第十四話 母親の緊急入院
「あーあ、最近の私は駄目ね……仕事にも何にも身が入らないわ……それに独り言の頻度も多くなってしまったわ」
ソニアは執務室や屋敷で一人、考え事をしながらぶつぶつと
「恋患いでもしているの、ソニア?」
「えっ?」
中々鋭いカトリーヌだった。そういう彼女も職場の先輩であるティエリーに片想いをしている。しかし、周囲の目には両片想いなのが明らかである。
「どなたか素敵な人に出会ったのでしょう?」
「そうね……でもその人にはね、ラブラブの恋人が既に居るのよ」
「まあ……残念」
「彼も私に対してまんざらでもないのだけれど、私は別に人のものを盗るつもりもないから……」
このくらいなら言ってもいいだろうと思わず口を滑らせてしまったソニアだった。次にルイから誘われたら断りきれないことは分かっていた。
そんなある日、ルイから文が来た。次の日の夜、一緒に食事をしようと誘われたのだった。ルイが指定した食堂は新鮮な魚介料理を振舞うことで有名な、そこそこの値がはる場所だった。
彼にとっては先日の連れ込み宿と同じように、この食堂もかなりの出費になるはずである。
「ずるいわ、ルイは。何もしないって言っているけれど、私は彼を想うだけで、彼の顔を見るだけで体の奥が熱くなるというのに……私が理性と戦っているところを余裕の表情で眺めているのよね……」
断るのなら早めに、せめて当日の昼前にはと考えていたソニアだった。
結局その日、ルイとの密会は実現しなかった。というのも、王宮医療塔からソニアの母親が運び込まれたという知らせが来たのである。ソニアは慌ててモルターニュ家のルイに断りの文を書いて送った。差出人はアン=ソフィーとした。そして医療塔に急いだ。
ソニアの母親は外出先の馬車の中で発作を起こしたのだった。御者の機転により医者を呼ぶよりもそのまますぐ近くの王宮の医療塔に運ぶ方が早いと、ここまで連れてこられたのが幸いだったようである。
「お母さま!」
彼女の容態は落ち着いており、医療塔の上層階の個室で休んでいた。医者によるとすぐに運び込まれたのが良かったそうだった。常備薬も役に立った。
「数日はここ医療塔で養生していただきましょう。お嬢様もお仕事の合間にお見舞いに来られますしね」
「ありがとうございます……良かったです」
寝台に横たわる母親はいつもよりも小さく、頼りなさげに見えた。ソニアは午後少しの間魔術塔に戻ったが再び母親の顔を見るために医療塔に帰ってきて、夜遅くまでそこに居た。そしてソニアが屋敷に帰宅すると、もう休んでいたはずの執事が迎えに出てきた。
「ジャック、お父さまとお兄さまに文を書くから明日出してくれる? 私は着替えたらまた王宮の医療塔戻って今夜はそこに泊まります」
ソニアの父と兄は数週間前から領地に行っていた。予定ではあと二週間ほどで王都に帰ってくる。
「
「ありがとう」
ソニア・ガドゥリー様と書かれた字を見ただけでそれが誰からの文か分かった。差出人はアレクサンドルとだけ書かれている。ソニアは急いで自分の部屋に入り、文を開く。
『貴女のお気持ち察します。お母様が快方に向かうことを祈っております。お大事に。ルイ』
ルイは食堂の予約を当日に取り消して大丈夫だったのだろうか、とふと頭をよぎった。
「ルイ……貴方は幼い頃にお母さまを亡くしているのだったわ……私には父も兄も居るけれど、彼は育てのお父さんと二人きりになってしまったのよね。他に頼れる親戚は居るのかしら」
ソニアが婚約破棄をされた時、父親と兄はガドゥリー家の恥
他人に何と言われようと気にならなかったソニアも、母親には聞かせられないような噂を貴族社会で立てられたことについて申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。自分がもう貴族令嬢としてまともな縁に恵まれないことを母親が気に病んでいることに対してもやり切れなかった。
「親不孝者でごめんなさいね、お母さま……」
それからの数日間、ソニアは屋敷へ帰宅するのは軽食をとり、着替えるためだけだった。なるべく母親についていたかったのである。
連日医療塔に泊まっていてはソニアも流石に疲労が溜まりつつあった。学生時代にソニアの両親、特に母親に世話になっていたカトリーヌも時々見舞いに訪れてくれていた。
病状は安定し、寝台の上にも起き上がれるようになった母親だったが、相変わらずソニアの目には彼女が一回り小さくなったように映っていた。
「私ももう長くないのかもしれないわね。次に発作を起こしたら覚悟してちょうだいね、ソニア」
「お母さま、そんなことおっしゃらずに。お父さまももうすぐ帰って来られますし」
「そうですわ、おばさま。まだまだお若いのに何をおっしゃるのですか!」
父親だけは急いで領地の仕事にけりをつけてそろそろ王都に帰ってくるはずだった。母親の病室から出たソニアとカトリーヌは沈んだ面持ちだった。
「母は何だか何に対してもすっかりやる気をなくしているのよ……」
「病は気からって本当よね。おじさまにお会いになって少しはおばさまのお気持ちも落ち着けばいいけれど……」
「カトリーヌもお見舞いありがとうね」
「私もソニアのご家族には特に学院に居た頃にお世話になっているから、王都ではおばさまは母親代わりみたいなものよ」
貴族学院に編入するために単身上京してきたカトリーヌはよくソニアの屋敷にも来ていて、ソニアの母親も彼女のことを娘同様に可愛がっていたのである。
「母の前で私まで湿っぽい顔はできないわね……なるべく明るく振舞わなければ……」
「ソニアもあまり無理しないでね。私が代わりに病室に泊まってもいいのよ」
「ええ、でもやはり私が母の側についていたいの」
母親が入院してからは二日とおかず、ルイと文のやり取りをしていたものの、ソニアは彼に会いたくてしょうがなかった。
(本当は文も送り合うべきではないのよね……)
気力の方はともかく、母親も少しずつ元気になりそろそろ自宅療養の許可が出せると王宮医師も言ってくれていた。その日もソニアは仕事の後に医療塔に直行した。
「ソニア、すまないわね。こう毎日医療塔通いでは貴女も何の楽しみもないでしょうに、迷惑を掛けてしまって」
「何をおっしゃるのですか、お母さまは。実の娘に遠慮することなんて何もありませんわよ」
ここまで母親が弱気になっているのを見るのはソニアも心苦しかった。一刻も早く父親に帰ってきて欲しかった。その時、病室の扉が遠慮がちに叩かれた。
「看護師の方かしら?」
ソニアは扉を開け、そこに居た見舞客に驚いた。まず彼が来ることなど予想していなかったからである。
***ひとこと***
さあ、お見舞いに駆けつけた彼とは誰でしょうか?
1ルイ
2ベンジャミン
3ティエリー
4ソニアのパパ
5元婚約者
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