとんどで、実行犯は捉えられても、なかなか黒幕に辿り着けずにいたのだけれど。


(今になって思えば……)


 もしかしたら、と疑う相手は被害者だけれど、今更考えても無益なことだ。わかっているのに沈みそうになる気持ちを、頭を振って追い払う。


 なにはともあれ、洗濯物は明日に回し、今日は畑仕事に精を出すことにする。


 家の隣にある私の薬草畑は、母から譲り受けたものだ。不思議なことに植生はかつての地球とほぼ同じらしく、ミントやカモミール、レモングラスなどの基本的なものは、全部そこに作ってある。薬として扱うにはやはり安定して採取したいから、この畑はとても重要だった。

 ただ、種類によっては畑の土にはうまく根付かないものもある。そういうものは、自分で森に入って採ってくるか、森で生きる他の人たちに譲ってもらうかしていた。


 そういう生業の知人がうちを訪れたのは、畑の雑草を取り終えて、ちょうどひと息ついた頃合いだった。




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