第6話 十二年大祭


 丘のふもとの小さな村。

 その中心の礼拝堂が、厳かな鐘を響かせる。

 重なるその音をかき消すほどの歓声とともに、初夏の花吹雪を撒き上げて、子どもたちの〈星の行列〉は村境を出発した。


「おおー。村の子どもって、結構多いのね」


 全体で百人近くいるだろうか。村自体の規模がそう大きくないからもっとささやかなお祭りを予想していたのだが、結構壮観である。行列参加者は七歳から十八歳までなので、厳密にはもう『子ども』と呼ぶべきではない年齢の子たちもいるけれど、まあ私からすれば一律『子ども』で間違いない。

 この日のために仕立てた服を着て、丁寧にとかした髪を花で飾り、つましい村暮らしでは滅多としないおしゃれに心を浮き立たせた子どもたち。

 親や近所の大人に見守られ、友人と、兄弟と笑い合いながら、彼らは村を回る。


 その様子を、私はユニと二人で、通りの端から眺めていた。

 村まで一緒に来た父は、番兵としての仕事中。厄介事避けにと行列の後方をついて回っているその間、私は村から離れず、常に人通りのあるところにいるのを条件に、しばらくの自由行動を許されたのである。


「小さな村なのに、結構にぎやかなのね」

『そりゃあ、星女神の十二年大祭だからね。どんな小さな村でもこれくらいにはなるさ。もっと大きな街や、それこそ王都なんかになると、前後十日間くらいはこの騒ぎが続くよ』

「……ユニは、そういうところのお祭りを見たことがあるの?」

『ずっと昔だけどね』


 こともなげに頷く〈一角獣〉を、私はちらと横目で見る。


 ――両親の馴れ初めと並んで、いつかと思いつつ、ずっと触れられずにいるもの。

 その一つが、この星獣〈一角獣〉もふもふという存在だ。


(あれは、お母さんが倒れる少し前だっけ)


 十一歳になったばかりの私は、ある夜、ひどい悪夢を見た。

 内容はほとんど覚えていないけれど、成人式を二度終えた精神年齢の私が、泣いて飛び起きるくらいのものではあった。

 その頃、すでに私は物置に寝床を移して、一人で寝るようになっていた。星明りすら届かない土壁の小部屋の中、溢れる涙も震える身体も止められずにいた私の前に、突如としてこの真珠色の獣は現れたのだ。

 見たことのない姿。その口から語られた〈星女神〉の物語。

 彼の虹色の角に触れた瞬間、恐怖も不安も涙も震えも、すべてが消えてなくなって。自分でも信じられないほど、ただ温かく穏やかな気持ちになって。


 ――ああ、私はまた違う世界に生まれたのだ、と。

 その時はじめて、明確に悟ったのだった。


 そんなことを思い出しているうちにも、子どもたちの行列は、私の目の前を通り過ぎていく。ちらほらと見知った姿があるなかで、蛇毒の後遺症もなく元気に手を振る少年の笑顔を見つけ、私は、ふっと頬を緩めた。


 ……そう。ユニがいてくれたから、助けられた命がいくつもある。

 それならそれで、きっと、なんの問題もないのだろう。


 記憶を保ったまま何人もの人生を繰り返すにあたって、正気でいるために大事なのは、何事も深く気にしないことだ。


「さってと!」


 最終的に礼拝堂へと至る行列をにぎやかすように、今日は村中に屋台や露店が並んでいる。私も眺めてばかりでなく、そろそろなにか見て回ろうと思った時だった。


「ねえきみ」

「はい?」


 かけられた声に顔を上げると、見知らぬ青年がそこにいた。

 二十歳を過ぎたくらいだろうか。ごく普通の村の青年だ。連れらしい他の青年たちからせっつかれるようにしながら、彼は、にこりと爽やかな笑顔を見せた。


「一人じゃつまらないだろ? おれたちと一緒に回らない?」


 予想外、でもない誘いに即答を返す。


「いえ。一人でも、とっても楽しんでおりますので」


 結構です、と丁重にお断りする。しばらく食い下がられるけれど、笑顔でしっかり断り続け、ちょうど通りかかった番兵姿の父に「お父さん」と手を振り親子アピールをすると、それでようやく諦めたらしかった。

 振り返りつつ去っていく彼らを見送り、私は「まったく」と小声でぼやく。


「なんなのかしら、さっきから」


 実は私、村に着いて父と分かれた直後から、やたらと男性諸君から声をかけられているのである。しかもまったく信じがたいことながら、相手の台詞だけ聞けば、まるで俗にいう『ナンパ』のようなのだ。

 最初こそ戸惑ったものの、ここまでくると、村を挙げての罰ゲームかとすら思う。


『ご要望とあれば、ステラ。あんな身の程知らずどもなんて、喜んでボクが塵にしてあげるよ』

「物騒なこと言わないで。そんなことしたら、お父さんにも迷惑がかかるでしょ」

『愛しい娘のためなら、パトリスだって諸手を挙げて賛成してくれるさ。そもそも、こんなにも美しく愛らしいお姫さまを一人にしておくこと自体、間違いなんだよ』

「はいはい……」


 いつものやつ、と流そうとしたのを、ふと思いとどまる。 

 その頭に思い浮かんだのは、毎日見ている母の絵姿だ。


(あの綺麗な人から生まれて、その姿を一番近くで見ていた伴侶から、そっくりだって言われたってことは……)


 多少なり、親の欲目はあるとしても。


(もしかして……私もそれなりに、綺麗なのでは?)


 自意識過剰の自信過多、と笑われそうなことを真面目に考える。うむ。

 鏡は高価で家にないから、はっきり見たことはなかったけれど、きっとそうに違いない。父も悪くない顔立ちだし、双方の遺伝子由来なら、大事故している可能性は低い。艶やかな黒髪だった前世とは違い、母譲りの金髪はふわふわとまとまりもなく、邪魔だとしか思っていなかったけど、もしかしたらこれも美的要素なのかも。


 自分の目で確かめたい、と思うと同時に、しかし身の内から湧き上がるのは、実を言えばだった。


 ――金髪碧眼だった母。

 ――茶髪に蒼い目をもつ父。


 その二人から生まれた自分の色合いは、夢に見る――何度も繰り返す悪夢の中に見る、と同じものである可能性が高い。


(見たい――けど、見たくない)


 その色合いは、見たくない。

 はっきりとこの目にしてしまえば、夢が再び、現実になってしまう気がする。


 喉が焼ける幻の痛みに、ぎゅっと、胸元を握った時だった。


「ねえ、あなた」

「……はい?」


 かけられた声に顔を向けると、見知らぬ女性がそこにいた。

 二十歳を過ぎたくらいだろうか。ごく普通の村の女性だ。連れらしい他の女性たちで私を取り囲むようにして、にっこりと、獲物を狙う猛禽類のように彼女は笑う。


「ちょっと付き合ってくれる?」

「……ええと」


 断る口実にしたい父は、行列とともに、とっくに行ってしまっていた。





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