第27話 宰相子息は気苦労性


「――アナタが〈星女神の乙女〉!」

「へえっ?」


 突然そう迫ってきたのは、明らかに見覚えのない男子生徒だった。

 いつもの放課後。図書館へ続く回廊を歩いていた私は、不意に「すみません」と呼び止められた。そして「一年生の編入生ですカ?」と聞かれて「はい」と答えるや否や、冒頭の状況となったのだった。


(えっ? だ、だ、誰?)


 褐色の肌に、青みを帯びた長い銀髪。新しいおもちゃをもらった子どものように左右色違いの瞳を輝かせているが、どう見てもステラより年上だ。異国情緒漂う風貌は、何度見ても知らない相手。だというのに。


「金色の髪に空色の瞳。星の女神というよりは太陽の女神のご加護を得ていそうな色彩ですネ。しかしとても美しい。満天の星を見上げて佇むアナタを描いた絵画があったならそれにはどれほど巨万の富を注ぎ込んでもなお足りないほどの価値が生まれるに違いありマセン」

「え、あ、あの、ええと」


 早い早い。早口が過ぎる。文字起こししたら句読点がなさ過ぎて、最高に読みづらいに違いない。しかもどことなくイントネーションに揺らぎがあり、聞き取るのに精一杯になってしまう。


(な、なんなのこの人……!)


 これほど真正面から〈星女神の乙女〉として絡まれたのは初めてだ。

 思わず怯んで後ずさる私との距離を、相手は満面の笑顔で躊躇なく一息に詰めてくる。ち、近い。


「ところで〈星女神の乙女〉には代々伝えられている至宝があると伺ったのですがあなたもそれをお持ちなのですカ? よろしければ見せていただいても――」

「見つけたぞ! アルバン!」


 救いの主は現れた。

 迫っていた少年の顔がひょいと遠ざかったかと思うと、その首根っこを捕まえて後ろに立っていたのは、宰相子息ジェラルドだった。眼鏡の奥の目元を厳しく吊り上げ、猫の子のように捕獲された少年を睨んでいる。

 彼はその険しい顔のまま、目線だけ私にくれて謝罪した。


「すまないな、ステラ。変なことはされていないか?」

「い、いえ。大丈夫です」


 ありがとうございます、と言っていいものか。

 正確な判断を下すためにも、私は基本的な質問をする。


「あの……ジェラルド様。こちらの方は?」

「彼は、わたしと同じ第二学年に属する中東アンカラ国からの留学生、アルバン・ヴェルソーだ」

「留学生――ですか?」


 この世界にも、現実世界と同じく複数の国家が存在する。我らがシエル=エトワレ王国など片隅の存在だと思うような広い世界地図には、これまた現実世界と同じように、アジアやアフリカの文化圏も確認されていた。

 けれど、この〈王立魔法学院〉が、他国からの留学を受け入れているとは思っていなかった。驚く私に、ジェラルドに吊られたままの当人が笑う。


「そう。ワタシ、留学生です」

「ヴェルソー商会という名を聞いたことはないか?」


 ジェラルドの問いには首を振る。


「すみません、寡聞ながら存じ上げなくて……」

「中東アンカラ国に本部を置き、このシエル=エトワレとの貿易を一挙に担っている一大商会だ。彼はそこの跡取りで、将来的な関係性を見据え、こうして我が国に留学している」

「まあ」


 それほどの家柄だったとは。

 思わず見返した私に向けて、留学生は茶目っ気たっぷりにウインクした。


「そして彼は、ワタシのお目付け役です」

「……まあ」


 それは気苦労が多そうだ。

 はあ、と頭が痛そうな溜め息をつく宰相子息を労わりたくなる。生真面目な彼に、自由奔放を絵に描いたようなこの留学生の相手は大変だろう。お疲れ様だ。


「そのお目付け役がきみを探していた理由がわかっているか? アルバン」

「ハイ? なんでしょうね?」

「魔法史学の課題を今日中に提出するよう先生から言われていただろうがっ!」


 大声の叱責に、私まで首を竦めながら同情する。これは大変だ。


「まったく……迷惑をかけたな、ステラ」


 つーん、と唇をとがらせた留学生を引きずるように歩き出したジェラルドは、しかし「そうだ」と思い出したように振り向いた。


「迷惑ついでといってはなんだが、この後、少し時間をもらってもいいだろうか?」

「え? ええ」


 いつもの自習をするつもりだったけれど、少しくらいならいいだろう。途端、「エエー、ワタシを生贄にデートですカ?」と文句をつけたアルバンをまた叱り飛ばし、ジェラルドは私にこう告げる。


「冬至祭の聖劇について、話をしたい」





 留学生を教師のもとへと無事に送り届け、私たちは近くの中庭のベンチに座った。東屋を据えた薔薇園ほどの華やかさはないものの、丁寧に手入れされた美しい庭だ。

 几帳面にエスコートしてくれたジェラルドは、早速に言う。


「冬至祭については知っているか?」

「はい。リディアーヌ様から、少しお聞きしました。冬至の日に行われる学院祭だと」


 その日、午前には学院司祭による祝祭説教が行われ、午後には生徒による聖歌合唱と聖劇が行われる。学院を開放して父兄も招待されるそれら昼の日程とは別に、夕方から内部関係者のみで行われるのが“例の”ダンスパーティーだ。

 第一学年は聖歌の合唱。第二学年は実行委員と聖劇の手伝い。そして――


「聖劇は、毎年冬至祭において第三学年の生徒たちが行う、〈星女神の奇跡〉を題材にした演劇だ。三百年前の第二次聖戦を舞台に、国王と〈星女神の乙女〉の謁見、〈星騎士せいきし〉の活躍などを上演する。司祭様には申し訳ないが、冬至祭一番の目玉だ」


 今年その実行委員になったというジェラルドが言う。

 人気の生徒が舞台に上がり、きらびやかな衣装で伝説を演じる。それは下級生たちにとっては憧れの大舞台であり、自分が上級生になった時にはぜひ役を得たいと願う一大イベントである。


「だが――今年はきみがいるだろう」


 本物の〈星女神の乙女〉が、今年はいる。


「アルバンほど声高に興味を示すものはいないだろうが、きみがそうであることは、周知の事実という状態だ。『本物がいるのに代役を立てるのは不敬ではないか』、『本物がいるのなら本人に演じてもらえばいいのではないか』という話が、第三学年に限らず生徒たちから出てきている」

「まあ……」


 そんなことになっていたとは、露ほども知らなかった。


「ご面倒をおかけして申し訳ありません」

「面倒とまでは思わないが、確かにそれは、きちんときみに確認すべき事項だと思った。だからわたしが聞きに来たんだ」


 どうする?と控えめに覗き込んでくる宰相子息。その気持ちは素直にありがたく嬉しいけれど、返す答えは決まっている。

 私は微笑んだまま、緩やかに首を振った。


「お気遣いいただいてありがとうございます。ですが、私のことはお気になさらないでください。そのような大切な舞台を、田舎から出てきたばかりの私が、お邪魔するわけにはいきませんから」

「……きみは、それでいいんだな?」

「はい。不快だと思うことも、不敬だと怒ることもありません」


 間違いなく頷くと、ジェラルドは、ほっと安堵したように息をついた。


「わかった。ではそのように、先輩方に伝えさせてもらう」


 よろしくお願いします、と頭を下げると、頷くジェラルド。

 そうして一区切りがついたところで、その青い瞳が私の手元で止まった。


「そういえば、図書館へ行くところだったんだろう。こちらこそ邪魔をしてしまったな」


 いえ、と私も同じく自分の手元に目を落とす。教科書とノート、筆記具だけを抱えていたので、自習目的なのは見ればわかるだろうけれど。


「これは、予習と復習の分なので。初めはクラスに追い付くためにしていたのですが、最近、追い付けてからは少し余裕があるんです。一日くらい大丈夫ですよ」


 発語と文字並びとの関係性が掴めてからは、読み書きもずいぶん上達した。今ではほぼ問題なく、年相応の教科書を読むことができる。こんなに勉強したのは久しぶりだけど、わかり始めてからは意外と面白かった。

 だが宰相子息は、厳しい表情で否定した。


「それではいけない」

「えっ?」

「せっかく毎日続けてきたのだろう。少しくらいと思って気を抜くと、そういうものは、あっという間に習慣から抜けてしまうぞ。今日はなにをする予定だった?」

「え、ええと……魔法史学と基礎魔法学を」

「第一学年の範囲なら、わたしにも教えられる。引き留めた詫びに、しばらく教えよう」


 宰相子息にそうまで言われては、「はい」以外の言葉は返せない。

 そういうわけで、なぜか放課後の中庭で、即席の勉強会が始まってしまった。





 完全に流されての開始だったけれど、ジェラルドの教え方は的確だった。

 私がつまづく箇所を知ると、根本的な部分まで戻って解説し、理解するまで根気強く教えてくれる。

 おかげで予定していた範囲を越えて、予習復習がはかどってしまった。


「本当にありがとうございました。とてもわかりやすかったです」


 お世辞でもなく言った私に、ジェラルドは照れたように「そうか」と口元を緩めた。夕食の時間を前に、寮まで送ってくれるところだった。


「昔よく、年下の知人に勉強を教えていたんだ。大人しく真面目だが、少し要領が悪いやつでな。おかげでわたし自身は、要点を掴むのが得意になってしまった」

「今は、その方とは?」

「……いろいろとあって、疎遠になってしまった。この学院に在籍しているが、ろくに話す機会もないくらいだ」

「この学院に――」


 赤毛の三つ編みが脳裏で揺れる。

 宰相子息の元婚約者。転生令嬢いわく、この〈物語〉において最重要な事件に深く関わる人物――オデイル・スコルピオン。


 恐らくそうだ。けれど、たとえ〈物語〉ではそうだとしても、今現在ここにいる彼にとっては違う。遠い目をして思い浮かべるのは、きっと、なにもかもが順調だった頃の面影だろう。

 だから私は、そっと尋ねる。


「その方のことが、ご心配なのですね?」

「要領が悪いやつだからな。……できれば幸せになってほしいが、わたしにしてやれることもない」


 海原のような青の目を伏せて、噛み締めるように呟くジェラルド。しかし、そんなことはないだろうと私は思う。


(その立場があれば、できることは山ほどあるはずなのに)


 前世で宰相を父に持っていた身として、少年の躊躇を歯がゆく思う。

 けれどそれが、私に踏み込むことが許された問題かどうかは、また別だ。


「いつかまた、その方と仲良くなれるといいですね」

「……――ああ」


 微かな返答には切実さが窺える。

 どうかこの先、彼の気苦労が少しでも癒される時がありますようにと、思わず祈ってしまいたくなった。





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