第24話 第一王子と公爵令嬢


 この世界には魔法がある。

 魔法学院が舞台なのだから当然と言えば当然だが、常識レベルから素養のない私には、どうにもなじみ薄いことには違いなかった。


「ではその基本事項について。〈魔力〉の特性と、精霊との関係性について答えなさい。――ステラ・シャリテ」


 後ろへ撫でつけられた黒髪と口髭が特徴的な中年教師が、教壇を行き来する足を止めてこちらを見る。

 指名された私は、背筋を伸ばしたまま素直に答える。


「すみません、わかりません」

「なんだそうか。では教科書を開いて、該当箇所を読み上げたのでよろしい。それならできるだろう?」

「すみません。まだ文字を勉強途中なので、難しい単語を読むことができません」

「なんと、文字もまともに読めないとは。庶民階級から特例の編入だというから、どれほど優秀かと思っていたが、どうやら見込み違いだったようだ」


 両腕を広げ、芝居じみたしぐさで呆れる教師に、生徒たちの間からも忍び笑いが洩れる。嗤われているのはこの私、蔑まれているのはこの私だが、それがどうしたという気分だ。


(この程度の茶番、付き合うだけ無駄なのよね)


 相手に侮らせるため弱いフリをするのもいいけれど、どうやら相手は、すでに十分、侮ってくれているらしい。どうぞそのまま続けてください、と黙って受け流していると、つまらなさそうに「フン」と鼻を鳴らして矛先を変えた。


「では、もう一人の編入生はどうかな? ラウル・トロー」


 気取った呼びかけに、しかし返事はない。


「ラウル・トロー?」


 返事はない。まさか居眠りかと振り向いてみたけれど、一緒に来たはずの彼の姿がそこにない。どこにもいない。異変を悟った生徒たちが、ざわざわと騒ぎ始める。


「ラウル・トロー!」


 怒りの指名が虚しく響く。

 幼なじみの狩人は、忽然と、授業中の教室から消えていた。





「――ほんっとうに嫌味な先生ね! みんなの前で、あんな言い方しなくてもいいじゃない!」


 いきり立つリディアーヌを「どうどう」と宥める。そんな大声を出してしまったら、向こうのほうで指導する、当の“嫌味な先生”に聞こえてしまう。


 行方をくらましたラウルを置いて、基礎魔法学の講義は、実技用の広場に移って続けられていた。庶民上がりの編入生は、それでもまだ見込みがあると思われているらしく、特になんの説明もないままそこに放り込まれている。はっきり言おう。あの教師、職務怠慢だ。

 冒頭、「ペアで課題に取り組むように」と言われた時にはボッチの古傷がうずいたものの、リディアーヌたちが交ぜてくれたので、ひとまず事なきを得ている。


(……そこで私と王子をペアにする辺り、アレなんだけど)


 あたしだと教え方がアレだから!と雑な言い訳をして、自分はブランシュとペアになってしまった転生令嬢。快くペアになってくれたヴィクトル王子は、その眼差しに気付いているのかいないのか。

 ふと、当の王子が苦り切った顔で「すまない」と謝ってきた。


「え? どうしてヴィクトル様が謝られるんですか?」

「きみが不当な扱いをされるのは、おれが後見になったせいかもしれない。特になにをした覚えもないんだが、どうもおれは、あの教師に好かれていないようなんだ」


 あら、と思わず目を瞬く。少し強引だけれど明るく実直なこの第一王子を、本人が気付くほどに嫌う人物がいるとは意外なことだ。

 あまりに申し訳なさそうなその様子に、私は笑って首を振った。


「私は大丈夫ですので、どうぞお気になさらず。あれくらいのことは、別にどうということはありませんから」


 実際、あの程度の皮肉と嘲笑ですむなら、無害過ぎてありがたいくらいだ。実力行使系のイジメでも始まれば、私にできる対処などたかが知れている。聞き流せば終わるのだから楽なものだった。

 などと言っていると、隣から「はわぁ!」と感嘆が上がる。


「なんてお心が広いのでしょう。可愛らしくてお優しくていつも堂々となさっていて、そのうえ寛大だなんて、ステラさんは本当にすごい方ですわ」


 ぎゅっと両手を握り締め、きらきらとした目で見てくるのはブランシュ嬢。ペア課題でありながら、私たちの距離感はほぼグループだ。

 そちらこそ可愛らしい子リスのようで、と和みながら、私は苦笑交じりに首を振った。


「……私が下手に怒ると、雷より速く駆けつけそうな子がいるので」


 そう言って胸元を押さえると、ヴィクトルとリディアーヌが揃って「あっ」という顔をする。知らないブランシュは不思議そうに小首を傾げるけれど、説明してあげることはできない。ごめんね。


 その時、「そこ!」と叱責が飛んだ。振り向くと、職務怠慢教師ことレナルド・レオナルド先生が、ねばつく視線で私たちを睨みつけていた。


「私語をする暇があるということは、課題はもうできているということだろうね? 見せてもらおうか?」

「……できてるように見えるわけ? ホント嫌味だわぁ」

「なにか言ったかね? リディアーヌ・リオン」

「言ってません!」


 本当になぜ、この転生者は、ここまで公爵令嬢としてやってこられたのか。

 心底不思議に思いながら、私はおとなしく課題に戻った。


 今回の実技課題は、『精霊との契約』および『その力を使っての物質変容』だった。最高にファンタジーで常識の範囲外としか思えない私に、ペアのヴィクトルは、思いのほか丁寧に教えてくれる。


「この課題のポイントは、自分の魔力傾向――つまり精霊との相性を知ることだ」


 そもそもこの世界の〈魔力〉というのは、どうやら〈精霊との交流能力〉のことを指すらしい。自身に宿る〈魔力〉を基礎に世界の〈存在力〉を取り込み、それを与える代わりに精霊の力を借りるとか。

 我がなけなしのファンタジー知識では、そういう職種ジョブは『精霊使い』と呼ばれて別にあった気がするのだけど、ともかくこの世界ではそういうものらしい。


「世界にはたくさんの精霊がいるが、基本的に、その特性は四つに大別される。火、水、地、風の〈四大元素エレメント〉だ。そのそれぞれの精霊と交流し、契約を交わすことで、人の身でも魔法を使うことができる」


 この〈魔力〉、すなわち交流のための容量キャパシティが大きい人ほど、強力な精霊と契約することができる。そして強力な契約を交わすことで、より強力な魔法を使うことができる、というわけだ。

 ただし、論理的にはそうでも、そうはいかないこともあるらしく。


「どれほど〈魔力〉が強くても、特定の精霊に好かれる、嫌われる、ということがある。例えば――」


 言葉を切って片手を差し出すヴィクトル。その指先に、くるり、と巻き取られるように小さな炎の渦が現れた。それを熱がるわけでもない彼に驚いていると、その瞳と同じ、緋色をした蜥蜴とかげが炎の中に姿を見せた。明らかに、尋常の生き物ではない。

 その火蜥蜴を誇らしげに見つめ、ヴィクトルは言う。


「おれやリディアーヌは、こうして火の精霊に好かれやすい。しかしその一方で、水の精霊には嫌われやすい。好かれると詠唱なしでも応じてもらえるが、嫌われると無視されたり、それどころか手痛い目に遭わされることもある」

「なるほど」


 そういえば、教科書に四つの要素の相関図があった気がする。詳細はまだ読み取れていないが、これについてのことだったのだろう。五行相剋だと思えば、理解も容易になりそうだ。


「きみはまず、精霊との契約からだな。この広場に集められている精霊と、授業の間だけの協力関係を結んで――」

「ウワー! 待って待って! そんなに大炎上しなくてもいいのよー!」


 突如上がった悲鳴に振り返る。

 すると前触れもなく、目の前に金朱色の柱が立ち上がっていた。


(――熱い)


 猛火だ。渦巻く火炎がこちらへ迫る。そう理解が及ぶか否か、「危ない!」と声がして腕を引かれた。衝撃に目がくらみ、気付いた時には、ヴィクトルに組み敷かれるようにして抱かれていた。

 愕然と固まっていると、ゆっくりと離れたヴィクトルに見下ろされる。その輪郭を縁取るように、真珠色の輝きが、ちらちらと舞っていた。


「……怪我はないか?」

「え、ええ。ありがとうございます」


 目の錯覚かと瞬くうちに、真珠の輝きは消え失せる。

 それに気付いた様子もなく、ただ私の無事に頷くと、彼は私を助けて身を起こした。そして緋色の瞳を、騒ぎの元凶へと鋭く向ける。


「なにをしているんだ、リディアーヌ!」

「ご、ごめんなさい! あたしにもわからないんだけど、急に精霊の火が暴走して……!」

「暴走だと?」


 どういうことだと怪訝に眉を顰める。

 そこに、奇妙に落ち着いた微笑みで、教師が割り込んできた。


「まあまあ。そうお怒りになることはないでしょう」


 怪我人の有無を確かめるでもなく、暴走事故の原因を探すでもなく。嫌味な教師は、教師の職務を放棄して、ただの嫌味を口にする。


「れっきとした婚約者がありながら庶民の娘にかまけ、かつそのようなご自分を棚に上げて健気な公爵令嬢ばかりを責められるのは、少しばかりお心が狭すぎるかと」

「……なにが言いたいんです」

「おや、一介の教師をそう威嚇なさらないでください。わたしはただ、婚約者の不実ゆえ嫉妬に駆られた女子生徒を弁護したいと――」

「それは」


 遮り、向き直るヴィクトル王子。


「我が婚約者への侮辱として捉えるぞ。レナルド・レオナルド卿」


 びくり、と教師が動きを止めた。野次馬顔を見せていた生徒たちも、氷漬けにされたかのように固まっている。そのそれぞれを余すことなく刺すように、緋色の双眸が場を見渡す。


「リディアーヌは魔法こそ不得手だが、健やかで心優しい令嬢だ。事故は起こしても、わざと誰かを害そうとすることなどありえない。これ以上、好き勝手なことを声高に言い立てるつもりなら、学院という枠を外して今後を考えさせてもらう」

「――ッ」


 ヒュッと教師の喉が鳴る。そのことを恥じるように慌てて「本日の講義はここまで!」と叫んだレオナルド卿は、きびすを返して去っていってしまった。なんとまあ、逃げ足の速いことだ。

 残された生徒たちが戸惑う中、しょんぼりと肩を落としたリディアーヌが、その場の全員へと頭を下げる。


「あの、ごめんなさい皆様。わたくしの下手な魔法のせいで、先生の気分を害してしまって……って、あっ! それより、さっきの炎で怪我をした方はいらっしゃいません? いらっしゃるなら救護室へ行かないと! ステラとヴィクトルさまは、本当に大丈夫?」


 途端にあわあわと心配を振りまくリディアーヌ。

 先程まで自分たちを面白がっていたクラスメイトにも分け隔てないその姿に、恥じ入るものもあり、気まずそうなものもあり。


「まったく……落ち着きのない令嬢だ」


 呆れた呟きに目を向けると、頬を緩めたヴィクトル王子。

 その優しく温かな眼差しに、転生令嬢は、気付いているのかいないのか。


(……鈍感同士、困ったものね)





 結局、この精霊暴走の原因はわからないまま。それを解明しようともせず生徒を放置した責任を問われ、レナルド・レオナルド卿は基礎魔法学の担当教師を外された。


 この解任に第一王子が関与しているのかどうか――それは、私たちの知るべきことではないだろう。





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