第12話 星女神の乙女
トロー家の主人、ドミニク・トローは、私の父よりいくつか年上だ。
中年を越え、壮年に近づいた年頃。ラウルと同じ濃い茶色の頭髪には白いものが交ざり、四角い顎の顔には深いシワが刻まれている。年の割に逞しい身体も、低いのによく通る声も、厳しい自然とともに暮らしてきた年月によるものだと思っていた。
しかし現実は、もしかしたら、それだけのためではなかったのかもしれない。
「これで全部だ。生きてるやつはな」
燃え残った馬小屋の前。
頑健な両肩に担いできた〈獲物〉を、ドミニクはこの上なく無造作に地面へと落としてそう言った――その数、五人。先に聞いていたよりも、ずいぶん少ない。
父親の狩りの腕を知っているラウルが、怪訝そうに口を出した。
「他は? 全部死んだのか?」
「何人か、口の中に毒を仕込んでいたらしい。ここにいるのは一撃で昏倒できたやつと、なにも知らずにその辺で雇われた、ただのゴロツキだ」
「……毒物」
なんてことだ、と拳で額を叩く。
ただでさえ厄介な状況なのに、これでより面倒な事態だとわかってしまった。渋い表情をしたヴィクトルが、唸るように呟く。
「そこまでして隠さなくてはならない首謀者が、こいつらの後ろにいるってことか……」
死人に口なし。
そうとしか思えないこの状況を作った人間は、絶対に自分の存在を知られまいとしている。そこまで思い詰め、こうして実行に移せるだけの権力、あるいは財力を持った相手だ。〈魔女〉を異端視する聖職者ではありえない――彼らならば、正体を隠す必要などないのだから。
(盗賊じゃない。魔女狩りでもない。……考えられるとすれば)
大祭へと出かける前。意味深にほのめかされた両親の過去を思い出す。
結局、詳しいことはわからないけれど、ごく幼い頃からある私の記憶に思い当たる節がない以上、今回の原因はそこにあるように思えてならない。
けれど、と私は背後の馬小屋を見やる。
それを問うべき相手は、今も眠り続けたままだった。主を失った馬房の中、清潔なものと入れ替えたばかりの藁を寝床に、ようやく健やかな寝息を立て始めた父を起こすのは忍びない。自然に起きるのを待つべきか――
(……ううん。聞ける相手は、お父さんだけじゃない)
私より遥かにこの世界を知る獣。
甚大な力を携え、神話の世界から飛び出した存在。
すぐ傍らに寄り添ったまま、ドミニクの驚きも襲撃者の生死も静かに聞き流していた星の獣を、私は間近から見上げた。
「ユニ。あなたは、これがどういうことなのか、知っているの?」
『――ボクの大切なステラ』
瞳に夜の色を湛え、躊躇うことなく〈一角獣〉は答えた。
『残念だけど、それはキミが〈星女神の乙女〉であるがゆえだ』
「〈星女神の乙女〉……――って、なに?」
それは、一般的にはよほど意外な質問だったらしい。
ヴィクトルとリディアはおろか、控えていた従者にまで驚愕の顔を向けられた。
「知らないのか? 〈星女神の乙女〉を?」
「え、ええ……〈星の乙女〉なら、聞き覚えもあるのですが」
十二年大祭で選ばれる役の名称には馴染みがあるが、主神の尊名を冠したその肩書きには、まったくもって覚えがなかった。彼らが示した反応を見るに、特権階級だけに許された知識というわけでもなさそうなのに。
戸惑う私に、ユニは『それはそうさ』となんてことないかのように言う。
『ステラには、ずっと誰も、教えないようにしてきたんだから』
「……どうして? どうして私には、誰も教えてくれなかったの?」
『それが、エトワールの意思だったから』
「お母さんの――」
――エトワール・シャリテ。
五年前に亡くなった、私の母親。
ああやはり、となにか納得する気持ちのままついた吐息が、誰かと重なった気がして振り向く。その私を見つめ返したのは、真っ直ぐな緋色の双眸だった。
「……そうかもしれないと、思ってはいたが」
「ヴィクトル様?」
いったいなにが、と言外に問い返す。
ヴィクトルは一拍置いて視界を閉じ、それからおもむろに語り始めた。
「かつて、この国には聖女がいた。星女神に仕え、その声を聞き、加護を運ぶ星獣とともに国を守った救国の聖女――それが〈星女神の乙女〉だ」
「…………」
「その存在は、聖戦のさなかだった三百年の昔から、代を変えても王室の庇護下にあり続けた。しかし……十八年前、当代の〈乙女〉が、一人の騎士見習いとともに突如として行方をくらませた」
私は思わず、額を押さえる。その先は、聞かなくてもわかる気がした。
それでもヴィクトルは誤魔化すことなく、かつての真実を、言葉にして告げる。
「その当代の名は、エトワール・シャリテ。彼女とともに消えた騎士見習いの名は、パトリス・ド・バランスという」
「……――私の、両親ですね」
疑うところなどなにもない。
それこそが、父が私に語ろうとした〈家族の秘密〉に他ならないだろう。
意識してゆっくりと深呼吸し、混乱しそうな気持ちを落ち着ける。額に添えた手を外して、毅然として見えるように背筋を伸ばした。
(――焦るのも弱るのも、後にしろ。すべては、すべきことが終わってからだ)
前世で、一度だけ。最愛の人に叱咤された時のその言葉を、心の中で繰り返す。
……大丈夫だ。今はただ、私のすべきことを、するだけのこと。
理性を総動員して、私はヴィクトルへと問い返した。
「それが、父が命を狙われた理由ですか? 救国の聖女を、かどわかしたから?」
「いや……それはおそらく違うだろう」
「どうしてですか? 母が王室の庇護下にあったなら、それを連れ出した父は、国家的な大罪人になるのでは? それこそ、国を上げて狩り立てられても文句は言えないほどの重罪だと思うのですが」
「……自分の父親を、よくそこまで言えるな」
呆れたようにしながらも、ヴィクトルは答える。
「エトワール・シャリテとパトリス・ド・バランスは、現国王と王妃の学友だった。学舎でともに過ごした二人が言うに、聖女と騎士見習いの力関係は、完全に聖女のほうが強かったらしい。たとえ腕力では騎士見習いが勝っても、彼の一存で彼女に無理強いすることはあり得ない――だそうだ」
「まるで両陛下から、直接お聞きになったかのようにおっしゃるんですね」
「もちろん。直接、聞いたことだからな」
「…………」
間髪入れない肯定に、嫌な予感が、ふと過ぎる。
――この貴族の少年は、いったい何者なんだろう。
押し返せない親切心と非常事態の連続に、ここまで巻き込んでしまったけれど、本当にこれでよかったのか。この年若さで、国王・王妃両陛下と直接、言葉を交わせるような身分とは、いったいどんなものなのか。
思わず口を噤んだ私に、ふと唇の端を上げるヴィクトル。おもむろに旅装のマントを翻した彼は、ブーツの踵を揃えると、「改めて」と優雅に一礼してみせた。
「――お目にかかれて光栄です、星女神の加護を継ぐ御方。我が名はヴィクトル・ヴォワ=ラクテ。このシエル=エトワレ王国の、いずれは王位を継ぐ身である、正当なる第一王子にあたります」
「っ!? 第一、王子……!?」
唖然とする私を見上げる顔は、自信に溢れた健やかな笑み。誇らしさに満ちたその佇まいは、一朝一夕で作り上げられたものではないと後宮時代の記憶が囁く。
リディアも従者も、そんな彼の言動を過ぎた冗談だと咎めたりしない。それどころか、その名乗りを謹んで肯定するかのように、紛れもなく高貴な仕草でもって、自称・第一王子に続いて恭しくこうべを垂れた。
二の句が継げずにいる私に、彼はさらに、手を伸べる。
「こうして合いまみえたのも星女神のお導き。乙女におかれては、我らとともに王宮へ来ていただきたい」
「……王宮へ?」
そう、と頷き言い放つ。
「――パトリス・ド・バランスの、今後のためにも」
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