第四話 灯台下暗し


 その日の昼前には魔術院の職員全員が集まる会議が予定されていた。新人のソニアはいつも遅刻しないように早めに大会議室に向かう。例え後ろの隅に座って聞いているだけでも遅れるわけにはいかないと真面目な彼女は考えている。


 一番に大会議室に入り、他の魔術師たちが来るのを待っていた。王宮魔術院に所属する魔術師は全員でも三十人弱である。貴族学院で常勤、非常勤講師を勤めている者も含めてその数なのである。


 先輩の魔術師たちが次々と会議室に入ってきた。そこでソニアは背筋が一瞬熱くなる心地がした。温かい湯をかけられたような感覚だった。丁度テネーブル総裁が入ってきた時である。


(私はまだ新人だけど、総裁と奥さまのビアンカさまの魔力だけは近付くと感じられるのよね。ビアンカさまの方はひんやりとした感覚になるし……)


 そこでソニアは悟り、ハッとした。一昨日の仮面舞踏会でも背筋に一瞬何か感じたあのぞっとする感覚は……


(ま、まさか……あの場に魔術師が? この中の誰かが居たっていうの?)




 会議が始まっても内容など頭に入ってくる筈がなかった。国王一家の離宮滞在、年末の王宮での行事、来年春の騎士道大会について、新人のソニアにはまず関係のない議題ばかりなのが幸いだった。


 新米魔術師のソニアでも感じられる魔力の持ち主ならば、相手は相当の使い手である。と言うことはあの場に居たその魔術師はもちろんソニアの魔力も簡単に察知しており、それが魔術師ソニア・ガドゥリーだと確定しているに違いないのである。


 ソニアは血の気がさぁーっと引いていくのを感じていたが、それと同時に開き直ってもいた。別に王宮に勤める貴族だからと言ってマダム・ラフラムの仮面舞踏会に行ってはいけないという決まりはない。


 ソニアのように訳ありか、すねに傷を持っているか、特殊な性癖の持ち主か、と言うだけで別に犯罪に手を染めているわけでもない。


 しかし、ソニアは油断していたところもあった。王宮魔術師なんてエリートがあのような会に顔を出すとは思ってもいなかったのである。ソニアは未だ、背筋がぞくっとする感覚をあの場で自分に与えた人物を特定出来ずにいる。


(もしこの中の誰かだとしたら……向こうは私だって分かっていて、高みの見物ってわけ?)




 その日、王宮の一般職員用の食堂でカトリーヌと食事をしながら何気ない世間話で気を紛らわせていたソニアだった。


(向こうさんだって何か後ろめたい事情があるに違いないわよね……)


 ふっと漏らしたため息を親友のカトリーヌは見逃さなかった。


「ソニア、何か悩み事があるのでしょう?」


「ええ、貴女には隠せないわね。けれど、ちょっとまだ自分でも混乱していて……まだ何も言えないの、ごめんね」


「そう、何でもいいから相談に乗るわよ」


「ええ、ありがとう」


 カトリーヌは田舎の信心深い両親の元で育ったので、割と男女交際については古風な考え方をするところがあった。それでもソニアはカトリーヌには何でも話していた。


 だから彼女はソニアが婚約破棄をされた事情も知っている。それにマダム・ラフラムの仮面舞踏会にも時々顔を出していることもカトリーヌには報告していた。




 午後も仕事にならないだろうと思いながらとぼとぼと魔術塔に戻るソニアを塔の上の窓から眺めている一つの影があった。


 そして終業時間になり、執務室でソニアが荷物をまとめ、帰宅しようと部屋を出ようとしたところ、訪問者があった。


「やあソニア・ガドゥリー魔術師、少し話があるのだけど」


 その黒いローブを着た黒髪で長身の魔術師を見て、ソニアは驚いたと同時に思ったより早くて正直ほっとしていた。


 どう見ても彼は一昨日の仮面舞踏会でアレックスと一緒に居たあの男性だった。どうして今まで気付かなかったのか、その方が謎だった。


「はい、この部屋は私が最後ですからここでよろしいですか?」


「そうだね。お互い人にはあまり見られたくないよね。ここだと仕事の話をしているように見えるか……場所を変えるより手っ取り早いし」


「こちらにお座りください」


 魔術師の制服は基本黒のローブだが、ベンジャミン・モルターニュは仮面舞踏会でも黒ずくめだったな、とソニアはぼんやり思っていた。背筋がぞくっとする感じも先日のそれと同じである。


「その顔だと何故私がここに来たか分かっているようだね」


「はい。モルターニュさんも一昨日の仮面舞踏会にいらしていたのですね」


 お貴族様の知り合いに会うことなんてまず無い、思いっきり羽を伸ばせると思っていたソニアは自分の馬鹿さ加減を呪った。


 あの背筋にくる感覚はこのベンジャミンの魔力の特性なのだろう。彼は確か呪いや古代魔文字の研究が専門である。


「単刀直入だね。君のそういうところ、気に入ったよ。仮名アン=ソフィーさん?」


 貴方に気に入られても嬉しくもなんともないけどね、と本音がソニアの頭の中で渦巻いていた。


「けれど……モルターニュさんはどうしてあんな場所に?」


「その質問、そっくり君に返してもいい?」


 ソニアは唇を噛んだ。もう隠し事などせずに正直に言うしかないだろう。


「私は……その、学生時代に婚約破棄されたことがあるのです。そのお陰で貴族社会での評判がガタ落ちしたのですね。もしかしたらご存じかもしれませんが……けれど私の悪評はほとんど嘘です。相手が婚約破棄は自分の過失ではないと主張したいがために私の名誉をおとしめる噂を流したのです。その噂はまことしやかにあっという間に広まりましたわ」


「えっと、それは知らなかったな。まあ私は別に人の噂なんて興味ないし、聞いてもまともに信じないし」


 今更恥も外聞もないと思い切って打ち明けたのだが、ベンジャミンのこの反応には少し救われた。


「私だけの落ち度だったことになったのです。私が他の男とも同時に付き合っていただなんて、笑ってしまうわ。貴族社会ってそんなものです。一年間ほとぼりが冷めるまで領地で過ごしました。ですから私はもう王都の社交界には縁がありません」


「酷い話だね。その婚約者の方から婚約破棄してきた理由は?」


「彼が婚約中に他の女とデキてしまったからです。ある舞踏会で出会った、ブレトンの貴族令嬢ですわ。お互い運命の一目惚れだか何だか綺麗事を並べ立てて、さっさと私を捨てて……今は二人でブレトンの彼女の領地に住んでいるとか」


 ブレトンとはサンレオナール王国の西側に隣接する小国である。


「この国を去るのだったら別に君の悪評を立てなくても、勝手に二人で行ってしまえば良かったのに」


「婚約破棄を自分側の過失にしたくなかったのでしょう。もう過去のことですわ」


 昔の話を人にしたのは久しぶりだった。なんとなく、あの舞踏会に参加している者同士だからか、ベンジャミンが意外と聞き上手だからか、ソニアは洗いざらい話す気になっていた。




***ひとこと***

「溺愛警報発令中!」でティエリーさんにやたら!絡んでいた?あのベンジャミン・モルターニュ氏です。記憶に残っている読者の方もいらっしゃるでしょう。さて、彼のこの話での役割は?

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