第三話 逢瀬の後の静けさ

― 王国歴1049年 初夏-初秋 


― サンレオナール王都




 初夏になると学院の期末試験も終わり、学生生活も残り少なくなってきた。最終学年の学生たちは卒業式を控え、何となく浮足立っている。


 ソニアやカトリーヌのような将来王宮での要職に就いて仕事を続けようという女子学生はまだまだ少数派だった。


 ほとんどの貴族令嬢は別名花嫁学校と呼ばれる普通科に在籍している。また家の格が低く、そのままでは良縁が望めそうにない女子は文科で一般文官になる道を選ぶのだった。文官として王宮本宮に就職し、そこで将来の夫を探すわけである。


 ソニアはある日、学院の食堂で一人で昼食をとっていた。彼女の後ろに座る女子学生四、五人の会話がソニアの耳にも入ってきた。誰と誰が付き合っていて、誰がどこのボンボンと婚約して、というそんなどうでもいい話題だった。


 そのうちの一人が婚約指輪を仲間に披露しだすと彼女達の声量は益々大きくなっていった。ソニアは別に興味もなかったのだが、あまりに大声で話しているので聞きたくもないのに否応なしに耳に入ってくる。


 ソニアだって恋愛や結婚に興味がないわけではない。一時期は伯爵家の息子と婚約もしていた。まだまだ幼かった彼女はこの彼と一生を共にするのだろうな、と漠然と思っていた。それが、ある日いきなり向こう側から婚約破棄されてしまったのである。


 後ろの女学生たちの甲高い声に耐えられなくなったソニアはそっと席を立った。


「ねえ、ソニアさんもご覧になったら? ミリアムの婚約指輪」


「ちょ、ちょっと貴女……」


「そうよ……」


 話しかけてきた彼女はソニアの事情を知らないのかもしれないが、少々無神経だった。隣の二人は慌ててその女子学生を止めようとしている。気を遣われるのも嫌だし、別に人の婚約指輪など見たくもなかったが、ひがんでいると思われたくなかったので笑顔を貼り付けてソニアは答えた。


「まあ、素敵な指輪ね。羨ましいわ。お幸せにね、ミリアム」


 そしてくるりと彼女達に背を向けた途端にソニアの笑顔は消えていた。後ろには気まずい沈黙が暫く流れ、その後彼女たちはひそひそとソニアの事情を話していたに違いない。


 ソニアが例の仮面舞踏会に行くことにしたのはその夜のことだった。卒業に就職も決まっていたソニアは少し開放的にもなっていたのだろう。




 初めて参加したマダム・ラフラムの仮面舞踏会でソニアは会の決まりを教わった。それが守れないものは即座にラフラムの屋敷から追い出され、何度も繰り返すと出入り禁止になるらしい。


 基本的に金貨二枚の参加費を払ったら誰でも参加可能だった。大広間では音楽が流れ、ダンスが出来る。


 すなわち異性の相手との出会いを求める者たちがそこには集まり、大広間は別名異性の間と呼ばれている。


 同性の相手を探している者たちはそれぞれ東の小広間に男性、西の小広間に女性が集まっている。そこでは皆カードゲームやおしゃべり、楽器演奏などを楽しめる。


 誰かと意気投合し、二人きりになりたかったら暖かい季節には庭、寒い季節にはサンルームに行けば良い。


 そこでは親密な行為に及んでもいいが、衣服を脱いで肌をさらす事は禁止されている。周りに聞こえる嬌声、あえぎ声も禁止である。静かに楽しむ者の邪魔をしないよう、定期的に警備の人間が見張っている。


 もっと先に進みたいものは、上の階にある客用寝室に空きがあれば金貨一枚で使用できる。階段の前で料金と引き換えに係の者に部屋の鍵をもらう。


 一部屋二人までで、二人同意の元、明らかに酔っている相手は連れ込めない。それも真夜中の十二時にはお開きである。


 三人以上で、もしくは朝まで楽しみたい者は屋敷を出て、別の場所に移動する必要がある。


 マダム・ラフラムは裕福な未亡人で身元を隠して遊びたい者たちにこうして月に二回屋敷を解放しているのであった。収益はほとんど慈善事業に寄付しているとのことである。




 夏休みの間に二回、ソニアはこの舞踏会に参加した。最初は男性何人かと踊っただけで、二回目はそのうちの一人と庭まで出たがキスして抱き合ったら何となくソニアの方が醒めてしまったのだった。


 そして先日は就職して初めて、三回目の参加だった。そこで仮名アレックスと出会ったのである。




 その翌日の休み、ソニアは一日中ぼーっとして何もする気になれなかった。原因は明らかである。先日の茶色の礼服の彼、仮名アレックスのせいである。


 あの後、大木の後ろでソニアは彼に散々翻弄ほんろうされてしまった。アレックスの魅力にあらがえず、雰囲気に流されてキス以上のことも許してしまったのが良くなかった。


 ソニアの肌に優しく触れる彼の唇や指に無我夢中になってしまい、辛うじて声は抑えていたものの、気付いたら彼の腕の中でぐったりしていた自分がいたのだ。アレックスの方は余裕の笑みを見せていた。


『今晩はここまでにしておきましょう』


 アレックスは腰が抜けてしまったソニアを支え玄関小広間まで送ってくれて、上着を着せて辻馬車に乗せてくれたのである。


『またお会いできるといいですね、アン=ソフィー』


 別れ際にそう言ってくれた彼の言葉を反芻はんすうしてはため息をつく、その繰り返しだった。


(はしたないったらありゃしないわね……よっぽど欲求不満が溜まっていたのかしら。いえ、違うわ……彼がとてつもなく上手だったのよ。ダンスもキスも、それに……)


 紳士的なアレックスはソニアを馬車に乗せてくれたが、もし上の部屋に誘われたらそのままついて行ってしまうところだったのである。密室に二人きりになったとしたら仮面まで外していただろう。


(というか、あれが普通なのかもね。私の大馬鹿元婚約者が超下手だったのよ、きっと)




 翌々日は出勤で、魔術塔の自分の研究室に着いても朝から仕事にならなかった。


「もうソニアったら! しっかりしなさい!」


 そう自らに喝を入れても、集中できるはずがなかった。


「結局はふしだらなだけなのかしら、私。彼の見た目とテクが良かっただけじゃない。あれがいわゆるイクという感覚なのね……けれどイケたのが初めてだったからって、素顔をさらして彼と本番行為までしていいと思うだなんて……」


 周りに人が居ないのをいいことに、ソニアは独り言にため息ばかりだった。




 ソニアの持って生まれた魔力は辛うじて王宮魔術院に就職できるぎりぎりの範囲だった。もちろん高度な魔法である瞬間移動も彼女の魔力では出来なかった。


 ソニアは魔力の弱さを猛勉強で補って、今の魔術院総裁であるテネーブル総裁に何とか学生時代からの頑張りを認められて就職出来た。まだ就職して一か月弱、新米魔術師としての仕事はとても楽しかった。


 それでも自分の人生には何かが足りないと考えていたソニアだった。マダム・ラフラムの仮面舞踏会は全くの非日常な世界で、その時だけは楽しめた。


 帰宅してみると何とも言えない虚しさばかりが募るのは否めなかった。


 一昨日のように上の階の部屋に入って仮面を取ってもいいと思えたのは仮名アレックスが初めてだった。




***ひとこと***

真面目に勉学に励んで見事魔術院に就職したソニアです。実は仮面舞踏会にこっそり出掛けてそこで楽しんでいるという裏の顔もありました。一度会っただけのアレックスにどうしようもなく惹かれてしまう彼女ですが……

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