第38話 答え合わせ


「……――でも、もう本当に平気なんですよぉ」

「きみが平気でも、周りはそうじゃないんだ。じっとしていてくれ」

「せめてそこの中庭まで! 散歩の許可を! このままだと、いろいろなまっちゃいますって!」

「それは好都合だな。きみはちょっと鈍って、落ち着いたほうがいい」


 ドアの向こうで男女二人、なにやら揉めている気配。

 そこで起こっている事態を察し、苦笑しつつも、私は控えめにノックした。


「失礼いたします」


 一拍置いて、ドアが内側から開く。そこから顔を見せたのは、第一王子の護衛騎士、ディオン・サジテールだ。私一人だと確認した彼は、恭しい笑みで「どうぞ」と中へ招いてくれた。


「あっ――ステラ!」


 顔を合わせた途端、ぱっと笑みを広げる部屋の主。上体を起こした彼女のベッド脇には、金髪赤眼の第一王子が見守るように佇み、こちらも私を認めて笑みを見せた。

 仲睦まじいとも言えるだろう。

 その光景に私も自然と頬を緩め、彼女のベッドへと歩み寄る。


「お加減はいかがですか? リディアーヌ様」

「おかげさまで、すっかり平気よ! もう元気元気!」


 両腕をムキムキと振り上げて主張するリディアーヌ。

 あまりに公爵家のご令嬢らしくないそのしぐさに、ヴィクトルは呆れ、扉脇からは忍び笑いが聞こえてくる。こらこら。


 冬至祭の夜。

 パーティー会場でオデイルの凶刃に倒れたリディアーヌは、私が駆けつけた時、すでに瀕死の状態だった。それでもユニの力をもってすれば、そこからの生還は容易いこと。毒を浄化し、傷を塞いで、無事に彼女をこの世へと引き戻した。

 ――とはいえ、父の例もあるように、それで全回復するわけでもない。特に彼女は失った血の量が多いので、大事を取ってしばらく静養することになったのだった。


 ちなみに男性二人がいる通り、ここは女子寮の部屋ではない。学院内でも警備の固い、大聖堂脇の上級客室だ。いろいろと大人の事情が絡んだ結果、ひとまず完全回復が確認されるまで、公爵令嬢はここに留められることになった。おかげで安全は確かだが、なにかと不自由も多いらしい。

 それでも彼女は、私に感謝してくれる。


「本当に、ステラが助けてくれたおかげよ。あなたがいなきゃ、わたくしはあのまま死んでしまっていた。本当に、ありがとうね」

「……そう何度も有難がられては、身の置き所がありません。私は〈星女神の乙女〉として、私のすべきことをしたまでですから」

「いいや。聖女だからといって、人を救うのが当たり前というわけでもない。リディアーヌは、救われたんだ」


 ステラ、とヴィクトルまで神妙な顔をする。


「おれからも、改めて礼を言わせてくれ。きみはおれたちの恩人だ。未来永劫、王家はきみへの敬意と感謝を忘れないと誓おう」


 その真っ直ぐな瞳の色に、私は、遠からず訪れる未来を確信した。

 だから、心置きなく微笑む。


「――〈星女神の乙女〉として。いずれこの国の王妃となる方をお救いできたのなら本望です。星女神様にも、きっと、お喜びいただけたことでしょう」

「ああ」


 しっかりと頷くヴィクトルに対し、なにか言いたげに口を開くリディアーヌ。私はそれを制するように、「さて」と話を切り替えた。


「すっかりお元気とのことですが、ご自身でお気付きでない障りがあるかもしれません。私は医師ではありませんが、私の〈一角獣ユニコーン〉であれば、わかることもあるかと思います。少しだけ、リディアーヌ様のお時間をいただいても構いませんか?」

「えっ? ええ、それはもちろん」

「では、おれは外に出ていよう」


 存外聞き分けよく、「なにかあったら呼んでくれ」とだけ言い置いて部屋を後にするヴィクトル王子。護衛のディオンもその後に続き、部屋の中には、私とリディアーヌだけになった。ずいぶん信用されている。当然か。


 勧められた椅子に腰かけ、目線を合わせる。

 もちろん――〈一角獣〉に診せるというのは言い訳で、本当はただ、二人きりで話をする機会が欲しかっただけだ。


 当面の危機が去った今、私たちは、〈答え合わせ〉をすべきだった。


 リディアーヌも同じ思いだろう。ユニを呼ばない私を不審とも言わず、ただ迷うように少し瞳を揺らしてから、「ステラ」と口を開いた。


「……オデイルのこと、ありがとう」

「いえ、私はなにも。もっと早く駆けつけられればよかったのですが、すでにディオン様が彼女を捕まえた後で」

「ううん、そうじゃなくて。あなたがフォローしてくれたから、オデイルはあまり重い罪にならずに済んだんだって、ヴィクトルさまから聞いたの。本当にありがとう」

「それこそ、私はなにも。彼女も被害者のようなものですから、弁護するのも当然です。首謀者については、オルビット先生の証言もありましたし」


 彼女はそこで、困惑したように眉をひそめた。


「まさかあの先生が、こんなことをするなんて……」

「まったく、そんな兆候は?」

「なかったわ。あたしの知っている限りでは」


 ――レナルド・レオナルドの動機は、徹頭徹尾、私怨に基づいた自己中心的なものだった。

 私にぶちまけた内容に加え、オデイルの叔父であるスコルピオン男爵に金を積み、彼女を学院内の暗殺者として仕立て上げたことも、なぜか自慢げに語ったらしい。


「本人はずっと、ご実家の名を出せば不問に処されると思っていたようですが――当然ながら、レオナルド家の現当主は、彼を切り捨てるおつもりのようですね」


 王家の後ろ盾として築かれた権勢は、王家なくしては振るい得ない。特に王族との婚約でリオン家とバランス家が立場を強固にする今、レオナルド家は、決して一強貴族というわけではないのだ。あの男は、それが理解できていなかった。


 一族の命運と一人の謀反人。

 それを比べて、前者に天秤が傾くのは当然のことだ。


 実家からの弁護を失ったまま、レナルド・レオナルドは、国王を相手取った裁きの場に引き出される。万に一つの勝ち目もないだろう。

 余罪もすべて調べられる。芋づる式で、他の反乱分子や危険因子も明るみに出る可能性もある。それらすべてを拘束できれば、おそらく現国王の治世では、かなりの安定を築けるはずだ。


 下手人と黒幕が捕まり、聖女の力も示されて、王家とその周辺にも被害は出ず――


「これで、終わったのですよね」

「――うん。終わったと、思う」


 かくして私たちは、『ステラツィオンの夕べ』における『第一王子暗殺事件』を、無事、切り抜けることができたのだ。


 長々と、二人で深い息をついた。

 現実は〈物語〉とは違う。めでたしめでたしと言って終わるものではないけれど、それでも、一つのハッピーエンドに辿り着けたことは素直に嬉しいと思う。


「ステラは、これからどうするの?」

「どうと言われても」


 私は苦笑しつつ、先を考える。


「せっかく編入したのですから、きちんと学んで卒業して、王宮に立場をもらうのが妥当でしょうね。お話を伺う限り、両陛下も歓迎してくださいそうですし。そこでまた研鑽を積み、次期国王夫妻をお支えするのも、〈星女神の乙女〉の役割でしょう」


 ただの平民上がりなら怖気づくところだけど、あいにく私は、宮廷というものには慣れている。同業他社へ転職するようなものだ。

 臆することなく、にこりと笑う。


「だから安心して、御婚約者様との仲を深めてくださいね。リディアーヌ様」

「へえっ?」


 素っ頓狂に驚く転生令嬢。

 それに言い含めるように、私は辛抱強く言葉を重ねる。


「次代にこの役目を引き継ぐまで、どれだけあるかわかりません。ですが継いだ後も、きっと私は、あなたを支えます。ですから心配せずに、ヴィクトル様と結ばれて、この国の王妃になってください」

「だ……ダメよ! だってあたしは、悪役令嬢よ! あたしの破滅に、ヴィクトルさまを巻き込むわけには――」

「いつまでそんなことを言っているつもりなの」


 ぴしりと突きつけた言葉に、はっと相手が目を見開く。

 身分差をわきまえた〈ステラ〉を捨てて、私は〈私〉として彼女と向き合う。


「悪役令嬢、悪役令嬢って、あなたが今まで、どれだけ悪役らしいことをしてきたっていうの? 私のことをいじめた? 誰かを虐げた? そんなこと一度もしてこなかったじゃない。それどころか、まったく正反対のいい子だったわよ。……まあ、いいご令嬢というには、ちょっと抜けてるけど」

「ステラ……最後のは余計じゃない?」

「本当のことでしょ。全部」


 私が出会った〈リディアーヌ・リオン〉は、真っ直ぐな正義感と明るい強さをもつ、素直で素敵な少女だった。どれほど令嬢らしくなくても、それを補って余りある思いやりと優しさで、周囲を惹きつけてやまない少女だ。


「あなたは悪役令嬢なんかじゃない。だから破滅なんてしない。だったら好きな相手と生きるのに、躊躇いなんていらないじゃない」

「――――」


 正面から張り飛ばされたように、呆然とするリディアーヌ。その姿を見るうちに、ああそうだ、と自分自身でも納得した。

 ――躊躇なんて、いらなかったのだ。


「あなたを見ていると、時々、昔の自分を思い出すの。自分は悪役だから、彼にはもっといい相手がいるのだから、って身を引いて。ヒロイン役が現れた時には、あなたと同じように、二人が上手くいくように計らいもしたわ。――だけどあなたは、そんなことする必要ない」

「……そんなの、どうして言い切れるの」

「理由は簡単。だってあの王子、完璧にあなたに惚れてるもの」

「ほあっ?」


 鳩が豆鉄砲を食ったようとはこのことか。

 そんな顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。「そんな」「まさか」と不明瞭に繰り返すのは、一縷でも希望があるからだろう。――それを信じたいからだろう。

 だから私は、その背を押す。


「素直になりなさい、リディアーヌ。きちんと自分の気持ちと向き合って、彼の気持ちを受け入れて。愛する人との大切な時間を、悔いのないように生きるのよ」


 ――叶わなかった、私の分も。


 言葉にはしなかったけれど、なにかを感じてくれたのだろう。黒髪の転生令嬢は、頼りなげに目を泳がせながら、それでもちゃんと頷いた。


(大丈夫。この子なら、きっといい選択をしていける)


 私と同じ轍は、踏まなくて済む。





 そして――

 その夜、私は夢を見た。





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