第22話 『ステラツィオンの夕べ』


 この王立魔法学院は、もともと宗教施設だったらしい。星女神を主神に据えた国家宗教の一大信仰地として、数百年の歴史をもつ大修道院だった場所だ。そこを数代前の国王が、次代育成のための教育機関として改めたのだという。

 そういう変遷もあって、敷地の中心に位置するのは大聖堂および礼拝堂だ。その付近に教師陣の居室が集まり、別棟で男女に分かれた寄宿棟、講義棟、講堂などが並んでいる。それぞれの間には雨天でも行き来できるように屋根付きの回廊がめぐらされ、いくつもの美しい庭園が、それらの隙間を埋めていた。


 私が待ち合わせに選んだ図書館は、そんな周辺施設の一つ。

 今は部分的にしか理解できない教科書を開き、読み書きの自習を行っていた私のところに、転生令嬢はしばらくしてからやって来た。


「お待たせ、ステラ」

「いえ。ご足労いただきありがとうございます、リディアーヌ様」


 放課後の図書館に、生徒の姿はほとんど見当たらない。それでも常識的な声量で挨拶を交わし、しばし、探り合うように視線を交える。


「……場所、変えようか? 二階の窓際にベンチがあるから」


 相手の提案に私は頷く。待ち合わせのために座った席は、正面入り口から丸見えだ。通路も近く、内緒話には完全に不向きだった。


 吹き抜けを縁取るように、ぐるりと壁際にめぐらされた二階部分。蔵書が日焼けしないよう工夫された配置の本棚の、その間にひっそりと置かれたベンチに、私たちは陣取った。出窓のように窪んだ空間からは、近付く人物がいればすぐに見える。背にした窓の向こうはバルコニーもなにもない絶壁で、誰かに話を聞かれる心配もない。

 こんな穴場をこの元気令嬢が知っているのが意外で驚くと、彼女はふふん、と得意げに胸を張った。


「ここ、セルジュさまとのあるイベントの舞台なんだよね。あたしの推しはヴィクトルさまだけど、ファンとしては、やっぱりルート制覇したいじゃない? そのうえで入学しちゃったら、そりゃあ聖地巡礼するでしょ?」


 なるほど、その気持ちは非常によくわかる。

 私も月珀英の側面をすべて知りたくて、別の攻略対象のルートも制覇した。そしてやはり、叶う範囲で聖地巡礼もしたものだ。

 窓辺のベンチに並んで座り、私たちは声を潜めた。


「それにしても、ビックリしちゃった。は、聞きたくないんじゃなかったの?」

「状況が変わりましたので」


 オデイルという少女の不穏さ。なにより幼なじみの思わぬ登場に、私の心は取り乱されている。その旨を私は端的に伝える。


「……これが〈物語〉の中なら、これから先、事件やイベントが起こるのでしょう? 私だけならともかく、ラウルの身になにかあったら、彼の両親に申し訳ないので」


 それを教えてもらいたい。そうすれば事前に手が打てるから、と告げると、黒髪の転生令嬢はなぜかムムッと口を尖らせた。


「やっぱりラウル推しなの? あたし、同担拒否とかしないから、気を遣わなくても大丈夫よ?」

「そんな話はしていなかったと思うのですが、強いて言うなら、身内の無事を確保したいというだけですよ。私の推しは夫だけですから」


 前世のね、と口元だけで微笑む。あえて目線には笑みを乗せずにいたおかげで、脳内ぽやぽやの綿毛のようなご令嬢にも、私の真剣さが伝わってくれたらしい。


「わ、わかったわ。……まあ、これからのことの対処は、長年あたしがやってきてるから大丈夫だと思うけど」


 それとこれとは別として、どこか楽しげに彼女は口を開いた。


「それじゃあ順を追って、初めのところから話すわね――」





 ――恋愛シミュレーションゲーム『ステラツィオンの夕べ』。

 その物語は、辺境の森で父親と二人で暮らす主人公が、十六歳になった年から始まる。

 十二年に一度の〈星女神の大祭〉で〈星の乙女〉役に選ばれた主人公は、その最中に、お忍びで訪れていたシエル=エトワレ王国の第一王子・ヴィクトルと出会う。ひと悶着ありながら森へと戻った主人公は、そこで何者かに襲われるが、幼なじみの狩人・ラウルに助けられる。しかし、その時にはすでに自宅は炎に包まれ、父は瀕死の状態だった。母の形見を主人公に託した父は、安堵したように事切れる――


「ちょっと待ってください」


 すでに堪え切れずに口を挟んだ。


「それじゃあ、私の父は……」

「そう。本当なら、パトリスはもう死んでいるはずなのよ――あの火事で」


 愕然とする。途端に「大丈夫?」と眉尻を下げる相手に、私は頷いて先を促した。今はまず、すべてを聞いてしまいたい。

 それに応じて、彼女は続ける。


 ――天涯孤独の身となった主人公は、その出自もあり、第一王子に付き添われて王立魔法学院へと編入することになる。『魔力を保持していること』を入学条件に課す学院には、様々な魅力に溢れた人々が集い、主人公へと関心を寄せてくる。


「前にも話したけど、基本的な攻略対象は四人ね」


 現国王の第一王子――ヴィクトル・ヴォワ=ラクテ。

 その叔父にあたる王弟――セルジュ・ヴォワ=ラクテ。

 同国、現宰相の子息――ジェラルド・カンセール。

 そして森でともに育った幼なじみの狩人――ラウル・トロー。


「それから、それぞれのルートでライバル役になる令嬢も四人」


 第一王子の婚約者――リディアーヌ・リオン公爵令嬢。

 王弟の婚約者候補――ミュリエル・ド・バランス侯爵令嬢。

 宰相子息の元婚約者――オデイル・スコルピオン男爵令嬢。

 狩人に恋心を抱く主人公の友人――ブランシュ・ヴィエルジュ伯爵令嬢。


 このほかにも二周目以降、フラグを回収して恋愛ルートに入れるキャラクターが四人いるらしいが、今のところは置いておく。


 魔法学院という箱庭の中で、主人公は恋をし、友情をはぐくみ、勉学に励む。庶民の出という理由で差別を受けたり、危機に陥ったりしながらも、キャラクターたちとの交流は基本穏やかに重ねられていく。

 ――そんな中。


「〈物語〉の核になる事件は、冬至祭のダンスパーティーで起こるの」

「冬至祭?」


 修道院時代の名残か、この学院では、冬至の日に合わせて星女神を讃える行事を行うらしい。厳格な祭事が中心だが、その夜には、生徒たちだけのダンスパーティーが催されるのだそうだ。その席で、事件が起こる。


「ファンの間では端的に、こう呼ばれてるわ――〈第一王子暗殺未遂事件〉って」


 あまりの不穏さに、私は眉を顰めた。


 ――パーティーでのダンスの最中、その相手が誰であるかに関わらず、第一王子・ヴィクトルに暗殺者の凶刃が向けられる。

 王子、あるいは各々の判断のもとで彼を庇った攻略対象たちは傷を負ったうえ、その刃に隠されていた猛毒に侵されて倒れてしまう。それは生死に関わる毒で、彼らはもはや、死を待つだけの状態になってしまう。


「でもそこで、母の形見である〈星宿りの首飾り〉を握った主人公が星女神に祈るの。――どうか、彼のことを助けてください、って」


 そして、衆人環視の中で奇跡が起こる。

 主人公の祈りに応えて現れた星獣〈一角獣ユニコーン〉が、星女神の加護を降り注ぎ、攻略対象の負傷も猛毒も癒してしまうのだ。

 この一件で、主人公が〈星女神の乙女〉だと周囲に認められて、命を救った相手からも愛の告白をされる。


「“そして二人は、幸せなキスをして終わり”――ということですね」

「大まかに言えば、そういうことね」


 そこまで聞いた私は、こめかみを押さえる。今現在、現実に起こっていることとの差異がかなりある。その一つ一つをどう捉えるかは、ひとまず置いておくとして。


「いろいろと感想はありますが……思ったよりも不穏な〈物語〉なのですね」


 学院ものらしく、もっと穏やかで爽やかな話なのかと思っていた。けれどまあ、私がここに来た経緯を思えば、不穏さがつきまとうのも当然といえば当然か。


(未だに、お父さんを襲った相手も不明なままだし……)


 そこで私は、ふと顔を上げる。


「それで、その事件の黒幕は? 私の父を襲ったのと同一人物になるのでしょうか?」

「ううん……それなんだけど」


 ここでようやく、転生令嬢の顔が曇った。


「……実は、この事件の黒幕って、ルートによって変わるのよね。基本的には王位継承に関するゴタゴタを理由にしたセルジュさまで、主人公への嫉妬で狂った令嬢越しに、暗殺者を動かすんだけど。セルジュさまルートでは、その狂った令嬢が黒幕の立ち位置になるの」

「では、セルジュ様かそのご令嬢を調べてみればいいのですね?」


 そこまでわかっているなら話は早い、と思う私に、相手は首を横に振る。


「それが……今回はセルジュさまではないと思うの。今の彼って、原作を知るあたしから見ても、すごく穏やかなのよ。王位継承権についても、もうとっくに放棄して、自分はヴィクトルさまの補佐役に回るんだって公言してる。それは嘘じゃないと、あたしも思う」


 確かに、まだ数回しか顔を合わせてはいないものの、あの王弟にそんな野心は感じられなかった。競争相手を消し去ろうと企む人間には、独特の気配が生まれるものだ。上辺をどれほど取り繕っても、それこそ消え去るものではない。


(……まあ、盲目的になって気付かないこともあるけれど)


 自分に向けられたものならともかく、第三者の目線で見ていて、気付けないということはないと思う。それでも感じ取れなかったということは、彼には下心がないということだろう。


「では、“嫉妬に狂ったご令嬢”のほうでしょうか?」

「ううん。それもね、ないのよ。絶対に」


 絶対に?と怪訝に首を傾げる私に、彼女は言う。


「だってそれ、あたしだもの」

「え?」

「リディアーヌ・リオンは、このゲームの〈悪役令嬢〉。操り人形にされた可哀想な暗殺者とは違って、みんなから嫌われ蔑まれて追放される“嫉妬に狂ったご令嬢”なのよ」


 迫真の表情で告げられるけれど、現実との差異に私は眉を上げる。


「〈悪役令嬢〉? ……愛され令嬢じゃなくて?」

「悪役! 令嬢!」


 そこまで強調されてなんだが、納得できる気はしない。目の前の健やかな少女からは、どう転んでも連想できない単語だ。

 ともかく、と彼女は強く言い切る。


「あたしは絶対、なにもしてない。セルジュさまも、なにもしてないはず。だからについては本当に――なにがどうなってるのかわからないのよ」


 困惑した眼差しを覗き込み、その真実味を推し量る。いや、量るまでもないだろう。彼女は嘘をついていない。


「……ちなみに、その暗殺者も、ここの関係者なんですか?」


 この学院のセキュリティについては、第一王子本人が太鼓判を押していたはずだ。それをかいくぐれるとなれば、関係者以外ではありえないだろうと思う。

 そういえばと思い出したように、転生令嬢は軽く答える。

 私にとって、二重の答えになることを。


「オデイルよ。――オデイル・スコルピオンが、この事件の暗殺者」


 暗い赤毛の三つ編みが、瞼の裏で揺れた。





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