第14話 遺されたもの
父が目を覚ましたのは、それからほどなくしてだった。
痛いところはないか、気分が悪くはないか。一通り体調観察をしておいて、問題なさそうだと判断した私は、後回しにすることなくヴィクトルたちとのやり取りをその場で話した。
「……そうか。……聞いたか」
寝藁から上体を起こしたまま、片手で目元をこすった父は、大きな溜め息とともに呻くように呟く。それから、しょぼくれた顔で私を見て、頭を下げた。
「……すまなかった」
「…………」
その謝罪が、隠された過去に起因するこの騒動に対するものだとは、わかっていた。けれど「本当よ」と素っ気なく同意した私は、それを別のことへとすり替えた。
「どうしてこんな大怪我しちゃったの」
「え? あ、それは……」
「――お父さん、自分からあの火の中に入ったんでしょう」
断言すると、父の表情が固まる。図星だ。
そう。追っていた襲撃者の返り討ちに遭い、気絶している間に家に放り込まれ、もろとも焼かれそうになったのかとも思ったけれどそれは違う。第一、向こうにはそんな手間をかける必要はないのだ。気絶させることができたなら、後は、刃物か鈍器を使えばいい。それで十分、彼らの目的は達成できたはずなのだから。
けれど父は、家の外で倒れていた。虫の息ではあったけれど生きてもいた。手足に拘束の痕もなく、焼け落ちる家の扉の前で、まるでなにかを庇うように俯せて。
その答えを――そうだろうと思うものを、私は、二人の間に置く。
「この袋を、取りに行ってたんでしょう?」
それは、手のひらに乗るほどの革袋。口を紐で縛られたそれは、半身を焼かれ気を失いながらも、父がしっかりとその懐に抱きかかえていたものだった。
はっと自身の胸元に手を当てた父に、その推測も当たっていたことを知る。
「きっとお父さんの大事なものだって思ったから、誰にも渡してないし、私も中身は見ていない。でも……教えてくれるよね?」
これは、いったいなんなのか。
そう言って革袋を父の膝に置く。じっとそれを見つめた父は「ああ」と囁くように同意して、袋を手に取り、その口を開けた。
「これは……お前のお母さんが、お前に遺したものだ」
「……お母さんが?」
頷いた父が革袋から取り出したのは、一つの木箱。無垢板で簡単に作られた、手のひらに乗るほどの小さな箱だ。革越しの感触で予想はついていたその中身を、父は私へと差し出した。
「開けてみろ」
促されて、断る理由はない。受け取った箱の蓋は本体と分離するタイプのもので、年月によって膨張したのか、少し固い。
指先に力を込めて開けた、そこに入っていたのは。
「……封筒? と、これは……?」
封蝋がされた古びた紙は、封筒だろうとすぐにわかった。けれど、持ち重りがするもう一つのほうはわからず首を傾げる。
角のまろやかな、厚みのある円盤状のもの。ちょうど私の人差し指と親指で作った丸と同じくらいの大きさで、持ち上げると、さらりと細い鎖がついてきた。
円盤を傾け、明かりにかざす。金属製の基盤に散りばめられた小さな飾り石が、きらり、きらり、と瞬くような輝きを放った。
見入る私の肩口で、『懐かしいな』と声がする。それにふと顔を上げた私に、父が言った。
「そのペンダントは、〈星宿りの首飾り〉という。今夜、お前に話をして、その時に一緒に渡すつもりだった。――〈星女神の乙女〉に代々伝わる
「…………。そんな大事なものを、お母さん、勝手に持ってきちゃったの?」
「いや、まあ、それは……〈乙女〉以外には特に意味のないものだし」
あはは、と誤魔化すように笑う父。……「勝手に持ってきた」のくだりは否定しないのかぁ。思いつきのカマかけで、余計な不安要素を得てしまった。
そんな私たち親子を余所に、ふわ、と浮かび出たユニが私の手元に着地する。なにかと思えば、額の角をペンダントトップである円盤に触れさせ――そのままぐにゃりと溶けるように形を崩し、円盤へと吸い込まれてしまった。
「えっ!?」
「なんだ!?」
思わず上げた声に父も驚くが、それに構ってもいられなかった。きらり、と先程とはどこか違った輝きを放つ飾り石を凝視していると、聞き慣れた声が頭に響いた。
『うん、やっぱり居心地がいいな』
「ユニ!? 大丈夫なの!?」
『もちろん大丈夫さ。悪いけどステラ、ボクはここでちょっと休むよ。キミに危険が及ぶようなら必ず助けるから、心配しなくていいからね』
それきり沈黙してしまったペンダントに、私は唖然とするしかない。その様子を目の当たりにしていた父は、すべてを悟ったように囁いた。
「お母さんは、そのペンダントに星女神の〈一角獣〉が宿ると言っていた。いつからかそんな話もしなくなっていたが……お前のそばにも、ちゃんといたんだな。お前を護る〈一角獣〉が」
はっとする。ずっと抱えていた父への秘密を暴かれた後ろめたさが不意に襲って、俯くように頷いた。
「……うん。黙っていて、ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。〈乙女〉としての資質は、必ずしも親子の間で引き継がれるわけではないんだ。お前にそれが継がれていないなら、そのまま普通の子どもとして育てるほうがいいだろうと、お母さんとも話していた。……気付いてやれなかったのは、そのせいもある。すまなかった」
「っ違うの! 違うのよ、お父さん……」
話さなかったのは私の都合だ。打算を重ね、慎重さを最善として後宮を生きた前世の記憶があったせい。年相応の子どもであれば、きっとすぐに話しただろうに。
そんな話はできないから、私はただ、かぶりを振って話を変える。
「この封筒、一緒に入ってたってことは、きっとなにか関係があるのよね? 開けてみてもいい?」
ああ、という返答を受けて、封を開ける。古い封蝋が乾いた音を立てて割れ、開いた中から四つ折りの便箋が現れた。
(お母さんからの、手紙……)
五年前に失った、優しいあの人の手紙。そう思うと、途端に胸が苦しくなった。
私にとって、彼女は母であり、理想の女性でもあった。朗らかな彼女の笑い声は、私の世界を明るく彩ってくれていた。病死の間際までそうあろうとしてくれていた彼女の強さを思い出し、ぐっと唇を噛む。
(もしもあの時、今日と同じ判断ができていたら――)
星女神の獣に、その奇跡に縋るすべを知っていたら。
母はきっと、今もここにいてくれただろう。朗らかに笑って「大丈夫よ」と励ましてくれただろう。その声が無性に恋しくて、申し訳なくて、たった一枚しかない便箋を、震えそうになる手で慎重に開く。
そこに現れたのは、――ああ、確かに、懐かしい母の筆跡だった。
「……『私の、愛しの娘へ』」
一行目に書かれた文章を、そっと呟く。
続けようとした姿勢のまま、私はけれど、動きを止めた。ああ。
「…………。お父さん」
「どうした」
反応の速さに愛を感じる。
だから余計に、私は泣き出しそうな気持ちになって笑う。
「この手紙、難しい言葉がいっぱいで、私、読めない」
はっと息を呑む父に、眉尻が下がる。
――
本などほとんどない家で、書き物などしなくても暮らせる日々で。人に交わるのが億劫で、村の学校にも通わなかった。母の生業を手伝う中でいくつか教えてもらったことはあり、かろうじて簡単な読み書きはできるけれど、この手紙に使われている言葉や表現の多くは、あまりにも馴染みがなくてわからない。
私には、母が遺した言葉を、正確に知ることさえできなかった。
その現実はまるで、このままでいてはいけないと訴えかけられているようで。思い出に囚われず、前へと進まなくてはならないと諭されているようで。
迷う必要はないのだと――母に、背中を押されているようで。
「悪かった。お父さんが読んでやるから、貸してくれ」
焦ったように身を乗り出す父に、ううん、と私は首を振る。
「それより私、勉強がしたい」
「……勉強?」
「学びたいのよ。いろんなことを。ここにいるだけじゃわからないことを、この国や世界のことをもっと知って、お父さんお母さんが過ごした日々を知って――自分で、この手紙を読みたいの」
森の中に隠されて育った
私はそれを、ちゃんと知りたい。
「だからお父さん。私、王都に行く。お父さんにはつらいことや嫌なこともあるかもしれないけど、一緒に来てもらいたいと思ってる。なにがあっても、お父さんのことは、絶対に私が守るから」
「…………。お前は……しっかり者だと思っていたが、案外、抜けているんだな」
「えっ?」
まさに私が父に対して思っている印象を打ち返されて、きょとんとする。
そんな私に、父は苦笑して。
「そこまでしっかりされたら、父親として寂しいだろう」
伸ばした片手を、私の頭に乗せる。
「お前がやりたいと思うなら、そうすればいい。王都には、お前にこそつらいことや嫌なことがあるかもしれないが、それを覚悟しているのなら応援するよ。――なにがあっても、ステラのことは、絶対にお父さんが守ってやる」
「……お父さん」
じわり、と浮かんだ涙を指先で払い、いつかと同じ笑い話にしようと軽口を叩く。
「お父さんがこんなにカッコイイなんて、夢かしら」
「ひどい子だな。お父さんは、昔からずっとカッコイイだろう」
本当に、という同意は口には出さず、泣き笑いの顔になりながら、母が遺したものを抱き締める。手紙も首飾りも、今の私には真価のわからないものだけど、
父と母に支えられ、私は、新たな一歩をここに踏み出す。
翌朝。再びやってきたヴィクトルたちと話を詰め、火災によりすべてを失った私たち父娘は、すぐにでも王都へと旅立つこととなった。
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