第17話 翻された行き着く先


 王族が住まう壮麗なるポワール宮殿は、白亜の街並みの最奥にあった。

 祭の花綱で彩られ、かつ静謐さをも残した貴族街の大通り。その石畳を駆ける馬車窓のカーテンをそっと開け、覗いた先の王宮の姿に、密かに感嘆の息をつく。


(……なんというか……アレね。ヴェルサイユな宮殿ね)


 軒や柱を飾る緻密で繊細な彫刻と、城塞とはまた違う華麗な建築。街並みと同じ純白の壁に濃紺の屋根のため一見してシンプルだけど、光の加減で、要所に金箔による装飾が施されているのが見える。瀟洒な雰囲気の壁に囲まれ、広大な庭園を挟んですらそれがわかるのだから、間近で見ればそれは見事な宮殿だろう。

 洋の東西は違えども、なんとなく、前世の後宮建築を思い出してしまった。


 ……けれどその美しい建物を横目に、私たちの馬車は素通りする。

 なぜなら、かの王宮は、我々の目的地ではなくなったからだ。


 あれだけ劇的に私を動かした「王宮に来てほしい」という誘い文句を、ヴィクトル自身が覆したのは、今朝の出発間際になってだった。





「ゆうべ話し合ったんだが、おれたちはこのまま、学院に入るほうがいいと思う」

「――学院、というと?」


 あまり聞き慣れない単語の登場に、私は素直に聞き返した。

 途端、横から答えが返る。


「王都には、王立の学舎まなびやがあるのよ。基本的には貴族の子弟にしか開かれていないんだけど、それは入学の必須条件にある『魔力保持者であること』を満たすのが、昔から貴族の生まれに多いからってだけ。魔力さえ持っていれば、身分の上下に関わらず入学することができるわ」


 懇切丁寧に説明してくれたのは、言わずもがなのリディアーヌ。個人的にはわかりやすくて大変ありがたいのだけど、突然の前のめりに「どうしたんだ、急に」と周囲の困惑をかい、「えっ!? いいいいやなんでも!?」とさらにその不審を煽っている。うーん、軽率な転生者。

 ちなみに魔力云々という辺りには、今は特に驚かない。昨夜の“推しゲー布教合戦”の中で、〈魔法学院〉という言葉が出たのを覚えていたからだ。

 気を取り直したヴィクトルが、話の方向を元に戻す。


「王都は今、十二年に一度の大祭で沸いている。王宮でも連日連夜、主催を変えたパーティーが開かれ、貴族のみならず多くの人間が当たり前に出入りしている状況だ。おれたちが紛れ込むことは簡単だが、それは敵に関しても同じこと。どこでどう襲われるか、予想がつきにくい」


 一方で、と彼は片手を挙げる。


「王立学院は全寮制で、関係者以外は基本的に立ち入り禁止だ。下働きから出入りの商人まで、身元が保証されなくては門より内側に入れない。国の中枢にも繋がる機関として、警備もかなり厳重だ」

「特に今は、王族の方々が在学されていますしね」


 するりと従者が付け足した言葉に、ヴィクトルも鷹揚に頷く。


「完璧に安全だ、と言い切ることはできないが、ひとまずの安全を求めるのに、これ以上の場所はない。ちょうどステラはおれたちと同い年だというし、学生として在籍しても不審には思われないだろう」


 確かにそう聞けば、これ以上ない隠れ場所のように思える。けれど今の話だけでは、私にはまだ、安心できない部分があった。


「安全なのはわかりました。そこへ行くべきだということも。けれど……その学院へは、父も一緒に行けるのでしょうか?」

「それは……」


 言い淀むヴィクトル。それで答えは察せてしまう。だから首を振って丁重にお断りしようとした、けれどその私より先に、父が「気にするな」と言った。


「お前さえ安全な場所にいるなら、父さんは、自分のことくらい自分でどうにでもする。これでももともと、王国騎士団に推薦されるくらいには優秀だったんだ。なにも心配しなくていい」

「そんなこと言って。知らないうちに半身黒焦げになってたのはどこの誰?」

「そ、それは……悪かったよ」


 情けなく眉根を下げた困り顔にも、今はほだされたくはない。そんなことをすればこの人は、私の目の届かない場所で、呆気なく死んでしまうかもしれない。

 だから断固反対の姿勢をとろうとした私に、キッパリと第一王子が首を振る。


「あんなことがあって、離れたくない気持ちはわかる。だが、これはもう決めたことだ。聞き分けてくれ」


 子どもに言い聞かせるようなその口調に、ぐっと唇を引き締める。

 他の誰も、ヴィクトルの言い分に意見しない――それはそうだ。彼はこの国の第一王子なのだから。その彼が「決定事項だ」と告げることに口を挟むなど、一介の庶民どころか貴族にだって、そうそう許されることではない。王宮や学院を知らない田舎娘の不安を理解し、考慮しようとしてくれているから根気強く諭してくれているだけで、そもそもすでに、私にどうこう言える問題ではないのだ。

 星獣〈一角獣ユニコーン〉を盾にとったとしても、きっとこれは覆せない。覆す意味がないのだと、向こうに立つ父の眼差しに悟る。

 だから結局、頷いた。


「……わかりました。その代わり、あの約束だけは、どうかお忘れなく」

「もちろんだ。両者とも、安全を確保できるよう努めると誓おう」


 嬉々として確約するヴィクトル王子に、私は溜め息を押し殺し、「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。





 ……というわけで。

 私たちの乗った馬車が一路目指して進むのは、王都の貴族街を抜けた東地区、そのまたさらに郊外に位置する王立学院なのだった。


(まさかこの歳になって、学校に通うことになろうとはね……)


 森に住んでいた頃も、村の学校に通わないかと言われたことはあった。いろいろな面倒事を考慮してそれを拒否してきたツケが、今ここに顕現しているとも言える。


(しかも魔法学校的な場所なんでしょ? 未知の世界にもほどがあるわよね)


 母の手紙を読みたいのは本心で、学院で読み書きを学べるのはありがたいことだけど、そこにファンタジー要素が介入するとなると一気に不安になる。なんせ、異世界とはいえ前の世界では、そういったものはほぼ皆無だったのだ。

 信仰する神々はいたし、祭祀を行う官職もあったし、呪いやまじないもそれなりに行われてはいた。けれど、それらがファンタジー要素かと言われるとそうではない。生活の一部であり、単なる文化だった。さらに前々世の日本になれば、言わずもがなのところである。


(魔力なんてものが、私にあるとは思えないけれど)


 そっと手を当てるのは、服の下に隠した〈一角獣〉の眠るペンダント。ある意味、魔力よりも強大で厄介な力が、確かに私のそばにある。


(……私が本当に〈ヒロイン〉なら、もしかして他に、なにか隠された力があったりするのかしら)


 そんな疑問を持て余すのは、結局、リディアーヌの話を聞かなかったからだ。


 彼女が語る『コンステラツィオンの夕べ』というゲームが本当に日本乙女ゲー界を席巻していたとして、そうだとしても、私は知らない。この世界のこともこの世界の人々のことも、自分自身ステラ・シャリテのことさえ知らない。彼女に聞いて知りたいとも、少なくとも、昨日の時点では思えなかった。

 ……それどころか求めてもいない「攻略対象との素敵な出会い☆」の話なんかを聞かされて。あの時は、自分でも驚くほどの反発心が生まれたのだ。


 私は〈私〉であって、心から愛するのは、後にも先にも月珀英最推しだけ。

 見ず知らずの物語ストーリーに流されて、ホイホイ別の男について行ってなるものか。


 ぎりり、と服越しのペンダントを握り締め、昨夜から何度目か知れない決意を抱いているうちに、馬車はどうやら目的地へと到着したらしい。僅かな反動を伴いながら、馬の足音と動きが止まった。

 馬車の外から、御者台に乗るディオンが誰かと話す声がする。それに耳を傾けて、ヴィクトルが呟いた。


「着いたようだな」


 朝の出発時点から、私たちは全員、同じ馬車に乗り合わせていた。進行方向を向いてヴィクトルとリディアーヌ。王子の向かいに私が座り、貴族街の途中まで、父がその隣にいた。

 その父はしばらく前、ある邸宅の前で一人、馬車を下りている。


(バランス侯爵家――お父さんの実家、か)


 そこは同時に私の親類の家でもあるはずだけど、父は必要以上に語らなかったし、私もあえて聞きはしなかった。というか、父の緊張が傍目にも感じられて、ちょっと気の毒なくらいだったのだ。


(……本当に、大丈夫かしら)


 だけど、彼自身が心を決めた以上、私にできることはもはやない。せいぜい、無事を祈って情報を集めて、誠実そうな第一王子に逐一圧力をかけるくらいだ。

 ふう、と思わず洩らした溜め息に、私のが身を乗り出してきた。


「大丈夫よ。この学院のことは、なんでもあたし……わたくしが教えてあげるから」

「ありがとうございます、リディアーヌ様。とても心強いです」

「もう、リディアでいいってば~」


 いくらブルータスでも、今の私は山出しの小娘。余計な厄介を避けるためにも、しばらく〈星女神の乙女〉という立場を公言すべきではないだろうと話もついている。ただの田舎娘でしかない私が、リオン公爵家のご令嬢をニックネームで呼ぶわけにはいかないだろうと思うのに、まったく呑気で元気な転生者である。


 まあ、でも、心強いのもまた本当で。


 瞳を躍らせる公爵令嬢の期待を微笑みでいなし、私は馬車の外を見る。

 窓にかけられたカーテンは、不審がられない程度に開けられて、僅かながら景色が窺えた。どうやら学院は、全体が水堀で囲まれているようだ。重厚な石壁を眺めるうちに通行許可が出たようで、馬車は再び走り出す。


 ガラガラと、四つの車輪が回る音とともに、私は、新たな世界へと踏み込んだ。





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