第19話 はじめの一歩から勢揃い


 そして一夜明け、編入初日。


「食事は基本的に食堂で、決まった時間に全員揃っていただくようになります。給仕は数年前まで下級生が行っていましたが、今は専門の者が担っていますから、気にせず食事だけするので構いません」


 そんな説明を受けたのは昨夜のこと。今朝もその通りにとミュリエルと二人、講堂脇の食堂へ向かうと、その入り口に昨夜は見かけなかった生徒集団がいた。その中心に見えるのは、黒髪に紫の瞳を持つ、どこか強そうなご令嬢。

 ミュリエルは迷うことなく彼らに近づき、にこやかに挨拶した。


「おはようございます、皆様」

「あっ! おはよう、ミュリエル! それにステラも!」


 ぱっと笑うリディアーヌにつられ、周囲の人々も私たちへと興味を移す。彼女を取り囲むのは、ヴィクトル王子を含めた男子三人と、その影に隠れてしまいそうな小柄な女子が一人だ。


「ふうん、この子が噂の編入生か」


 薄緑の双眸を細めて笑ったのは、どこか貴公子然とした男子生徒。細身で色白、さらりと長めな亜麻色の髪など女性的な雰囲気を漂わせながら、甘く涼やかな顔立ちはすでに青年らしさを帯びている。

 私の戸惑いを察したリディアーヌは、「順番に紹介するわね、ステラ」と早速、亜麻色の髪の貴公子を手の平で示した。


「まずこちらは、現国王陛下の弟君であるセルジュ殿下」

「――お目にかかれて光栄です。殿下」


 初っ端からすごい相手に絡まれていた。一瞬息を呑んだけれど、どうにかうろたえることなく挨拶する。

 うん、と微笑んだままそれを受け取る王弟殿下をよそに、次にリディアーヌが目を向けたのは、傍らの第一王子。


「ヴィクトルさまのことは、さすがに覚えてるわよね」


 ええ、と頷く私に、ヴィクトルは眩しいほど精悍な笑顔を見せる。


「おはよう、ステラ。昨夜はよく休めただろうか?」

「おはようございます、ヴィクトル殿下。おかげさまで」

「ヴィクトルでいい。ここでは同学年の同輩なんだ。気楽にしてくれ」


 鷹揚に頷く第一王子に、お気遣いありがとうございます、と話半分で聞いておく。こういうものは、気楽にもそれぞれ度合いがあること前提である。それをはき違えると顰蹙ものだ。

 次にリディアーヌが示したのは、黒髪眼鏡の男子生徒。


「そしてこちらは、宰相閣下の御子息のジェラルド・カンセールさま」

「よろしく頼む」


 ぴしりと伸びた背筋に、折り目正しい動作。見た目通りに生真面目な挨拶をする顔を見返せば、眼鏡の奥の瞳が深い青色をしていることに気付く。容易に変わりそうのない表情は険を湛えているようにも見えるが、低い声音は、思ったよりも柔らかく耳に響いた。

 当たり障りなく微笑んだまま「よろしくお願いいたします」と返しつつ、内心では驚嘆半分、呆れ半分だった。


(第一王子に王弟、宰相子息が朝から勢揃いだなんて)


 未来の国家中枢が集結し過ぎだ。もうちょっとバラけても罰は当たらないと思うのだけど。食堂中の耳や目が、この界隈に集まっているのが嫌でもわかる。


(それで、この人たちが“ステラ”の“攻略対象”なわけね……)


 彼らの大層な肩書は、一度聞けば忘れられない。改めてリディアーヌ嬢に問いかけるまでもなく、その事実は明白だった。


(なぜか一気に顔見知りになってしまったけど……さて、これからどうやって避けていこうかしら)


 そんな私の内心など知らぬまま、リディアーヌは最後に、ちょこんと待っていた小さな女子生徒を紹介した。


「それでこちらは、わたくしたちと同じ学年のヴィエルジュ伯爵令嬢、ブランシュよ」

「ブランシュ・ヴィエルジュといいます。ぜひぜひ、仲良くしてくださいませ」

(んん、かわいい……!)


 ふんわりとした微笑みに、思うより先に心が和む。彼女が私に向けてくれたのは、そんな可愛らしい笑顔だった。

 緩やかにウェーブした小麦色の髪に、ふっくらとした薔薇色の頬。顔も手足も小ぢんまりと華奢にまとまり、明るく透き通った茶色の瞳はドングリのように大きく丸い。決して目立つ色彩ではないけれど、野に咲く花のように目を引き、こちらも微笑んでしまうような愛らしい少女だった。そう、まさに小動物のような可愛さだ。


 そして紹介を受けた以上、私も自己紹介を返すのが礼儀である。


「改めまして、ステラ・シャリテと申します。山出しの小娘ですので至らぬところもあるかと思いますが、ご迷惑をおかけしないよう励みますので、よろしくお願いいたします」


 母の侍女仕込みの完璧なお辞儀カーテシーに、後宮仕込みの控えめかつ人好きのする微笑をつけて挨拶する。

 ほう、と感心するような吐息は誰のものか。宰相子息のジェラルドが、私の従姉へと尋ねる。


「ミュリエル。彼女の指導は、きみが行ったのか?」

「いいえ。辺境でも、それなりの教養は身につけられたようですね。……王都で一流の教育を受けても、いつまでたっても成長しない方もいますけれど」


 微笑のままの皮肉に、視線が集った先は我らがリディアーヌ嬢である。なるほど、その反応が出る程度にはみんな親密な関係らしい。これが半端な関係だと、変に目を逸らす人間が出てくることもある。

 納得する私をよそに、注目された当人は慌てて笑う。


「まあまあまあ! 堅苦しいご挨拶はここまでにして、朝ごはんにしましょ! ね!」


 その途端、ミュリエル嬢の視線が彼女に突き刺さる。


「提案はもっともですが、公爵令嬢として言葉が悪い気がしますね? リディアーヌ・リオン?」

「あっ! ええと……では皆様、お食事にいたしましょう?」


 それでよし、と頷くものあり、微笑ましげに見守るものあり。

 仲良しグループの新参者として、私はその片隅で、当たり障りなく微笑んでいた。





「セルジュさまとジェラルドさま、それからミュリエルは第二学年だから、普段はあまり一緒にはならないの。その代わり、こうやって食事の時や行事の時なんかには、みんなで一緒におしゃべりするのよ」


 食堂の一角に席を取り、給仕係がテーブルを回る間を縫って、リディアーヌはそう教えてくれた。なるほど、と頷いた私は、そのついでに聞き返すことにした。


「……ところで、ミュリエルさまとリディアーヌさまは、親しいご関係なのですか?」


 割と冒頭から気になっていたのである。先輩であるはずのミュリエルに対し、リディアーヌは敬語も敬称も使っていない。

 二人は互いに顔を見合わせ、後輩が代表して口を開いた。


「昔ね、子どもの頃にパーティーでご一緒したの。それからずっと、仲良くさせていただいてるのよ。わたくしにとっては、頼りになるお姉さんのような感じね」

「わたくしにとっては、とても世話の焼ける妹ですがね」


 言葉は淡々としているが、“妹”を見つめる眼差しはとても優しい。まさに姉妹といった風だ。


「ちなみに、同じ席で僕とも出会っているんだよ。リディアーヌは」

「おれの誕生日パーティーの時だな。十歳の」


 口を挟んだセルジュ王弟に、ヴィクトル王子が補足する。


「あの時は、各家の令嬢を招いていたから……その、婚約者候補として」


 なにやら思い出すことでもあったのか、気恥ずかしげに目を細めるヴィクトル。その視線の先は黒髪の元気なご令嬢で、あらあらあらあら、などと私の心の中のオバサンが声を上げそうになる。

 そうとも知らず、ふと顔を上げたリディアーヌが「あっ!」と嬉しげに声を上げた。その視線を辿った先には、影のように滑り込んできた女子生徒の姿があった。


「おはよう、オデイル! あなたも、ここで一緒に食べない?」


 朝にふさわしい朗らかな挨拶に、しかしその女子生徒は、びくりと肩を跳ねさせた。こちらを向いた顔も強張っている。

 本当に、影のような少女だった。

 そばかすが浮いた白い頬。そこに影が落ちるほどに長い睫毛。伏せがちな瞳の色はわからないけれど、落ち着いた色味の赤毛は一本の三つ編みにまとめられ、重たげな毛先は腰辺りで揺れていた。

 オデイルと呼ばれた彼女は、集まった面々を素早く見回し、怯えたようにその場で頭を下げた。


「……申し訳ございません。お許しください」


 か細く微かな声で、それだけ残して去っていく。


「相変わらずつれないねえ、スコルピオン嬢は」

「セルジュさまがそういう言い方をなさるから、恥ずかしがって来られないのでは?」


 サクッと塩対応したミュリエルに、「厳しいなぁ」とまんざらでもなさそうに笑うセルジュ。双方、慣れた反応だ。

 その一方で、顔を曇らせたのはジェラルドだった。


「すまないな。せっかく気にかけてもらっているのに……」

「いえいえ。正直ちょっと期待はしていましたけど、無理強いするのはよくないですもんね。それにこれでも、二人だけの時には、結構おしゃべりしてくれるんですよ」


 朗らかなリディアーヌの対応に、宰相子息の表情も緩む。


(なにやら複雑な関係があるらしい。私には関係ないけれど)


 そんな考えは頭の中だけに留めたはずだけれど、ふとこちらを向いたリディアーヌが、申し訳なさそうに謝ってきた。


「ちゃんと紹介できなくてごめんね、ステラ。同じ第一学年の子だから、また授業の前にでも紹介するからね」

「――ええ、ありがとうございます」


 にこやかに応えながら、これはまさかそういうことか、とひそかに思う。

 つまるところ、彼女もこの〈物語〉の登場人物なのではないか。それでいてこの仲良しグループに入っていないことを鑑みると、一癖二癖はありそうな立ち位置なのだろう。もしかすると、物語の根幹に関わるくらいかもしれない。



 しかし、そんなメタ的思考もじきに吹っ飛ぶことになる。

 初めての授業で訪れた講義室。その座席の一つに、当たり前の顔をして、ここにいるはずのない人物が座っていたのだ。

 私に続いて簡単な自己紹介を求められたその人は、自席に座ったまま、気負うことなく非常に簡素な挨拶をした。



「ラウル・トローです。よろしく」





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