第25話 狩人の行方
「……ラウル。ラウル・トローは、またいないのですか?」
講義室を見回したオルビット先生が、呆れたように眉を寄せる。視線を向けられた私は、情けなくも「はい」と頷くより他にない。
王立魔法学院に編入して半月。
我が幼なじみの狩人は、すっかり授業に顔を出さなくなっていた。
魔法史学の講義終わり。帰り際に私を手招きしたオルビット先生は、厳しい眼差しに困った色を乗せ、問いただしてきた。
「ステラ。確かラウルは、あなたと同郷でしたね」
「はい……すみません。その、これまで人の中で暮らしたことがないもので、気後れするところもあるのかと……」
先んじて大人しく謝罪すると、ふう、と品の良い溜め息を零される。
「境遇は理解しますが、学院生である以上、学業をおろそかにすることは許されません。次の講義までにラウルを探して、必ず連れて来なさい。これはあなたの責任でもありますよ」
彼の同席がないうちは、あなたも授業に出なくてよろしい。そう言い渡された私は、うなだれるようにして頷いた。
そういうわけで休み時間。
いつもの面々からの協力は断り、私は一人、サボり魔の幼なじみを探して旅に出た。
「まったく、いつもどこに行ってるのかしら……」
生徒が寮にいるかどうかは、二人いる寮母さんが把握している。理由なく部屋に立て籠もることはできないはずだから、いるとすればそこ以外だ。
(そのうえラウルのことだから、十中八九、自然に近い場所のはず)
そう考えれば、探すべき場所はかなり限られてくるはずだった。
学院敷地内には大小いくつもの庭園がある。生徒たちの
そういうことを考え合わせ、人気のない裏庭を中心に探し回る。
休み時間終了の鐘が鳴り、講義を一つ逃したことに肩を落とす。
その矢先、別の音が耳に入って首を傾げた。そこは講堂裏の細い小道を辿った先、低い花壇に鮮やかな草花が繁茂する一角。耳を澄ませると、それが歌だとわかる。
儚く澄んだ少年の声が、聞き慣れない調べを歌っていた。
(……歌? こんなところで?)
生垣の端から覗き込むと、歌声と同じ、どこか儚げな後ろ姿があった。背中まである白に近い金髪を、緑青のリボンで結んでいる。
歌の歌詞は上手く聞き取れない。けれどどことなく、前前世で耳にしたドイツ語のような響きがある。この世界における別国家の歌なのだろう。
思わず聞き入っていると、ふと、気配に気付いたように彼が振り向いた。色白で、まだ幼い顔立ちの少年だ。彼が作り出していた空気を壊さないように、私はそっと声をかけた。
「あの、お邪魔してすみません。人を探しているのですが、この辺りで、茶色い髪の男子生徒を見かけませんでしたか? 背が高くて、緑の瞳の……」
そんな特徴の生徒は大勢いるかもしれないが、相手は息を呑むほど澄んだ蒼眼を細め、風にしなるように首を傾げた。
「糸杉の森の若狼みたいな人?」
「え?」
「健やかな樹皮を映した髪。永遠を約束した杉葉の瞳。その姿は木漏れ日に溶け込み、僅かな影を辿り茂みを渡る。軽やかな足取りは夏草に吹く風のように、ひそやかな音色しか残さない」
「え、ええと……たぶん」
あまりに詩的な表現で、想像が追いつかない。けれど狼の例えに狩人の姿を思い浮かべて頷くと、相手は奥の木立を指差した。
「その人なら、向こう。牡牛の泉がある陽だまりに、今日も憩っていると思う」
「――ありがとうございます」
丁寧に頭を下げ、示されたほうへと足を向ける。
(不思議な子だなぁ)
まるで妖精のようだと思う。降り注ぐ午後の光の中で、幻のように消えてしまいそうだ。
若い広葉樹の木立を抜けると、石造りの土台をもった小さな泉が現れた。溢れて流れ出る清水の行方を追うように、うずくまった牡牛の小像が水路へと顔を向けている。これが牡牛の泉だろう。
その泉の土台にもたれ、私の探し人は昼寝していた。
「ラウル」
声をかけると、濃緑の双眸がぱちりと開く。さも今起きたかのようだけど、この狩人のことだから、とっくに気付いていたに違いない。
私を認めた幼なじみは、ううん、と伸びをしてから聞いてきた。
「どうした、ステラ。授業はいいのか?」
「どうしたじゃないわよ、あなたを探しに来たんじゃない」
心底呑気なその姿に、呆れ返って肩をつついた。
「もうホント、全部こっちの台詞よ。どうして授業に出てこないの」
「どうしてって言われても」
ぺっぺ、と私の指を払いながら、ラウルは言う。
「オレは別に、勉強とやらのためにここに来たわけじゃないからな。おまえがここにいるから、オレもここに来ただけで」
その返答に、はたと止まった。
(……うん、そうか。そうだよね)
とっくに理解していたことなのに、直接言われると、思っていたよりも重かった。その重さを無視できず、私はその場にしゃがみ込み、目線を合わせて「ねえ」と言った。
「ごめんなさいね、ラウル」
「はっ? なんだよ急に?」
「だって、あなたは森で生きる人だったのに。私の身の上のせいで、暮らしを捨てて歳までごまかして、あなたにとってなんの益もないこんなところまで来させてしまった」
「おいおい」
驚いたように身を反らしたラウルは、いや、と呟いて頭を掻いた。
「まあ、違うとは言えないか。でもオレだって、親父とおふくろに言われるまま、なんの益もないと思いながら来たわけじゃないよ」
「え?」
「おまえの近くにいたかったんだ。オレが」
森色の瞳で、にっと笑う。
「そりゃあ、おまえはしっかりしてるよ。それにおまえには、あの〈
「ラウル……」
思わず感動しそうになったけれど、直前で現状を思い出す。
「……近くにいてくれないじゃない。こんなところに逃げ込んで」
「授業中は大丈夫だろ? センセーも王子様も、あの面白いご令嬢もいるし」
そのご令嬢に先日丸焼きにされそうになったのだ、という話をラウルも知っているはずなのに、そんなことを言う。年甲斐もなく思わずむくれると、ラウルは大きく息をついた。
「……悪かったよ、今のは言い訳だ。でも、どうにも息が詰まって仕方がないんだ。石の壁に囲まれて、同じ格好をした同じ年代のやつらの中で、同じようにお行儀よく座ってるのが」
そう言われると、私の申し訳なさが再びよみがえる。
(なにか、うまいやり方があればいいんだけど……)
考えたところで、すぐに妙案が浮かぶわけでもない。私はひとまず腰を上げ、幼なじみへと手を伸ばした。
「ともかく、次の授業には出てちょうだい。あなたが出ない限り、私も講義を受けられないようだから」
「はぁあ。しゃーねえかぁ」
渋々ながらも立ち上がったラウルを連れて、牡牛の泉の陽だまりを出る。
そうして花壇まで戻ったところで、来る時には見なかった人を見つけて、私は「あっ」と身を竦めた。
「フロラン先生」
魔法薬学の担当教師だ。二十代後半くらいで、少しくたびれた印象の男性教師。人当たりよく堅実な講義をする人で、生徒からの好感度も高いが、今ここで会うのは少し困る。彼は私とラウルを交互に見て、「あー」と言いにくそうに声を上げた。
「若いうちは、まあ情熱を抑えられないこともあるかもしれんけどな。講義をサボっての逢引きはよくないぞ。せめて休み時間か放課後にしなさい」
「えっ?」
なんだか盛大な勘違いをされている。慌てて訂正する前に、花壇の間からひょこっと現れた妖精が、その役を買って出てくれた。
「違うよ、先生。その子はお迎え」
「うん? 迎え?」
「そ、そうです! 私はただ、オルビット先生の言いつけで、講義をサボっていた彼を迎えに来ただけで!」
「あ、ああそうか」
わかったわかった、と首を縦に振る先生に安堵する。危なかった。不貞の噂はよくないからね。いや別に不貞ではないのだけど。
気まずさを払拭するためにもここは思い切り話を変えようと、私は「それにしても」と先生に問い返した。
「学院にこんな場所があっただなんて。この薬草園は、先生が管理されているんですか?」
「ああ――うん。よくわかったな。ここが薬草園だと」
「私も、母と育てていましたので」
カモミールにフェンネル、コンフリー。見覚えのある懐かしい面々と、見たことのない植物がともに花壇に並んでいる。鑑賞のために整えられている庭園とは違い、野原にも近い様相だ。
そうか、と嬉しげに頬を緩めた先生は、花壇を見渡す。
「この辺りのものは、危険度も低いし生育も難しくないから、生徒に世話を任せているんだ。毒性の強いものや特殊環境が必要なものは、別の場所で管理している」
「ぼくは、そっちのほうが世話したいんだけど。“棘ある薔薇は美しく、毒ある鈴蘭は愛らしい”」
「おまえには任せん。危なっかしい」
慣れたやり取りに首を傾げると、フロラン先生は、妖精のような少年を指して説明してくれた。
「こいつはな、クラスメイトといろいろあって、講義室に行きづらいことがあるんだ。基本的には出席しろと言ってあるんだが、どうしても無理な時は、ここで花の世話をしてもらっている。それを出席の代わりするよう、先生方にも掛け合って――」
「フロラン先生!」
その朗報に私が飛びついたのは当然だ。
ちょっと引いているフロラン先生に、私は幼なじみの窮状を涙ながらに訴えた。当のラウルまで私に引いている気がしたが、そこは幼なじみの以心伝心、彼には珍しく切実な演技交じりに協力してくれた。えらい。
こうしてラウル・トローの学院生活は、無事その半分を講義室で、もう半分を庭園の草木に囲まれて過ごすことになったのだった。
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