第26話 貴公子王弟の憂鬱


 転生を二度して思うのは、人間が生み出すものである以上、文化や常識というものはどこでもさほど変わらない、ということだ。


星歴せいれき千五百二年、隣国スカイシア、との、第二次聖戦が、勃発……」


 途切れ途切れに読み解くのは、基礎教養である王国史。上流階級では家庭教育の一環として学ぶものだが、森に生まれ育った私にとっては初見の代物だ。同じ境遇の生徒が過去にもいたのか、それとも家庭教師から脱走してきた生徒への救済か、魔法学院の図書館には年少者向けの王国史が置かれていた。

 読み書きできない私のため、オルビット先生が特別にくれた綴り用教本スペル・ノートを解きながら、基礎教養も深めていく。


「星歴千五百四年、西部農村に、〈星女神の乙女〉が現れ、国王、イヴォン二世に、謁見……」


 年少者向けの本には挿絵が多い。どこかで見たような中世ヨーロッパ風の絵柄で、二国間戦争と国王、救済の乙女が描かれている。

 最初の転生先だったけい帝国は、文物すべてが中国風だった。今回のこのシエル=エトワレ王国は西洋風――建築様式や料理、言語形態から、その中でもおそらくフランス辺りがモチーフだろうと思われる。この絵図も、なんとなく〈オルレアンの乙女〉を思い出すものだ。


(まあ、メタなことを言えば、どちらもの創作物だし)


 似通るところもあるだろう、と深く考えず納得している。

 時折、どこからともなくページをめくる音だけが聞こえてくる放課後の図書館。その片隅で自習を始めてから何分か、ふと、通りかかった足音が傍らで止まった。


「おや」


 顔を上げると、亜麻色の髪の貴公子がそこにいた。


「奇遇だね、ステラ」

「セルジュ様」


 思わぬ相手の登場に、完全に手を止めて目を瞬く。彼は貴石のように艶めく碧眼を細め、誰が見ても魅力的な微笑みを浮かべた。


「図書館で自習とは真面目だね。今日はリディアーヌや、きみの幼なじみくんは一緒じゃないのかい?」

「ええ。みなさんが一緒だと、楽しすぎてお勉強にならなくて」


 とは、ずいぶんマイルドな言い方である。リディアーヌにブランシュとヴィクトル、おまけにラウルまで加わると、なんだかんだと話が弾み続けて勉強どころではなくなるのが実態だ。窘めながら教えてもらうより、一人で自習するほうが、今のところ有益だった。

 セルジュ王弟は、なぜかそのまま隣の椅子に座る。そして遠慮なく私の手元を覗き込んできた。


「これは……王国史の教本か。懐かしいな、僕も昔使っていたよ。でもこれじゃあ、子ども向け過ぎて、きみには物足りないだろう」

「いえ。今はどちらかというと、文字の勉強をしているところなので。これくらいの子ども向けがちょうどよくて」

「おや――ご両親は、きみに読み書きは教えてくれなかったのかい?」


 思わず相手を見返した。

 そこに特に意識を乗せていたつもりはなかったけれど、王弟は「そんな顔をしないでくれ」と優雅に笑う。


「なに、それほど礼儀作法ができながら読み書きは不得手というのは、実に不思議なことだと思ってね。文字が不要な暮らしなら、宮廷風の礼儀作法も不要だろう? きみのご両親はいったいどんな風に考えていたのだろうと、疑問に思っただけさ」

「そう、ですね」


 それはそうですね、と私も納得する。そして誰もが見逃していた私の浅はかさを、この王弟が捕捉したことに驚いた。


(単に気が利く美形貴公子……というわけじゃなさそうね)


 そう思えば、この美しい微笑みにも一癖あるような気がしてくる。

 私は目の前の人物への意識を変えながら、それを悟られないようにと細心の注意を払って問いに答えた。


「これは……この行儀作法は両親ではなく、母の侍女をしていた人に教わったのです」

「というと、ラウル・トローの母親かな?」

「ご存知なのですか?」


 さりげなく情報通を示す王弟に、私はあえて驚いてみせる。こうして踏み込んでくるからには、ある程度の下調べはしているだろう。それをなぜひけらかすか、ということを考えれば、下手に構えるよりも素直に反応したほうがいい。


(私には含むところはなにもない、ってことを、きちんとわかってもらわないと)


 故郷を懐かしむ無害な少女だと思ってもらえればそれがいい。

 そう見えることを念じて、私は話す。


「父も母も、私の教育には、特に熱心ではありませんでした。毎日の生活に関わること、生業なりわいに関わることなどは、惜しみなく教えてくれていましたが」

「森の暮らしには憧れるよ。といっても、王都で生まれ育った僕のような身では、苦労のほうが多くなるんだろうけれど。――そういえば、きみのご両親は、どのような生業をしていたのだっけ?」

「そうですね。父は近くの村の番兵を、母は、薬草を育てて薬師や治療師のようなことをしていました」

「なるほど。騎士と乙女という、それぞれの長所を活かしていたわけだ」


 ちらちらチクチクとつつかれている。

 そんな気もするけれど、あくまで雑談の体で話に応じる。


 ……とはいえ、ずっとその調子でも面白くない。ここは多少、流れを変えてみようかと、「そういえば」とこちらからも踏み込んだ。


「私のルームメイトであるミュリエル様は、セルジュ様の御婚約者候補なのですね」


 一瞬、相手の表情が固まった。

 それを無理矢理ほぐして、王弟は笑う。


「ああ……よく知っているね。ミュリエルがきみに教えたのかな?」

「いえ、お聞きしたのはリディアーヌ様からです。私の父はバランス侯爵様と血縁にあったそうで、ミュリエル様と私は従姉妹同士なのだとも教わって……なんだか不思議なご縁ですね」


 にっこりと友好的に微笑みかけると、どこか強張った笑みを返される。


 ――王弟セルジュ・ヴォワ=ラクテと、その婚約者ミュリエル・ド・バランス。

 彼らの関係性については、この図書館で転生令嬢から聞いていた。


 乙女ゲーム『ステラツィオンの夕べ』における王弟は、美しい微笑みの下で鬱屈している少年だった。父親ほどに歳の離れた長兄、そして一年下に生まれてきた甥の存在に、その人生を振り回されてきたからだ。自らの境遇に倦み飽きて、彼は享楽的な日々を過ごしていた。

 一方のミュリエルも、幼い頃から鬱屈した人生を歩んでいた。一族から国賊ともいえる存在を出したことにより、侯爵家への風当たりは今よりもさらに苛烈だった。一族を裏切った叔父のことを、身勝手な感情で動いた聖女のことを、彼女は激しく憎んでいた。

 決して幸せではない少年少女だが、彼らの家格は吊り合った。

 やがて大人たちの間で、婚約の話が進められていく。しかし、享楽的な王弟をミュリエルは蔑み、冷徹な伯爵令嬢をセルジュも疎んじていた。そんな矢先、学院に現れた〈星女神の乙女〉の存在で、彼らの運命も動き出していく――


 ……という話なのだけど。


「その……きみはミュリエルから、僕のことはどう聞いている?」

「え?」

「いや、特になにも言っていなかったのなら、それはそれでいいんだけど。まだ候補とはいえ、婚約者だからね。なにか悪い噂でも聞いて不安になっていたら、すぐに対処しないといけないから」


 目の前でそわそわと髪を掻き上げ、どこか恥じらうように、それをごまかすように言葉を連ねる貴公子は、どう見てもそんな前情報とは繋がらない。

 なんだか逆に申し訳なくなって、「ええと」と返答の仕方を考えてしまった。


「ミュリエル様は、素晴らしい貞節さをお持ちの方ですから……あまりご自身のお心は、お話しにならないのではないかと思います」

「ああ、そうだね。うん、確かにそうだ」


 自身に言い聞かせるように頷くセルジュ。

 立場も忘れて「落ち着け」と言ってあげたくなる。代わりに「セルジュ様の悪いお噂は聞いていませんよ」と言うと、ようやく少し落ち着いた。


「すまないね。どうも僕は魅力的すぎるらしくて、昔から軽薄だとかなんだとか、心無い噂を立てられやすいんだ。僕自身は気にしないけれど、彼女に迷惑をかけてはいけないだろう?」

(……なんともはや)


 先程までのつかみどころのなさが嘘のようだ。王弟として超然とした振る舞いをしていても、彼も十七歳の少年だということか。


(でもおかげで、この状況の意味も少しわかってきた)


 ダメ押しに、最後にもう一つだけ聞いておく。


「セルジュ様は――ミュリエル様のことが、とてもお好きなのですね」

「もちろんだ」


 即答だった。


「あれほど美しく聡明な女性は他にいない。それに彼女は、僕の恩人だ」

「恩人?」

「僕に僕を取り戻させてくれた。王弟ではなく僕自身を見てくれた彼女のおかげで、本当に大切なものがなにか、気付くことができたんだ」


 これまで見せたことがないような優しい笑みでそう言って、セルジュは、試すような視線をあからさまに私へ向ける。


「僕は彼女に感謝している。心から尊敬しているし、彼女を守るためならどんなことでもするつもりだ。――わかるね?」

「――ええ」


 わかりました、と神妙に頷く。

 つまるところこの人は――自分の想い人と同室になった編入生が、彼女に害なす存在ではないかを量りに来たのだ。国賊を恨む王族としてでもなく、王位を狙う王弟としてでもなく、ただ一人の恋する少年として。


(……なんだか、私が薄汚れているみたいだわ)


 青春のあまりの眩しさを前に、謎の罪悪感を覚えてしまう。陰謀渦巻く環境に慣れ過ぎて、こんな可愛らしいはかりごとにさえ身構えてしまった。


 これもまた、おそらくは例の転生令嬢が関わったことによるのだろう。

 彼らの過去になにがあったのかは知れないけれど、どうやらここでも、私ことヒロインステラ・シャリテは必要ないようだ。

 ――僥倖である。


「ミュリエル様はとてもお優しい方で、物慣れない私にも、とてもよくしてくださいます。もし、私でなにかお役に立てることがありましたら、ぜひお二人にお力添えさせてください」


 政略結婚も悪くない。

 でも、そこに愛があるならもっといい。


(若人の健やかな恋は、応援したいものね)


 孫を見守る気持ちで微笑むと、驚いたように息を止めたセルジュは、ややあってからゆったりと笑った。


「きみのように素敵な子が、ミュリエルのルームメイトで安心したよ。これからも、彼女のことをよろしく頼むね」



 放課後の図書室の片隅で、私と王弟は笑みを交わす。

 お互いの瞳の奥底に、なおも牽制と警戒の色があることをわかりながら。





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