第5話 母の面影


 行列への参加は拒否した大祭だけれど、こっそり見学だけはしてみたいなと伝えると、父は喜んで賛成してくれた。


「どっちにしろ、祭りの時は警備に出ないといけないからな。馬に乗せてやるから、一緒に行こう」


 年甲斐もなくうきうきしている父を見て、そういえば、と初めて思い至る。


(お父さんと出かけるなんて、いったい、いつぶりだったかしら)


 母が生きていた時は、季節に一度くらいは、三人で村まで出かけていた。片手にも足りない数だけど、泊りがけで、少し遠くの街まで行ったこともあった。

 それをしなくなったのは――そう。母が亡くなってからだ。

 少女のようにはしゃぐ母がいないと、村も街もなんだか色褪せる気がして、そんなことより母が残してくれた家や畑を守るほうが大事で、父の誘いも断り続けていた。二人だけの生活はそれでもじゅうぶん回っていって、だからこれまで、わざわざ考えたこともなかったのだ。


「私、ずいぶん親不孝だったみたい」


 十二年大祭の前日。

 狩りたてのウサギ肉を片手に家を訪ねてきたラウルへとそう告げると、幼なじみの青年は、「は?」と目を瞬いた。


「なんだよ、急に」

「せっかく家族として一緒にいるんだから、もっと一緒に、いろんなことを楽しめばよかったのよね。どうしてそれくらいのこと、ずっと気付かなかったのかしら」


 人生三度目だというのに、いや、人生三度目だからだろうか。穏やかに暮らしたいと願いながら、それを足枷にしてしまっていた気がする。己だけの枷ならともかく、周りにまでそれを強いていたのだとしたら、これほど情けないことはない。


「意味がわからんのだが」

「だからね、お父さんと一緒に、明日の十二年大祭に行ってくることにしたの。〈星の行列〉を見てくるのよ。その間ラウルには、うちの留守番をしてほしい――とは言わないけど、お隣さんとして、ちょっとだけ気にかけておいてほしいなと思って」

「ふん。ずいぶん遠いだな」


 トロー家があるのは、同じ森でももっと西のほう。幼い頃には何度か遊びに行ったこともあるけれど、確かに「お隣」と呼ぶには遠い距離だ。でも。


「ラウルたちにとって、この森は庭みたいなものでしょう? 隅っこに間借りさせてもらってる貧しい父娘の幸せを、ちょっとだけ支えてくれてもいいじゃない? しかも大祭の日なんだから、きっとその慈悲に、星女神の覚えもよくなるわよ。村の礼拝堂に行ったら、ちゃんと『親切なお隣さん』への感謝も捧げてくるから」

「ああ、わかったわかった」


 拳を握って主張する私をウサギ肉とともに押し返し、ラウルはふうと息をつく。


「どうせオレは行かないし、に頼めばたいした手間でもないし。うちの親父とおふくろにも言っとくから、心配せず行ってこい」

「――ありがとう!」


 こうして私は、心残りなく、父との道行を楽しむことになったのだった。





 そして翌朝。星女神の十二年大祭当日。

 早くから畑と動物の世話をして、朝食をとり終えた後、唐突に父が私を呼んだ。


「今日は、これを着て行くといい」


 そう言って大事そうに差し出されたのは、一抱えの布。両手に受け取って広げてみると、それは、巧みな刺繍が施された一着のガウンドレスだった。

 その襟ぐりの意匠に見覚えがある気がして、指で辿りながら思わず呟く。


「これって……」

「エトワール――お前のお母さんのものだ」


 言われて、ああ、と声を洩らす。

 画布の中。炭色の線で描かれた微笑む娘。今の私より少し年上の彼女が着ているのが、このガウンドレスなのだった。


「きれい……」


 蒼天のような深い青。金とみどりの糸を組み合わせた流れるような刺繍。十年以上前のものなのに、色褪せ一つないのを見れば、どれだけ上質なものなのかがわかる。それでいてごくシンプルなデザインで、おそらく遠目には、村娘のちょっとしたおしゃれ着くらいの印象しかないだろう――そう見えるように、作ってあるように思えた。

 現代日本・中華後宮に生きて死に、今生では森の中の一軒家にひっそりと暮らしてきた私に、ドレスの価値なんてわからない。それでもこれが、つましい我が家に不釣り合いなものであることくらいは、さすがに理解できた。


(考えてみれば、おかしなことなのだ)


 画布の中の娘も、記憶の中の母も、粗野とは程遠い人だった。明るく可愛らしく、素直で素敵な人だったけれど、言葉の端々、しぐさの一つ一つに、どこか洗練されたものを感じていた。それは、人里離れた森の中で見るものではない――磨き上げられた壮麗な屋敷の中で見るものだ。

 そうと気づいたのは、決して最近のことではない。後宮を見慣れていた私には、容易に目につくことだった。それでも、ステラとしての自分の年齢を考えて、無暗に聞くようなことはしなかった。


 ――いつか教えてくれるだろう。その時まで待っていよう。


 そう楽観的に構えていた矢先に母が死に、その面影を父に問うこともできなくなった。もうこのまま、自分自身、忘れ去ってしまうものと思っていたけれど。


「ねえ、お父さん。お母さんって……」

「お母さんのことは、いつか話すつもりだった。その『いつか』を、星女神の十二年大祭である今日この日にしようと、ずっと考えてきた」

「……うん」


 頷く私に、絞り出すような吐息をひとつ。


「……今夜、話すことにしよう。聞けばきっと、お前もいろいろと考えてしまうだろうから。せっかくの大祭だ、お前が楽しまないと、お母さんも喜ばないだろう」


 その提案を、私も「わかった」と受け入れる。

 それなりに想像がつく部分もあるけれど、別に、結論を急ぐほどのことでもない。


「私、着替えてくる」


 大祭の始まり、〈星の行列〉の開始は十時の鐘が鳴った時だ。

 村までの距離を思えば今や遅しと、私は、空色のガウンを抱えて部屋に向かった。





『そこをその紐で順番に締めて、それから蝶の形に結んだら……』

「こ、こう?」


 人生三度も繰り返しているけれど、ドレスを着るのは初めてだ。

 前々世のおぼろげな知識と、ユニの手助けを総動員して、どうにかそれらしく仕上げていく。どうしてこのもふもふがガウンドレスの着方を知っているかは知らないけれど、今現在とても助かっているので、それは気にしないことにした。


 ウエストを紐できゅっと締め、袖や裾のひだを整える。いつもはひとまとめに縛るだけの髪を、少し迷いつつ、絵の中の母を真似て編み込みのハーフアップにした。


「こ、これで、いいのかな……?」

『うん! いつもに増して美しいよ、ステラ! まるで星女神が天地の祝福に現れ出たかのようだ!』

「……それはどうも」


 ユニの賛辞がこれほど頼もしく、これほど不安を煽って聞こえたことがあっただろうか。着慣れない服装に緊張しながら、迫る時間に仕方なく部屋を出ると、一目見た父が大きく息を呑むのがわかった。

 そして、泣き出しそうに笑う。


「……ああ。お母さんそっくりだ」


 初めて見る父の顔に、思わず動揺してしまう。


「……女の子を褒めるのに、他の女の人を引き合いに出すのは、失礼じゃない?」

「ああ、そうだな。うん、きれいだよ。よく似合ってる」

「それはどうも」


 出発の前に、ガウンの上からホコリ避けの長いマントを羽織った。いくらめかし込んでいても、道中で汚れてしまっては意味がない。……というのは名目で、村に着いても、このマントを脱ぐつもりはなかった。いくら遠目にわからなくても、近くで見れば、少なくとも金糸の刺繍には気付くだろう。高価な服を着ていると知られれば、厄介なことになりかねない。

 家で唯一の馬に私を乗せ、父は徒歩で、その手綱をとる。


「よし、じゃあ準備はいいかな? お姫さま」

「ええもちろん。よろしくお願いしますわ、騎士さま」


 どこかの〈一角獣〉のような軽口に、同じように軽口で返すと、見上げる父の顔がほろ苦く崩れた。


 そうして私たちは、丘向こうの村へと出発した。





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