第4話 星女神の籤


 星女神の十二年大祭は、その名の通り、十二年に一度ある重要祭祀だ。


 祭祀らしく施政者たちの間ではいろいろと進行次第があるらしいが、村でのメインイベントは、〈星の行列〉と呼ばれるものである。

 七歳から十八歳までの少年少女から〈星の乙女〉と〈星の若君〉を籤で選び、それぞれに特別の衣装を着せて、他の子どもたちと一緒に行列を作る。その行列は村中を巡った後、星女神の礼拝堂へと向かい、そこで司祭から祝福を受けるのだ。

 十二年にたった一度、限られた年代しか参加できないから、〈乙女〉や〈若君〉に選ばれるチャンスは滅多とない。前回の大祭時、私はまだ四歳だったけど、星のようにビーズがきらめく真っ白な衣装を着た〈乙女〉と〈若君〉の、誇らしくも面映ゆげな様子はよく覚えている。


 聖なる籤は、女神の御意志。

 村中でたった二人しか浸れない幸運には、妬みも嫉みも生まれるだろうが、それに意を唱える権利は何者にもない――という。


「……そんな籤で、今回は私が選ばれたってこと? お父さん」


 たった今、帰宅した途端に聞かされた結論を繰り返すと、私の父、パトリス・シャリテは「ああ」と頷いた。

 ラウルが蜜蝋を届けてくれた、翌日の台所でのことである。


 我が父ながら、パトリスは実にいい男だ。明るい栗色の短髪に、彫の深い面長な顔。髪と同色のヒゲが口元と顎を縁取っているが、春空のような青い瞳はいつでもどこか楽しそうで、いくつになっても少年めいた雰囲気を残している。若い頃は、さぞ美男子だっただろう。身長はさほど高くないが、均整の取れた体格をしていた。

 しかし前にも言った通り、なんとなくどこか抜けている。仕事のついでに買い物を頼むと、大荷物のおばあさんを助けたあげく家の力仕事も頼まれて、手伝ったお礼だとかで頼んだ買い物とはまったく別のおみやげを持って帰ったり……なんていうのが日常茶飯事なのだ。

 人が好いというか、圧しに弱いというか。

 三度目の私だからよかったものの、年相応のがこの立場にいたら、きっとずいぶん苦労しただろう。


 そんな父が真面目な顔をして言うから、不安が湧いて慌ててしまう。


「もちろん、村の人から反対されたのよね?」

「いいや。村長も他の人たちも、星女神の籤に文句はつけないと言ったよ」

「えっ」


 聖なる籤は、女神の御意志。

 敬虔な人々はただそれだけで受け入れるのかもしれないけれど、私は不信心者だから、そんなことを納得するわけにはいかない。

 でも、となにかを続けようとした父を遮って、私は身を乗り出した。


「言っとくけど、嫌よ、私。これまでろくにしゃべったこともない人たちの中で、そんな目立つことするなんて。そもそも、私たちは村に住んでいないじゃない。いくら村長たちがいいって言ったって、村の子たちや親御さんは、よその人間に晴れ舞台を邪魔されちゃ、いい気分はしないでしょ」


 共同体の外側に暮らし、毒にもなる薬を扱いながらも妙な迫害を受けずに来たのは、お互いにほどほどの距離を保ってきたからだ。突然、村人の感情を逆撫でするような真似をして、魔女狩りの口実にされては堪らない。

 いくら星女神のもとで寛容な教義が尊ばれているとはいえ、生きた人間のそういう感情は、なにを引き起こすかわからないものなのだから。


「私はここで、この森の中で、これまで通りの生活がしていたいの。派手な格好をして村中の見世物になるなんて御免だわ。そんなことするくらいなら、ずっと遠くまで逃げてやる――」

「わかってるよ」


 片手を挙げて制されて、思わず口を閉じる。

 そんな私に父は苦笑し、わかってる、と繰り返した。


「そう言うだろうと思ったから、一晩かけて、どうにか断ってきたんだ」

「……そう……だったの?」

「そうさ。やたらと熱心な村長を、脅し半分で断ってきたんだぞ」


 感謝してくれよ、と笑う父に、すとんと肩の力が抜ける。


 父は圧しに弱いけれど、家族思いのいい人だ。過去二回の人生と比べても、父親という存在に、これほど愛されたことはない。そう言い切れるだけの愛情を母とともに、母がいなくなってからも変わらず、ずっと注いでもらってきた。

 だからきっと――本当に、脅すようなことをしてでも断ってくれたのだろう。


「私……ごめんなさい」

「おいおい、なにを謝ることがあるんだ。感謝してくれとは言ったけど、謝れとは言ってないぞ」

「だって、村長さんに嫌われたら、お父さんの仕事にも支障が出るのに……」


 村との間に取るべき、適切な距離。

 私は離れることばかり考えていたけれど、落ち着いて思えば、村の番兵という父の仕事はそれだけじゃいけない。雇ってくれるのはありがたいことだと、いつも聞いていたはずなのに、恩を仇で返すようなことをさせて。

 しょんぼりと肩を落としていると、「子どもが気にすることじゃない」と父の手で頭を撫でられた。……ラウルよりも肉厚で、働きものの温かい手。


「あの村の村長は、お父さんとお母さんがここに来た時からの知り合いだ。よかれと思って籤にお前の名前を入れてみたら、本当にお前が選ばれたから、舞い上がってしまっただけさ。ちゃんと話してわかってもらえたから、なにも心配しなくていい」

「……本当?」

「ああ。司祭さまにも話を通して、森に住んでいるお前は籤の対象外だったと、ちゃんとみんなに説明してもらった。みんな納得したから、話はそれで終わりだ」


 断言する父がいつになく頼もしく見えて、思わず自分の頬をつねってしまう。


「なにしてるんだ」

「……お父さんがこんなにカッコイイなんて、夢じゃないかと思って」

「ひどい子だな、お父さんは昔からカッコイイだろう」


 置いたままの手で、わしわしと頭を撫でくり回される。ひどいと言いながらその瞳は、春空のように明るく澄んで笑っていた。

 本当に、お母さんが好きになったのもよくわかる。

 切なくも嬉しくそう思いながら、私も、声を上げて笑った。





『もったいないなあ。〈星の行列〉の乙女役なんて、キミのためだけに存在するようなものじゃないか』


 夜の部屋。ベッドに座って髪をくしけずる私の膝に寝転びながら、ユニが不満そうに言う。


『今からでもパトリスと司祭を説き伏せて、行列を率いたらどうだい? 当日はボクが、これ以上ないくらいの瑞兆を顕してみせるよ』

「何度も言ってるでしょ。私はしません」

『強情だなあ』

「お父さんとの話、聞いてたんでしょ。変な軋轢を生みたくないのよ。私はここで、薬や作物を作って、時々病人や怪我人に頼られて、だいたいの間は忘れ去られて静かに暮らしたいの」


 競争社会に苦しみながら、あげく事故であっさりと死んだ前々世。

 悪役にならないよう気を張り続け、しかし結局、毒を盛られて死んだ前世。

 それらを経て辿り着いたこの人生。この世界、この家族の元に生まれて育ち、私はかつてないほど幸せだった。決して豊かではないけれど、温かな愛情と自然に囲まれて、初めて心穏やかになれた気がした。

 この暮らしを、失いたくはない。

 今は、心からそう思う。


『――キミがそう望むなら、ボクは叶えてあげたいけれど』


 想像よりも沈んだ声音に、ふと手を止めて膝を見下ろす。

 手燭の明かりを映した、真珠色の毛並み。馬にしては長いその毛の中から、聖なる獣の夜色の瞳は、まっすぐに私を見つめていた。


『でも、多分、それは無理な話だよ』

「……どういうこと?」


 そっと潜められた不穏さに、どきりとして〈一角獣〉を見つめ返す。

 星女神の聖なる獣は、それに答えることはせず、虹に輝くまろやかな角を、私の片手に摺り寄せて言った。


『我が愛しのお姫さま。たとえなにが起ころうと、ボクは必ずキミを守るよ。それを信じて、どうか、この世界を恐れず生きておくれ』





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