第21話 二人になりたいだけなのに


 リディアーヌから、この〈物語〉の詳細を聞く。

 そう決めた私は、早速彼女と話すための機会をうかがっていた……のだが、これがなかなか困難だった。


 そもそも話の内容からして、他の生徒がいるところでは絶対にできない。二人きりになれる機会となるとかなり限られてくるし、一分や二分で終わる話でもない以上、まとまった時間が必要になる。

 となれば、狙うは昼休みか放課後だ。

 学院の講義は午前に二コマ、午後に三コマある。昼前の授業中にこれからの方針をまとめた私は、昼休みに入るや否や、リディアーヌ嬢へと声をかけようとした。

 のだけれど。


 ――ぐうう~……


 彼女の胃袋が鳴いた。周囲の数人が動きを止めた。私も思わず止まってしまった。

 そんな中、隣のブランシュが、ふふっと愛らしく笑った。


「可愛い音ですね、リディアーヌさま」

「いやー、あはは。授業中に鳴らなくてよかったわぁ」

「人前で鳴ることを恥じらってほしいものだがな、令嬢としては」


 笑ってごまかすリディアーヌを、呆れたように窘める第一王子。

 マナー講師であるミュリエル嬢がいない反動か、この転生令嬢、明らかに緩んでいる。それでも周囲から不審に思われていない辺り、どうやら普段からこの調子らしい。恐ろしい子だ。


「前はわからなかったけど、なかなか面白いご令嬢だな」

「……そうね」


 ラウルの目から見てもそうなら、それはもう、それでいいのかもしれない。


「さ、早くお昼お昼――と、そうだ! ラウルも一緒に行きましょう? ステラも、わたくしたちと一緒に食べているから」

「あー、じゃあそうしようかな」


 ご令嬢からの気軽なお誘いに、深く考えた風もなく頷くラウル。そしてさりげなく行動を制限されている私。別にそれはいいけれど。


 その後、連れ立って赴いた食堂で、朝と同じ年長三人組がこちらへ手を振るのを見て、私は昼休み中の機会消滅を悟った。


「おや、こちらの青年はどなたかな?」


 朝からさらに増えた新顔に、目ざとく反応したのはセルジュ王弟だ。

 私は即座に頭を切り替え、当たり障りない返答をする。


「私の幼なじみで、ラウル・トローといいます。同じ学年に編入することになりまして」

「へえ、幼なじみ」


 その関係性は、彼らの興味を引いたらしい。

 食事の傍らになんだかんだと質問をされ、それに答えると感心される。その会話自体は楽しいものの、情報不足に気付いてしまった私としては、どうにも不安で仕方がなかった。余計なことを口にしていないか、誰かの地雷を踏み抜いていないか、焦燥ばかりが募っていく。

 ようやく解散となった時には、緊張し過ぎて疲れ切っていた。


(ううん、焦っても仕方がない。せめて放課後の約束を、今のうちに取り付けよう)


 そう持ち直した私は、ともに食堂を出る彼女に声をかける。


「リディアーヌ様、あの……」

「――リディアーヌ!」


 そこに割り込んだのは、今別れたはずのミュリエルだった。


「ハンカチを忘れていましたよ。お母さまにいただいた大切なものなのでしょう?」

「あっ! ごめんなさい、ありがとうミュリエル!」

「まったく、目が離せない子ですね。ほら、ここにパンくずまでつけて」


 そう言って襟元を払い、自然なしぐさで顎をすくい上げる。並べばリディアーヌのほうが僅かに高いのだが、それでもまるで、キスでもするような角度になる。

 不意の既視感に、思わず思考がふっ飛んだ。


(こういうの、後宮でもあったなあ……)


 皇帝のためだけに咲く花々は、実際、お声がかからなければ無為なもの。女性として一番魅力的に輝く時を、後宮の奥深くで、誰にも顧みられずに使い潰すのだ。

 そんな中では、不貞とまでは言えない妃嬪同士の秘め事なども、正直、ないではなかった。こうまであからさまではないものの、古参の立場からすると、ずいぶん頭を悩ませたものだ。気持ちはわからないでもないにしろ、政治的なややこしさもある話だし。


 呼びかけようとした体勢のままそんな現実逃避をしていると、ふと脇から咳払いが聞こえた。


「……婚約者の指導がなっていないのは、おれの責任です。ご迷惑をおかけして申し訳ないが、今後はこちらで注意するので、今日のところはその辺で許してやってくれないか」


 どこか不機嫌にそう言ったのは、ヴィクトル王子だった。なんだか初耳の関係性があったような気がしたけれど、それにつっこむ暇などない。


「あら――失礼いたしました」


 余裕の微笑みのまま手を引くミュリエル。それを見て取って、小動物めいた令嬢が二人の間に割り込んだ。


「ご安心ください、ミュリエルさま。ミュリエルさまがいらっしゃらない間は、わたくしが、リディアーヌさまをお助けしていますから」

「ええっ! ちょっとブランシュ、それじゃまるで、あたしが要介護老人みたいじゃない!」

「似たようなものではあるな」

「そんな! それはひどいですよヴィクトルさま!」

「そうですわ、ヴィクトルさま。そんな風におっしゃるのなら、リディアーヌさまとのご婚約を解消なさいませ」

「それはしないと何度も……ああもう、時間がない。講義室へ行くぞ」


 わいわいと歩き出す三人の背を見やり、微笑んで引き返すミュリエルも見送り、ようやく溜め息が零れ出る。


「にぎやかだなぁ」


 呟いたラウルの呑気さが、今日ほど羨ましいこともなかった。





 その後も、リディアーヌと話ができる機会はほとんど訪れなかった。

 訪れたとしてもそれは他者の目がある会話の中で、どう考えても、個人的な約束を切り出せるような状況ではなかった。


(ただ少しだけ、二人になりたいだけなのに……どうしてこうも上手くいかないんだろう)


 どうして、とは思うものの、その主な原因はわかっている。

 この転生令嬢――リディアーヌ・リオンは、周囲から恐ろしいほどに好かれているのである。

 彼女の周りには常に誰かがいて、一人でいる時間というものがほとんどない。ヴィクトル王子も保護者のようにそばにいるし、面白がったラウルもついてくる。休み時間には教室移動の途中らしいミュリエルとセルジュが顔を見せ、教師の手伝いに訪れたジェラルドも、彼女に声をかけてから帰っていった。なにより、懐いたリスのようにいつもブランシュがついて回っており、つけ入る隙というのがまるでないのだ。


(これはもう――手紙しかないか)


 最後の休み時間を無駄にした後、ついにそう決心する。

 一瞬の隙を掴んで渡せれば、その一瞬で事足りる。用件と待ち合わせ場所を伝えられれば、後はどうにかなるだろう。内容が内容だけに、向こうも周囲に気を遣って行動するに違いない。


(問題は……その手紙を書けるかどうか、なのよね)


 単語も文法も、話す分には問題ないが、読み書きとなると途端に不安だ。どうにかわかる範囲で伝えられるだろうかと思案して――

 そこで私は、はっと気付く。


(――相手なら、日本語でもいいじゃない!)


 無理にこの国の言語を使う必要などない。伝えたい相手に伝わればいいのだ。

 しかも彼女と私しかわからない言語だから、下手な暗号より安全だ。そんな当たり前のことに今まで気付かなかったなんて、視野狭窄にもほどがある。

 どれだけ間抜けなんだ、私は!


 そうと決まれば躊躇はいらない。私はノートの端を適当に切り取り、そこに遥か遠く懐かしい故郷の文字を書き連ねた。


『〈ステラツィオンの夕べ〉について、あなたが知っていることを教えてください。放課後、夕食の時間まで図書館で待っています』


 丁寧に折り曲げて、手の中に潜ませる。

 今日最後の講義教科は、魔法史学だった。疲れ切った成長期の生徒たちが舟を漕ぐ時間もやがて終わり、また仲良く講義室を後にしようとする面々に、私は申し訳なさそうに嘘をついた。


「すみません、わたくし、少し先生方にご用がありますので。夕食の席で、またご一緒させてください」

「オレも一緒に行こうか? ステラ」

「ううん、大丈夫」


 ラウルの優しい申し出には、首を振る。嘘なのだから仕方ない。


「わかったわ。それじゃあ、また後でね」


 にこやかなリディアーヌに「ええ」と答え、すれ違いざま、その片手に手紙を滑り込ませる。


「また後で――ブルータス」


 素早く瞬かれた紫の双眸は、囁きの意味を悟ってくれたはずだ。

 私は一人、図書館へと足を向けた。





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