第40話 ブルータスより愛をこめて
『拝啓 私のブルータス
突然ですが、お知らせしたいことができたので、筆を執ります。
いろいろと経緯がありまして、このたび、前世に戻ることとなりました。
……なんて、そんな書き方じゃ意味不明ですよね。簡単に言えば、私は前世で犯した罪を知るために、この世界の〈ステラ・シャリテ〉になったのだそうです。そしてその罪を知ったので、戻って償うことになったわけです。
私の罪は、〈物語〉の筋にこだわって、現実から目を逸らしたことにあるのだと思います。〈物語〉で悪女と呼ばれた〈星光眞〉という女性に生まれ変わって、自分には悪女の素養なんてないとわかりながら、悪女としての破滅を逃れようとした。自分の思い込みだけで周囲を見て、真実を見逃して大事な人を危険にさらした。――いいえ、危険にさらし続けている。
私は、私の過ちを正して、私の愛する人を守らなくてはいけない。
だから、桂帝国の星光眞に戻ります。
〈ステラ・シャリテ〉については心配しないでください。戻るのは桂帝国に生きたことを覚えている私だけで、この世界の私は、そのまま残るのだそうです。ただ、それがどのような残り方をするのかまでは予想がつきません。それもあって、この手紙を書きました。
この手紙をあなたが読む頃、私はもう、あなたのブルータスではないかもしれません。そうだとしたら、一方的なお別れになってしまってごめんなさい。どうか許して、残った私と、これからも仲良くしてもらえれば嬉しいです。
この世界で、あなたに出会うことができてよかった。あなたに関わることができてよかった。あなたと友達になれてよかった。
本当にありがとう。心から感謝します。
私と同じ過ちを犯さないように、この世界の現実を生きてください。あなたが、あなたの愛する人とともに幸せになれるよう、祈っています。
――この手紙があなたに届くことを信じて。
敬具 あなたのブルータスより
愛をこめて
追伸:そういえば〈ブルータス〉って、裏切りものの名前じゃなかったっけ? それとは正反対の意味で使ってきたけれど、もう馴染んでしまったので許してください』
――そう結ばれた日本語の手紙を、あたしはしばし見つめていた。
あまりに呆然としていたせいか、この手紙を届けてくれた人が、心配そうに覗き込んでくる。
「リディアーヌ様? どうされました? なにが書かれてあったのですか?」
「……ステラ……」
ふわりとした金色の髪に、春の空を映したような青い瞳。薔薇色の頬も愛らしい顔立ちも、細やかな優しさも変わらない。なにひとつ、変わっていないと思うのに。
混乱したあたしは、ともかく情報を整理しようと考え直す。
「あの、もう一度聞かせて。この手紙、どうしてあたしに届けてくれたの?」
怪訝そうにしながらも、ステラはあたしに答えてくれる。
「今朝、寮の自室の机に置いてあったのです。封がされたこの封筒とともに、リディアーヌ様に届けるようにとメモ書きも」
「そのメモ書きって、今は?」
ここに、と取り出された紙片を見る。『大事な手紙。リディアーヌ様にきちんと届けること』とこの国の言葉を綴った、その文字にあたしは目を瞬く。
「これ……あなたの字よね?」
「ええ、そう、そっくりなんです」
そっくりなんてレベルじゃない。前にノートを借りたこともあるけれど、文字の曲線も綴りの繋げ方もまったく同じだ。
「あなたが書いたんじゃないの?」
「いえ、私は書いた覚えがないんです。ですが、もしかして寝ぼけて忘れてしまったのかもと思って、ともかくお渡しすることにしまして。……ご不快なものでしたか?」
「ううん……」
あたしは躊躇う。これは本当に知らないのだろうか? それともあたしをからかっているだけ?
行き詰まったあたしは、思い切って「ねえステラ」と尋ねてみた。
「〈ブルータス〉のこと、どう思う?」
いつもの彼女なら、周囲の目を気にしていても、なんとなく伝わる返答をしてくれる。この手紙を知っているなら、覚えているなら、追伸にあったようなことを言ってくれる。
そう、思っていたのに。
「ブルータス? どなたですか?」
きょとんと不思議そうに聞き返されて、あたしは思い知らされた。
――“彼女”はもう、本当に戻っていってしまったのだと。
(本当に……突然過ぎるわよ)
手紙の内容を信じるなら、彼女にとっても突然のことだったのだろう。それでも、あたしだってちゃんとお別れがしたかった。ごめんなさいもありがとうも、あたしのほうが、もっともっと伝えたかったのに。
「……リディアーヌ様?」
そっと気遣ってくれる“ステラ”に、あたしは、代わりに精一杯の笑顔を向ける。
「ごめんね、ちょっと、いろんなことにびっくりしただけ。これ、届けてくれてありがとうね。――本当に、ありがとう」
この心からの気持ちだけでも、どこか遠くにいるあなたに届きますように。それを願って、目の前の彼女に感謝を伝える。
(……大丈夫)
だってあたしは、一人じゃない。
想ってくれる人がいて、支えてくれる人がいて、そばにいてくれる人がいる。
(あなたのおかげで、それに気付けた)
だから大丈夫。
あたしはあたしの、この人生を生きていこう。
――拝啓 あたしのブルータス
お元気ですか。そちらは中国っぽい土地らしいけど、どんな気候なんでしょう。風邪とかひいていませんか。
あたしは変わらず元気です。
実は先日、魔法学院を卒業しました。そしてそれを機会に、ついに、ヴィクトルさまとの結婚の話を進めることになりました。といっても、実際に結婚するのはまだ二年後、あたしたちが二十歳になってからです。不安も心配もたくさんあるけれど、ヴィクトルさまとなら、きっと乗り越えていけると思います。頼もしい友達がたくさんいるしね。
あれからもいろいろあったけど、みんな元気にやっています。
オデイルはあの後、母子そろってカンセール家に保護されました。監督されながら下働きをして、あの時の罪を償っています。大変なこともあるだろうけど、前よりも笑顔を見せるようになったって、ジェラルドさまが言っていました。
そのジェラルドさまは卒業後、王宮で働いていて、未来の宰相として期待されているみたい。縁談もいくつか来ているらしいけど、今は仕事に集中したいからと、どれも断っているんだって。
ミュリエルとセルジュさまも、ついに正式に婚約しました。セルジュさまが熱烈で、あたしたちよりも先に式を挙げることになりそうです。ミュリエルもまんざらでもなさそうだから、幸せになってくれたらいいな。
ブランシュは卒業後、故郷の領地に帰りました。本人はすぐに王都に戻ると言っていたけど、それより先に、あたしのほうから遊びに行くつもり。ピクニックの約束もしてあるしね。
それから、あなたの幼なじみのラウルだけど、彼は学院を中退しました。そしてなんと、王宮の騎士団に入団して、騎士として活躍しています。今は正式に、護衛騎士として〈星女神の乙女〉のそばにいます。
〈星女神の乙女〉――ステラ・シャリテは、あなたが言っていた通り王宮に立場をもらいました。伏魔殿のような宮廷を、笑顔でしたたかに生き抜いています。
こちらに残った〈ステラ・シャリテ〉は、あなたが言った通り、あたしのブルータスではなくなっていました。
森での生活もこちらに来てからのことも覚えているけれど、それより前のことは、なにも覚えていないみたい。日本語も読めないし、図書館での作戦会議のこともおぼろげで。だけど性格や言動も同じで、あたし以外には誰も気付いていないみたいだから、それは安心してください。
パトリスさんも元気です。ステラと一緒に王宮にいて、時々、森にも戻っているみたい。たまに悪い噂も聞くけれど、どれも本当じゃないってわかるから大丈夫。両陛下も味方だから、心配することはなにもありません。
安心してください、って、あたしもあなたに伝えたかったよ。
届けられない手紙を書くのが、こんなに寂しいものだと思わなかった。あなたに伝えたいことがこんなにあるのに、一つも伝えられないなんて。あなたがどうしているか知りたいのに、なにも知ることができないなんて。
あなたに会いに行けたらいいのに。
……あー、ダメダメ。これがマリッジブルーってやつなのかな。こんなのが二年も続いたら、頭からキノコでも生えちゃいそう。
あたしは大丈夫。
だからあなたも、大丈夫でいて。
あなたが幸せでありますように。
敬具 あなたのブルータスより
――愛をこめて
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