第六話 真夜中の忍び逢い


 結局仮名アレックスに会いたくて次の舞踏会にものこのこと顔を出したソニアだった。ドレスは前回のクリーム色ではなく、今度は仮面の色と合った臙脂えんじ色である。


「違うドレスだとアレックスには気付いてもらえないかしら……モルターニュさんは私の魔力を感じられるから分かるわよね。私はアレックスが別の服を着ていてもステップの踏み方できっと見分けられるわ」


 そうつぶやいていたソニアだった。そして色とりどりのドレスをまとった女性たちに群がる男性をぼんやりと眺めていた。そして先日感じたのと同じ背筋がゾクッとする感覚に横を向くと、いつの間にか隣に人が立っていた。


「やあ、仮名アン=ソフィーさん。こんばんは」


「こんばんは。貴方のことはここでは何とお呼びすればよろしいのでしょうか?」


 ベンジャミンは前回と同じく全身黒ずくめだった。


「ベノワと。愛称はベンで」


 愛称は本名と同じである。


「分かりました」


「アン=ソフィー嬢、私と一曲踊っていただけますか?」


「あの、仮名ベノワさん? 私は構いませんけれど、周りの方々に誤解されるのではありませんか? 素敵な男性との出会いを逃すかもしれませんわよ」


「いや、俺は今晩は遊び相手を探しに来たわけではなくてね……だからまあ知り合いのよしみで一曲踊ってよ」


 だからといってベンジャミンはこの大広間、いわゆる異性の間でソニアと踊るためだけに今日の会に出席したわけでもないのだろう。


「貴方がそうおっしゃるなら」


 ベンジャミンと踊り始めてソニアは彼の香水に気が付いた。


(あら、この香り……そんなに強くないからもしかして残り香?)


 二人は一曲踊り終えて広間の隅に戻る。そこへこちらに向かってくる仮名アレックスの姿がソニアの目に留まった。彼女の心臓が意思に反してとくんと跳ねた。


「こんばんは、アレックス」


「アン=ソフィー、今晩も貴女は一段とお美しい」


「貴方もとても凛々しくて素敵だわ」


 しばらく二人は仮面とベール越しに見つめ合っていた。


「じゃあ仮名ベノワ君は何か飲み物でももらってくるとするかな。あとは二人でゆっくり楽しんでねー」


 そしてベンジャミンはあっという間に居なくなってしまった。




 アレックスは無言でソニアの手を取り、大広間の中央へいざなう。


「今日も同じ香水をつけていらっしゃるのね」


「強すぎますか?」


「いいえ、私の好きな香りだわ」


 前回の舞踏会でアレックスに会ってからというもの、彼の腕の中に再び戻ることを渇望していたソニアだった。毎日のようにアレックスのことを想い、ため息をついていた。


(私ったらかなりの重症ね……)


 彼と踊る一曲はあっという間に終わってしまう。


「もう少し踊りますか? それとも、庭に出ますか?」


「私、それよりも上の部屋に行きたいわ、貴方と」


 仮面に隠れて表情は良く分からなかったが、アレックスはフッと軽く微笑んだように見えた。


「これはこれは……何とも積極的なお嬢さんだ」


「ヒいちゃった?」


「いいえ、私も同じことを考えていました」


「良かった」


 それからソニアはアレックスに導かれて二階へ上がる階段に向かった。


「アレックス、二人盛り上がってあやふやになる前にこれだけははっきりさせておきたいの。避妊具はお持ちですか? そうでなかったら部屋に上がる前に入手しておきましょう。使わないのであったら挿入は遠慮して下さいますか? 私が手か、気分によっては口で……」


「ははは、そこまであからさまに言う女性は嫌いではありませんよ」


「申し訳ありません。でも、妊娠や性病感染はお互いに避けたいですよね」


 二人の間の雰囲気をぶち壊すことは承知のソニアだった。けれどお互いのためにも、情熱に任せて早まったことをしでかすわけにはいかないのだった。これでアレックスが無防備な行為を迫ったり、彼の気がそがれてしまったりしたら、彼はそれだけの男だったということである。


「避妊具ならご心配なく、制限時間の真夜中までに使いきれないくらい用意していますから」


「まあアレックス、貴方って百戦錬磨なのね」


「そうでもないですよ」


 口では偉そうなことを言っているソニアだったが、一度アレックスと一線を越えてしまったら身も心も彼の虜になることは分かっていた。そこまで体だけの関係と割り切れないし、誰とでもいいわけでもなかった。


 階段を上がる前に係の者に料金を払って部屋の鍵を受け取ると、二人はもう口を利くことはなく部屋に急いだ。部屋の扉を開け、中から鍵を掛けながらしっかりと抱き合った。


「貴女のベールと仮面を取ってもいいですか?」


「ええ。ドレスと下着も貴方に脱がせて欲しいの」


「喜んで」


 アレックスはソニアの顔全体を覆っていた仮面を剥ぎ取り、ベールも取り払った。


「私の予想通りの可憐な方だ……」


 そこでアレックスも自分の仮面をそこらに投げ捨て、彼の顔をまじまじと観察する間などソニアには与えず、そのまま彼女に口付けたのだった。


 そして二人は熱く激しいキスを交わしながらお互いの服を脱がせ合うのももどかしく、寝台に倒れ込んだ。



***



「やっと貴方の顔をきちんと見ることができたわ。どんな方なのだろうってずっと想像していたのに、やっと仮面を取ったと思ったらすぐに口付けられて寝台に押し倒されて……」


 ソニアはアレックスの裸の胸に寄り添いながら彼の顔を見上げた。


「すみません、がっつきすぎました」


 その彼の言葉にくすっと笑みをこぼしたソニアだった。彼の瞳は蝋燭ろうそくに柔らかく照らされて金色に見えた。


「ねえアレックス……貴方私のこと……」


 モルターニュさんから私が何者か聞いているのでしょう、と言いそうになったソニアは言葉を濁した。


 この仮面舞踏会で会う以上の関係には発展しないだろうからお互い詮索するのはルール違反である。


「いえ、何でもないわ。とても素敵な夜にしてくれてありがとう」


 ソニアはアレックスに軽く口付けると体を起こし、寝台から降りた。




 王都の秋は深まり、段々肌寒くなってきていた。もうすぐ年末を迎える。


 ソニアは月に一、二回仮面舞踏会でアレックスとの逢瀬を楽しむようになっていた。もうソニアは他の男など目に入らなかった。


 わざわざマダム・ラフラムのところへ来なくても別の場所で逢った方が安上りだし、手軽だろうと何度もアレックスに提案しようとしても何故かできないソニアだった。


 彼女だけがアレックスに入れ上げているのかもしれないのだ。確かにソニアはアレックスが他の女性と踊っているところを時々見かけていた。部屋まで行っているようには見えなかったが、ソニアが欠席の時は分からない。


(私、本名も何も知らないアレックスに恋に落ちたのだわ……)


 こうなる予感は初めて彼に会った時からあったのだ。




***ひとこと***

自分から仮名アレックスを誘ってどんどんのめり込んでいくソニアでした。彼女は今までのシリーズ作に居なかった新しいタイプの女性主人公ですね。

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