三人の密計

第十七話 彼女の英断


 その次の昼休み、ソニアは王宮本宮の食堂で一人昼食をとっていた。そこへカトリーヌがやって来る。


「ソニア、珍しいわね。最近はお昼休みもずっと医療塔に通っていたじゃない? もしかしておばさまは帰宅されたの? 容態はどう?」


 彼女はソニアの向かいに座った。


「ええ、すっかり元気になったわ。父も領地から帰ってきてね、母も昨日の午後自宅に戻ったのよ」


「まあ、良かったわ。おめでとう。昨日の朝、出勤前におばさまに会いに行ったのよ。なんだかすっかり晴れ晴れとした笑顔で迎え入れて下さったわ」


「そう、カトリーヌの目にもそう見えたのね……」


「詳しいことはおっしゃらなかったのよ。でも私は貴女の親友だからってね、貴女に良い縁談が持ち上がったことを目をきらきらさせながら教えて下さったわ」


「もう、お母さまったら……貴女にまで。あまり興奮しすぎるのも健康に良くないのに……」


 ソニアは大きなため息をついた。


「おばさまはあんなに喜ばれていたけれど、すぐには信じられなくて。だって貴女からはまだ何も聞いていなかったのですもの」


「そうなのよ。母だけその気になっているだけなのよ。母が縁談と信じている話で元気になったのは否めないけれども」


「こんにちは、ソニアにカトリーヌじゃないの。ここ、よろしいかしら?」


「ええ、どうぞ」


 二人の一般文官だった。ソニアは二人とも学院の同級生だったことは覚えていても、科も違ったし名前までは思い出せなかった。


「お二人とも久しぶりですこと。高級文官や魔術師の仕事はさぞ忙しいのでしょうね」


 最初に口を開いた女性の口調には棘があった。それにはソニアもカトリーヌもどう答えていいか分からない。そして二人は席に着くなり声高に話し始めた。


「ねえ、聞いた? ミリアムのこと」


「ええ。昨年卒業前にどこかの子爵と婚約したと思ったら、ばたばたと寒くなる前に式を挙げたでしょ」


「それってやっぱりなの、セリーヌ?」


「そのやっぱりよ。うちの母がミリアムの嫁ぎ先の子爵家と懇意にしているから」


 隣に座らせてくれとやって来たのは彼女たちである。しかしソニアとカトリーヌのことは全く無視して好き勝手なことを言っている。セリーヌという名前を聞いてソニアは思い出した。もう一人は確かナタリーだった、と記憶を辿っていた。


「雪が降る前に急いで挙げた内輪だけの式だったって本当なの?」


「ええ。見栄っ張りのあの子のことだから式は超派手なものになると思っていたのだけど。だって花嫁衣裳の生地をわざわざ外国から取り寄せて、一生に一度の式なのだからドレスのデザインには妥協はしない、だなんて言っていたのにねぇ……」


「お腹の出具合はもうそろそろ臨月を迎えているのではないかって」


「計算が合わないわよね。卒業前、私たちに婚約指輪を見せびらかしていた時には既に仕込まれていたってことね」


「ヤダァ、ちょっと気を付ければいいものを……そんなヘマやらかす男なんて願い下げよ」


「本当に今の旦那の子だと思う? 婚約直前まで付き合っていたあの彼じゃないの? 婚約してからも続いていたとか?」


 ソニアは呆れ果て、カトリーヌに目配せをした。さっさと食事を終わらせてこの場から去ろうという合図である。


「元カレの方が見た目は良くない? けれど今の旦那の方が結婚相手としては良いわよ。子爵で一応爵位はあるから」


「ふん、あの子にはその程度が分相応よね」


「ところでナタリー、そういう貴女はどうなのよ? 以前マキシムさまに食事に誘われたって言っていたけれど本当なの?」


「ええ、とっても素敵だったわ」


 彼女の言うマキシムさまとは、カトリーヌの想い人であるティエリーの弟である。カトリーヌのフォークを持つ手が一瞬止まった。


「食事が? それとも彼自身が?」


「もちろん両方よ」


「でもナタリー、ちょっと信じられないわね。私の彼も騎士だから、マキシムさまは遠征ばかりであまり王都には居ないし、最近はめっきり女の影がなくなったって言っているもの」


「今は駄目でもそのうち絶対ものにしてみせるから」


「やっぱり食事に出かけたなんて出まかせなのじゃない! 競争率高いでしょうけれどまあせいぜい頑張りなさいな」


「ねえ、貴女たちは何か最近ないの? カトリーヌ、貴女の執務室は独身高級文官選り取り見取りでしょう。司法院なんて宰相室の次に優良物件が多いわよね」


「えっ? でも私は皆さんに職場の同僚として良くしてもらっているだけだから」


「もうー、勿体ないったら。折角の司法院なのにねぇ」


「ソニアはどうなの?」


「私も特には……」


「何貴女まで既に枯れちゃっているのよ! 魔術院はほとんど既婚者らしいけれど、職場不倫に走っちゃう? 独身は居ないの?」


「モルターニュさまとナタニエルさまは独身よね。特にモルターニュさまなんて超優良物件じゃないの!」


 ナタニエルとはソンルグレ侯爵家の長男で王妃の甥にあたる。彼は侯爵位を継がないだろうと言われていた。彼女たちにとってはモルターニュの方が結婚したい男性としては得点が高いようである。


「流石よねナタリーは。王宮内の独身貴族男性は全て把握しているものねぇ」


 彼女たちがまだお喋りを続けるのは聞かずに、ソニアはぼうっと考えていた。この二人のような女だったら、ベンジャミンと仮の結婚をしてルイの子供を産むなんてことは何の抵抗もなく喜んで出来るだろう。


 その軽い口を一生つぐんでいられないだろうからベンジャミンのお眼鏡には適わないだろうだろうが……とにかく、彼の次期侯爵という肩書に目が眩む女性はいくらでも居そうである。


 思わず眉をしかめたソニアだった。というのも、ルイが他の女性に触れるところを想像してしまったのである。


「ソニア、大丈夫?」


 固い表情で黙り込んでしまったソニアを心配したカトリーヌの声で彼女は我に返った。


「あ……ええ……」


 そこでソニアは急に立ち上がった。隣の二人は近衛騎士の誰が目ぼしいか今は話しているようである。


「な、何よ、いきなり」


 晴れやかな笑顔でソニアは答えた。


「私、貴女たちの言うところの優良物件から交際を申し込まれているの。たった今彼になんてお返事したらいいか、決心がついたわ。ありがとう」


「応援しているわ、ソニア」


 カトリーヌは満面の笑顔でソニアを見上げ、ナタリーとセリーヌは狐につままれたような顔をしていた。


 早歩きで食堂を出ながらソニアは考えていた。ルイが自分とベンジャミン以外に微笑みを向けるのは嫌、彼が自分とベンジャミン以外と寝るのはもっと嫌なのだ。そんな事態を思い描いただけで嫉妬で気が狂いそうだった。


「だったら答えは決まっているわ……そうよ、ルイは私とモルターニュさんのものよ!」


 一人でぶつぶつと言いながらはやる気持ちを抑えてソニアは魔術塔に戻り、ベンジャミンを探した。彼も丁度昼食を終え、執務室に戻っていた。他の魔術師たちが居るのも構わず、机に向かってもう午後の仕事を始めているベンジャミンにソニアは告げる。


「モルターニュさん、私あのとんでもない提案をお受けするわ。不束者ですが、よろしくお願いいたします」


「へ?」


 ソニアから何の前触れもなく承諾の返事を貰うとは思ってもいなかったのであろう、ベンジャミンは目を見開き、手から筆を落としていた。


「貴方のそんなお顔、初めて見ましたわ」


「いや、驚いてしまってね。ははは……嬉しいよ、ソニア」




***ひとこと***

「色豪騎士」や「溺愛」をお読みになった方はお覚えかもしれませんね。あの雑魚キャラ、ナタリーとセリーヌの二人ですが、この話では知らぬうちにソニアの背中を押し、彼女が前進するきっかけとなったようです。

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