第四十一話 母として女として


 その日帰宅したソニアは、書斎に居たベンジャミンからルイ=ダニエルの籠城が終わったと知らされた。


「一旦出てきた後、また部屋に戻っているよ。何でも自分で散らかした後片付けをするって言っていた」


「私が行って顔を出してくれるかしら……」


「ルイとも俺とも話し合ったから、大丈夫だよ」


 ソニアは着替えることもなく、そのままルイ=ダニエルの部屋の扉を叩いた。


「ダニエル? 今ちょっといいかしら?」


 ソニアの心配をよそに、すぐに扉は開かれた。


「母上、その、僕の部屋はまだまだ散らかっていてお見せ出来る状態ではないのです……申し訳ありません」


「貴方がそう言うのでしたら私の部屋で話しましょうか?」


「はい」




「母上、僕の無礼をお許し下さい」


 ソニアの部屋に入るなり、ルイ=ダニエルは深く頭を下げた。


「許すも何もないわよ。特に貴方はあまりに良い子過ぎるから、時々は羽目を外したりもっと大癇癪を起こすのも気晴らしになるのじゃないかしら?」


「けれど……今回は流石に自分でも少しやり過ぎたと反省しています」


「実は私も心配で夜も眠れなかったわ」


「お騒がせしてしまって申し訳ありませんでした。アレックスとサムにも心配かけたみたいですね、僕は」


「そこに座りましょうか」


「はい」


 ソニアとルイ=ダニエルは向かい合って座った。


「さて、何から話したらいいのかしらね。私はお父さまやルイに出会うずっと前、家同士付き合いのあった貴族の子息と婚約をしていたのです。貴族学院在学中のことよ。けれど婚約破棄をされてしまったの」


「えっ、そんなことがあったのですか?」


「ええ。破棄は向こうの責任だったのに、私の悪い噂も貴族社会に広まってしまったのです。全て出鱈目でたらめでしたけれど、私はしばらくガドゥリーの領地に身を隠すことにしました。その後の私は良い縁談なんて夢見ることをやめ、無我夢中に勉強して魔術院に就職したのです」


「その頃ですか、ルイに出会ったのは」


「そうなの。それでお父さまとルイに偽装結婚の話を持ちかけられたのです。それでもね、お父さまは私がルイと結婚したいならそれでもいいっておっしゃってくれたのよ。ルイがモルターニュ家の養子に入ったら貴族を名乗れるからと。元々ルイは貴族の血を引いているのですしね」


「母上はポワリエ侯爵夫人の地位を手に入れたかったからルイではなく父上と結婚されたのですか?」


「いいえ。お父さまを差し置いて二人だけで幸せになることが考えられなかったからです。お父さまが私にルイと普通に結婚してもいいと提案をしてくれた時、私は心の中でもう三人で生きて行く決心をしていました」


「それは綺麗事ではないのですか?」


 男親と対峙する時よりも何故かルイ=ダニエルは母親には突っかかりたくなってしまうのだった。


「ダニエル、綺麗事だけで今まで十年以上もこの三角関係を良好に保ってはいけなかったわよ。私もベンも嫉妬ばかりしていたし、喧嘩も沢山したわ。親だからって聖人君主じゃないのですから」


「それは分かりますけれども」


「とにかく私たちはおおむね夫婦円満で、貴方にもアレックスにもサムにも無償の愛を注いでいるわ。ルイだって貴方たちを陰ながら可愛がっているじゃない。他人に言えない事情があるだけよ」


「母上、開き直っていませんか?」


「このくらい開き直らないと秘密の三角関係なんて築けなかったわ。最初はこんな偽装結婚なんて無理だって、三人のうち私だけが反対していたくらいよ。私はベンの求婚も断って、ルイともすっぱり別れるつもりでした。そうしたら貴方はこの世に存在していなかったのよ」


「恩着せがましいですね、全く」


「分かっているわよ。私、でもね一旦ベンの求婚を受け入れてからはもう後悔したことはありません」


「父上と母上の結婚が偽装であることや僕達の出生の秘密を知っている人はどのくらい居るのですか?」


「友人のガニョン夫婦と魔術院の総裁夫妻だけです。ルイのお父さまサミュエルさんは多分気付いているらしいわ。他には誰も。モルターニュの祖父母もガドゥリーの祖父母も知らないわね」


「どうして家族も知らないことを赤の他人が知っているのですか?」


「ガニョンさんには婚前契約書と生前遺言書を書いてもらったからです。総裁の奥様は魔法で人の心を時々読めるからよ。彼女はずっと昔からベンのいい話し相手でした」


「モルターニュのお祖父様とお祖母様は僕達のことをとても可愛がってくれているというのに……特にお祖父様と僕は血も繋がっていないではないですか……」


「それは……ベンが家族にも本当の自分を知られて、失望されたくないとずっと思っていたからです」


「そんなこと、分かりませんよ」


「言ってみないと分からないわよね、確かに。けれど貴方たちの年代ならまだしも、もっと上の世代の人々にはなかなか理解してもらえないかもしれません。ベンはそれをずっと恐れているのよ。彼には十代の頃から一番良く分かってくれているルイが居るし、私も微力ながら妻として支えているわ」


 ルイ=ダニエルはベンジャミンとルイの関係をもう知っているのだろうか、それとも薄々気付いているのだろうか、ソニアは疑問に思っていた。しかしそれは彼女の口から告げるべきことではないのだ。


「三人にはとても固い絆があるのですね……確かに僕は昔からルイは執事にしては僕達にとても近い存在だとは思っていました。友達の家に遊びに行くようになってから気付きました。他所の家の執事はどの人も、なんというかルイよりもずっと歳を取っていて、怖い感じですから」


「うふふ、貴方の言いたいこと、分かるわ。我が家の執事は若いのに仕事も出来て、子供たちとも良く遊んでくれて、しかもハンサムですものね」


「僕の前で惚気のろけないで下さいよ」


「いいじゃない、ダニエル、もう貴方も私たちの秘密を知ったのだから」


 ルイ=ダニエルは呆れたように大きくため息をついた。


「とにかくね、私はルイにベン、子供たち皆を愛しているわ。それぞれに別々の想いがあるけれど、皆私の大事な大事な人なのよ。誰が一番かなんて言えないわ。だって皆私の一番なのですもの」


「はい……ありがとうございます、母上」


 深くお辞儀をして部屋を去ろうとしているルイ=ダニエルの背中に向かってソニアは最後に一言かけた。


「ルイ=ダニエル、私は貴方のことを母親として大変誇りに思っています」


「ルイも父上も最後には同じことをおっしゃいました」


 ゆっくりと振り向き微笑みながらそう言ったソニアの長男は今までになく落ち着いて大人びていた。



***ひとこと***

女親との話し合いは少しまた違ったものになりました。ルイ=ダニエル君はたった二日間で大きく成長しましたね。さて、真ん中のアレクサンドラちゃんと末っ子のサミュエル君は真実に対してどのような反応を示すのでしょうか?

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