第23話 図書館の密談


 オデイル・スコルピオン。


 彼女の実家であるスコルピオン家は、現在こそ男爵位だが、ほんの数年前まではバランス伯爵家にも並ぶ大貴族だった。

 現宰相であるカンセール卿とも親交が深く、その子息であるジェラルド・カンセールと、スコルピオン家の令嬢・オデイルが婚約を結んだのも、ごく自然な成り行きだった。


 風向きが変わったのは、当時のスコルピオン家当主であったオデイルの祖父が亡くなった後。当主を継いだ父親の失策で家運が傾き、あれよあれよという間に、爵位を失う間際まで堕ちた。かろうじて男爵位に残ったのは宰相閣下のご慈悲だとも言われるが、家格の吊り合わなくなった婚約は、当然のように解消された。

 不運は続き、心労を重ねた父親が亡くなった。オデイルの下には、順当にいけば爵位を継ぐはずだった弟がいたが、それまでの事情から当主の座は叔父へと移ることになった――


「――この叔父が、また悪いヤツでね! 公爵家から依頼があったからって、オデイルを暗殺者に仕立て上げるのよ! オデイルのお母さんと弟を人質にして!」


 憤然とまくし立てた彼女に「その公爵家というのは?」と聞くと、「リオン公爵家」と即答が返ってくる。そんな彼女はリディアーヌ・リオン公爵令嬢。はい。


「だけど、その依頼をあなたはしていない。だからこの件は大丈夫なはず、ということですね?」


 長年かけて対処してきた、と話していた。その一つとして、その辺も含まれているのだろう。そう尋ねると、彼女も頷く。


「誰にも危ない目に遭ってほしくないし、オデイルにもそんなこと、させたくないもの。あたしにできることは限りがあるけど、できるだけあの子の重荷を減らせるように、いろいろとやってきたつもり」


 本当は家ごと助けたかったと歯噛みする。それが叶わなかったのは、リオン公爵家がスコルピオン家とは別の宮廷派閥に属していたからなのだという。片や王家、片や宰相家との関係が深い家柄もあり、下手に手を出すことができなかったらしい。


「でもその分、周りをしっかりカバーして回ったから!」

「周りを?」

「ようは、事件を起こす必要がないくらい、みんなが仲良くできればいいわけじゃない? だからを活用して、みんなの心配事とか、不安なこととか、なるべく解決してきたの!」


 ぐっと自信満々の笑顔で拳を握る相手に、私も別の部分で納得する。


(……なるほど。それゆえの〈愛され令嬢〉なわけね)


 そんなことを長年していれば、周囲からの信頼と愛情を得るのは当然のこと。彼女の直線的なリスク管理の結果が、今のあの状態なわけだ。納得した。


(――それでも〈物語〉は大きく変わらず、我が家は襲われ、私はこの魔法学院に来た)


 変わったこともある。けれど変わっていないこともある。なにが原因かは知れないが、この現実にも、どうにもならない筋が通っているのかもしれない。

 そんなことを思うままに語れば、相手の顔も不安げになった。


「それじゃあ……もしかしたら、なにをどうしても、暗殺未遂が起こるかもしれないってこと?」

「可能性はあると思います。もともとの関与者が関わらなかったとしても、まったく別の方向から、まったく別の理由で刺客が送り込まれることも考えられるかと」


 我が家の実例を鑑みるに、そうなる可能性は十分あるだろう。

 そんな、と絶句した転生令嬢は、ぎゅっと眉根を寄せて思考を巡らせた。そしてやがて、決意に満ちた表情を私へと向ける。


「それじゃあやっぱり――あなたには〈ヒロイン〉になってもらわなきゃ!」

「……はい?」


 飛躍がすご過ぎて唖然とした。

 どうしてそんな話になるのかと訝しむ私に、彼女は身を乗り出して言い募る。


「さっきも話したけど、襲撃の傷と猛毒は、星獣〈一角獣ユニコーン〉でないと治せないの。誰が傷つけられるかはわからないけど、〈一角獣〉の奇跡を起こせるのは真実の愛だけなのよ。心の底からの想いでないと、奇跡は起こせないの」

「し、真実の愛って……」


 重ねられる言葉の強さに引いてしまう。そんな言葉、前前世にあった夢の国のアニメ映画でしか聞いたことがない。

 けれど、続いた内容には、はっとした。


「お父さん――パトリスさんを助けた時だって、そうだったでしょう? あなたが心から助けたいと思ったから、〈一角獣〉は出てきてくれたんじゃない?」

「それは……そうですが」


 心の底から願ったといえば、確かにそうだ。親子愛でも真実の愛になるのなら、彼女の主張も真っ向から否定することはできない。

 どうなのだろう。本当のところを確かめられないかと胸元のペンダントを引っ張り出してみたが、好奇心溢れる紫の視線を独り占めしただけで、期待したような反応はなにもなかった。仔馬のぬいぐるみが出てくることも、キザな台詞が聞こえることも、温もりが感じられることもない。


(……これ、本当にユニが、ここにいるのよね?)


 それすら疑いたくなるほどの沈黙だが、「ねえステラ」と横からにじり寄られて顔を上げる。


「あなたが前世の旦那さんを愛してるのは、わかってる。でも、あなたはもう、この世界に転生したのよ」

「…………」

「これからはこの世界で生きていくんだもの。また別の愛する人を作ったっていいじゃない? 新しい愛を見つけて、育てて、新しい幸せを手にしたっていいはずよ」


 この上なく真剣な表情で、懇々と諭される。お調子者な転生令嬢の口から出たとは思えない、それは至極、真っ当な考え方だった。

 でも。


(……わかってないわ、この子は)


 必死の色を湛える紫の瞳に、私は静かに微笑んだ。


「“真実の愛”は、そう簡単なものではないんですよ」


 忘れられない人がいる。

 忘れられない温もりがある。

 人生を何度重ねても、きっと、千年の別離を味わっても。この人以外は愛さない――愛せないと想う相手がいる。


(その気持ちは、あなたも知っているはずなのにね)


 知っているからこそ、他のなにをも犠牲にしても、それを守りたいと思うのだろう。だけど私も、そう簡単には曲げられない。

 ぎゅっとスカートを握る彼女の手を、伸ばした片手で軽く叩く。


「冬至まではまだ時間があります。情報を集めるとともに、どんな対処でもできるよう、お互いに考えてみましょう」

「……うん。わかった」


 渋々と頷いた。そこで緊張が切れたらしく、途端「あーあ」と令嬢らしからぬ声を出す。


「でも実際、ステラがヴィクトルさまと結婚してくれたら、一番いいのよねえ。〈星女神の乙女〉の愛を勝ち取った王子ってなれば、王位継承への障害なんてこれっぽっちもなくなるんだから」


 その物言いには、さすがに呆れた。


「仮にも王族に認められた婚約者が、なんてことを言うんです。誰かの耳に入ったら大問題ですよ。そもそもあなたは、ヴィクトル様のことが好きなのでしょう?」

「好きだけど、でもそれは、推しとしてだもん。推しが幸せなら、あたしも幸せだもん」


 ぷくーっと美少女の頬を膨らませるのは、その自覚がない中身の転生者。この人はどこからどこまでの自覚を持っているのだろうと、他人事ながら不安になる。


「あなたがどういうつもりでも、ヴィクトル殿下の婚約者として周りは見るんですよ。推しの幸せが大事なら、推しに恥をかかせないようにきちんとしないと」

「はっ! それは確かに!」


 ピシッと背筋を伸ばして畏まると、途端に額に入れて飾りたくなるようなご令嬢に変わる。黙ってじっとしていれば、凛と強気な美少女に違いはないのだ。黙ってじっとしていれば。

 推しのためなら素直になれる、そんな彼女だから私は言う。


「襲撃の対処については別として、恋愛対象として見られないわけじゃないのなら、そのまま、あなたがヴィクトル王子と結婚すれば十分では? 次期王妃にふさわしいと認められたからこそ、婚約が成立しているわけですし」

「それはダメよ!」


 途端、鋭い眼光で睨まれた。


「だってあたし――リディアーヌ・リオンは、悪役令嬢なんだもの! 破滅エンドはあっても、ハッピーエンドなんてないの!」


 そこに推しを巻き込むわけにはいかないと、頑なに言い張る転生令嬢。そんな心配は必要ないだろうと、横から見る分には思えるけれど。


(……難儀な子ね)


 憐れみでもなくそう思うと、触れたままだったペンダントが、同意するように鼓動した気がした。





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