第二十七話 婚姻の儀


 ソニアは結婚式の前日、ソニア・ガドゥリーとして最後にモルターニュ家を訪れた。もう後戻りは出来ないという覚悟はとうの昔にできている。


「ベンもルイも明日からも宜しくね」


「ソニア、後悔はしていませんよね」


「もちろんしていないし、これからもしないわ」


「祭壇で大司祭を目の前にして怖じ気づいて逃げるなんてことはないよね」


「ありません。祭壇の前で神に誓うことに何か意味があると思いますか? 大聖堂で豪華な式を挙げた貴族の夫婦のうち何割が仮面夫婦になっているのかしらね。結構な割合よね。神の前で誓ったのにもかかわらず、不倫や浮気、やりたい放題じゃない。貴族社会なんて糞くらえだわ。そんなのに比べて、私とベンの関係は何がいけないの? ただねやを共にしないだけで、私達はお互い尊敬していて、固い絆で結ばれているでしょう? 同じ目的に向かって進む同志ですものね」


「ソニア、いいことをおっしゃいますね」


「ベン、私のことを生涯の伴侶として選んでくれてありがとう。ルイ、沢山の仮面の中から私を見つけ出してくれてありがとう。二人共それぞれ愛しているわ」


「泣けてくるじゃないか、ソニア。俺も君のことは女性の中では母と姉と同格で愛している」


「明日は泣かないでね、ベン」


「努力するつもりだよ。ルイも今までずっと俺を支えてくれてありがとう。本当に感謝しているし、愛しているの一言では足りないくらいだ」


「私は生涯、女性はソニアだけ、男性はベンだけを愛すると誓います」


「ルイ、何なのよそれ。神様の前では絶対に出来ない誓いよね」


 ソニアはルイのその言葉に吹き出しそうになりながらも感動していた。


「ですから今お二人の前で誓っているのですよ」


 そう言ってルイはソニアとベンの手をそれぞれ取った。


「ベン、明日は大聖堂で会いましょう。ルイは晩餐会で顔を合わせられなかったら、終わってからね」


「ええ、昼間は貴方達は初々しい新郎新婦として振舞って下さい」




 翌朝、春の暖かい日差しの中、花嫁衣裳に身を包んだソニアは家族と共に大聖堂へ向かった。


 ソニアの純白の婚礼衣装は結局首回りから長い袖がレース素材で透けていて、スカート部分は左右の広がりを抑えているがトレーンは長めのものだった。トレーン部分は左手に掛けられるようになっており、ダンスも無理なく踊れる。ソニアはルイの希望をなるべく取り入れて、それは双方の母親たちにも納得のいく出来上がりになった。




 ベンジャミンは婚約成立後にソニアと二人でポワリエ侯爵に挨拶に行き、結婚を歓迎された。彼に会う前は自分の過去のせいで結婚を認めてもらえないのでは、との懸念があったソニアだが、意外にも喜んでもらえたのには拍子抜けした。


 三十近くになっても浮いた噂もなく、縁談も断り続けていたベンジャミンがやっと婚約と結婚に踏み切ったことに対してポワリエ侯爵は喜んでくれた。彼も結構な歳で、実はもうこれ以上待てなかったのだそうだ。


「どんな狸オヤジかと思っていたけれど……ルイの面影があるわね。やはり血の繋がりは隠せないわ」


「ルイが伯父の面影があるって言わないか、普通」


 ベンジャミンはそれからすぐに侯爵位を正式に譲り受け、既にベンジャミン・モルターニュ=ポワリエを名乗るようになっていた。彼に嫁ぐソニアは今日からポワリエ姓を名乗る。




 父親と腕を組み、大聖堂に入場する直前にソニアは自分の後ろを振り返り、春の青空を見上げた。


 そして彼女はもう過去は振り返らないと決意した。数年前はこうして堂々とこの大聖堂に花嫁として入場することなんて考えられなかったのである。この日からソニア・ポワリエ侯爵夫人として前を向いて生きていくと自分に誓った。


 黒い礼服姿のベンジャミンが祭壇の前でソニアを待っていた。そこまで進むとソニアは彼の手を取り、父親は最前列の母親の隣に座る。


「こんにちは、私の旦那さま」


 ソニアはベンジャミンを見上げて微笑んだ。


「やあ、ソニア・ポワリエ侯爵夫人。少し緊張している?」


「いいえ、最高の気分よ」


「君はやっぱり度胸が座っているね。そのドレス、良く似合っているよ。ルイの好みに仕上がって良かった」


「ありがとう。貴方のその礼服も素敵よ。私、貴方に嫁げるのが嬉しくてたまらないうぶな花嫁に見えるかしら」


「多分ね」


「多分? 貴方は心底から花嫁にれているように見えるわよ」


「俺達二人共役者だね」


 そこで大司祭の咳払いが聞こえ、二人は慌てて口を噤んだ。




 厳かな雰囲気の元、式が始まった。祭壇前でそれぞれ誓いの言葉を言い、新郎新婦二人は向かい合い、大司祭の声だけが静まり返った大聖堂内に響き渡っている。


「ここにベンジャミン・モルターニュ=ポワリエ、ソニア・ガドゥリーの二人を夫婦として認めます。新郎は花嫁に誓いのキスを」


 その言葉にベンジャミンは一歩ソニアに近寄り、彼女のヴェールを上げた。そして一瞬であるが二人の唇が触れ合った。それはソニアとベンジャミンが唇に交わした正に最初で最後の口付けとなったのである。




 ルイは婚礼当日までは準備に忙しく駆り出されていたが、式後の晩餐会がモルターニュ家の屋敷で始まる頃には新居に向かい、主人の到着に備えていた。彼はまだその日、新郎新婦の姿を見ていなかった。


 その夜遅くに新郎新婦が新居に入ると、使用人全員が玄関前に出ており、丁重に迎えられた。全員と言ってもベンジャミンの意向で最低限しか雇っておらず、静かなたたずまいだった。今後、必要に応じて雇っていけばいいというのが彼の考えだった。


「旦那様、奥様、お帰りなさいませ」


 ルイ以下、使用人全達が頭を下げている。


「どう、ソニア、俺達の新しい住処に帰ってきた気分は?」


「大満足よ」


「今夜はもう遅いからすぐに休もうか」


 玄関から屋敷に入りながらソニアがちらりとルイの方を見ると、丁度彼も頭を上げたところで二人の視線が絡み合った。ソニアはもう疲れてくたくただったが、ルイの姿を見ると現金なもので、欲望が体の奥底から湧いてくるのを感じていた。


 早く寝室へとはやる気持ちを抑えながらベンジャミンの腕に手を添えてゆっくりと階段へ向かう。執事のルイは使用人全員に明朝はゆっくりでいいという指示を出している。


 ベンジャミンはソニアと二階に上がり、ひそひそ声で新妻に告げた。


「ソニア、婚礼衣装は脱ぐなというのが君の恋人からの言伝ことづてだ」


「……分かっているわよ。でも早く脱ぎたくてしょうがないのに……お風呂にも入れないわね」


「どうしても自分で脱がしたいらしいからさ、すぐに来てくれるって」


「……お休みなさい、ベン」


「俺は君達が盛り上がっている間ゆっくり風呂にかりながら自分の番を待つとするかな、お休み」


 そして二人はそれぞれの寝室に入っていった。




***ひとこと***

無事に結婚式も終わりました。これから三人で歩んでいくことになりますね。まずは嬉し恥ずかし初夜です!?

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