第十八話 休暇の理由


 ソニアはその夜夕食を一緒にとろうというベンジャミンの誘いに乗った。


「御母上も退院されたばかりだろうから、後日改めてからでもいいよ」


「大丈夫ですわ。母はもうすっかり元気になりました。父も帰ってきましたしね。私が貴方との交際をお受けしたって聞いたらもっと元気になるかもしれません」


「ははは、じゃあすぐにでもルイと三人で祝杯を挙げないとね」


「私も……彼に会いたくてたまらないのです」


「うん、良く分かるよ」


「早速彼に使いをやって知らせるよ」


「はい」


「君が俺達の申し出を受けてくれたから、もう俺と君が会うのにコソコソする必要はないけれど、君が交際を公にするのはもう少し先にしたいならそれでもいい」


「構いませんわ。堂々としていましょう」


 自分の執務室に戻りながら、ソニアはここ数日間の肩の荷が一気に下りて気が楽になっていることに気付いた。




 そして仕事の後にソニアとベンジャミンは二人で出掛けた。


「我が家に招待しても良いのだけれど、今夜はあの三人で行った宿を取ったよ」


「貴方にお任せしますわ」


 ソニアとベンジャミンが部屋に入ると、ルイは既にそこに居た。ソニアと彼はお互いどちらからともなく歩み寄り、ベンジャミンも見ているというのにきつく抱き合った。


「ソニア、愛しいひと。少しお痩せになりましたね」


「しばらく貴方に会えなかったせいね、きっと」


 二人は無言でお互いの温もりを感じ合っていたが、流石にベンジャミンの前で口付けまでは出来ず名残惜しそうに体を離した。


「失礼しました、ベン」


「モルターニュさん、申し訳ありません」


「いいよ。今日は俺も機嫌が良い。やっと俺達の花嫁がうんと言ってくれたのだからね」


「正直に申します。この提案を受けるにあたって、とても浅ましい考えが頭の中に湧いてきたのです。モルターニュさんと付き合って、婚約結婚って決まったら私の家族も鼻が高いだろうなって。それに私を裏切った元婚約者や、私のことを憐れみながら陰で笑っていた人たちを私も見返せるし……ごめんなさい」


「それは極々普通の感情だよ」


「それに加えて、貴方の妻とルイの二番目の愛人の座は誰にも渡したくない気持ちも大きかったのです。私って欲張りで性格悪いですよね」


「そうでしょうか? 私は貴女のそんな率直なところがとても好ましいと思います。それに貴女は二番目ではありませんよ」


「ルイにとって俺と君は比べられないってさ」


 それでもソニアはベンジャミンとルイの絆の強さにはどうしても割り込めないと考えている。


「ソニア、そろそろモルターニュさんはやめてベンと呼んであげて下さい」


「ええ、そうね。ベン」


「今晩はお祝いですからシャンパンを頼んでおきました」


 ルイは早速酒の瓶を開けて三人分のグラスに注いでいる。


「俺達の花嫁に」


「私の美しい恋人二人に」


「私たちの秘密の関係に」


 三人で乾杯をし、シャンパンを口につけた。


「あの、ベンは私というお飾りの妻を迎えてポワリエ家に入って、本当にそれでよろしいのですか?」


「うん、俺も十代の頃はどうしてこんな体に生まれてきたんだって大いに悩んだ。女性と結婚できないし、世間からは一人前として認めてもらえないとも。子供だって持てない」


 周りの人間は何も知らないとはいえ、その彼にポワリエ家を継げというのは酷な話である。


「モルターニュのご夫妻はポワリエ侯爵に何度も私を跡継ぎに据えるのが妥当だろうと掛け合って下さいました」


「だいたいルイの方が上に立つ人間としては性格的に向いているしね。けれどあのオッサンは聞き入れてくれなかった。というより侯爵夫人の方がうんと言わなかったみたいだけれど」


 ベンジャミンは何と自分の伯父で侯爵をオッサン呼ばわりしている。


「ですから私とベンで協力してポワリエ家を継ぐことを考え付いたのです」


「本当は自由気ままに生きたかったよ。けれど何不自由ない生活の恩恵を受けるだけではなくて、自分の義務もきちんと果たさないといけないからね」


「私たち、今度のことをしっかり話し合わないといけませんわね。私、少し不安なのですけれど、ベンのご両親やポワリエ侯爵は私のことを貴方の結婚相手として認めて下さるでしょうか?」


「うちの両親は大丈夫。ああ、それから君に見せるのをすっかり忘れていたものがある。ルイ、あの書類持って来たよね」


「はい、こちらです」


 ルイは鞄の中らから書類ばさみを出し、その中から一枚の紙切れを取り出した。


「それを見てごらん」


 それは一枚の誓約書だった。


「まあ……」


 ソニアが驚くのも無理はない。その紙面で最初に目についたのは彼女の元婚約者の名前だったのである。


 その誓約書によると、婚約破棄は彼自身の不徳のせいであり、伯爵令嬢ソニア・ガドゥリーには何の過失もなかったこと、彼女の不名誉な噂が流れたのは遺憾であり、全くの事実無根だと書かれていた。そしてこれ以降もサンレオナール王国内でもブレトン王国内でもどこにおいてもこれ以上噂を流すことは決してないと明言されている。


「まあ、署名まで……ブレトン王国で日付は……一週間前じゃない! ベン、貴方休暇でブレトンまで行っていたの?」


「ああ、ソニア。君の周辺を勝手に調べさせてもらったよ。これで君は一方的に婚約破棄されただけということが証明されたよ。確かにこの紙切れだけでは数年前に流された噂を消すことは出来ないけれどね。縁談には差し障りなくなるだろう?」


「それでも……よくあのロクデナシの見栄っ張りが署名したわね」


「それは俺の人徳と巧みな話術でさ」


 ソニアはベンジャミンを不審な目つきで睨んだ。


「あ、貴方……もしかして脅したの? それとも呪いを掛けて魔法で口を割らせて無理矢理ペンを握らせたわね?」


 魔術師としてのベンジャミンの専門は古代魔文字の研究であるが、彼は呪術にも長けている。記憶操作などもお手の物だろう。


「あっ図星だった? だからそれも策略だよ」


「魔法を私利私欲のために使うなんて……」


「悪いのは向こうだぜ、ソニア。やましいことがあるから私文書偽造の訴えなんて起こさないだろうし、そもそもここに署名したことでさえ忘れている。彼が君にした仕打ちを考えてみろよ。今の奴はブレトンの奥さんに完全に尻に敷かれていてあまり幸せそうには見えなかった。まあ自業自得よ」


「あの人が今どうしていようが、もう私には関係ないし、興味もないわ」


 ソニアはそう吐き捨てた。


「ソニア、この誓約書は貴女が誰に嫁ぐ場合でも使えるように、というベンの心遣いですよ」


「どういう意味?」


「もし貴女が私達の申し出を断って、誰か別の男性と結婚したいならこの書類はベンから貴女への結婚祝いだと」


「それに君が俺とではなく、ルイと正式に結婚したいのだったら方法はある。ルイはうちの両親と養子縁組をして、貴族ルイ・モルターニュとして君を堂々とめとることが出来る」


「ベン、貴方って人は……貴方を差し置いてそんなこと出来ないし……考えたこともなかったわ……」


「ルイは俺の恋人であると同時に、幼馴染で大事な従弟で有能な執事だ。悩み多い十代の頃の俺は自分が出来損ないに思えて、周囲の期待に押し潰されそうで、自殺願望しかなかった。そんな俺を救って、支えてくれた恩人でもあるんだ。ルイが幸せになれるなら、それは俺の幸せでもある。喜んで祝福するよ」


「ベン、私がルイに貴方を捨てさせるわけないじゃないの……私が貴方との結婚を断るかもしれなかったのに、休暇を使ってわざわざブレトンまで行くなんて……」


「君を説得する材料になるかとも思ったしね。でもこれを見せる前に君は俺の求婚を受け入れてくれた。こんなに嬉しいことはないよ」


 ソニアは目に涙が溜まってくるのを感じていた。


「ありがとう、ベン。私、貴方に相応しい奥さんになるように努めます」




***ひとこと***

ベンジャミンさん、以前はただのセクハラ体質な曲者でしたが、最近株をどんどん上げています。実は好青年だったりするのです。

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