第十三話 重い身の上話
ソニアとルイの間には少しの沈黙が流れたが、ソニアは葡萄酒を一口飲んだ後に口を開いた。
「ルイ、貴方はモルターニュさんのご両親に恩を感じているわけね」
「私たち一家はモルターニュ家でとても良くしていただいております。父はまだお屋敷で働いておりますが、執事の職は昨年退きました。旦那様と奥様はその後釜に当然のように私を据えて下さいました」
「それは貴方が将来ポワリエ侯爵を継ぐモルターニュさんの片腕になるということを意味しているのね?」
「私はモルターニュ夫妻の御恩に報いるためにも、将来ベンが立派な侯爵になるためにも、彼を支えて行きたいのです。それにベンも侯爵の地位に就けば、自己評価の低い彼でも少しは自信がつくのではないかと……」
「モルターニュさんと貴方でポワリエ侯爵家を乗っ取るつもり?」
「ははは、貴女には全く敵いませんね。それをはっきりおっしゃるなんて貴女らしいです。私はこれ以上発言するのは控えましょう」
ルイは満面の笑顔になった。
「私に色々と貴方たちの事情を教えすぎてしまったからって、私が三角関係の話に乗るとは限らないわよ」
それでもソニアは彼らの提案を飲まないと、ルイとはもう逢えなくなると思うと胸が痛んだ。
「もちろんです。それでも、私もベンも確信していますよ。私達の花嫁として貴女以上の適役は居ないと」
「そんなことはないわよ。貴方と愛人関係を結べるなら、モルターニュさんと仮面夫婦になってもいいって方は沢山いると思うわ。貴方は女性の扱いも上手くて、女心が良く分かっているもの」
「貴女にそう言っていただけるとは、光栄ですよ、ソニア」
彼がさも愛しそうに自分の名前を呼ぶのが好きだわ、とぼんやりソニアは思っていた。
「ごくごく普通の貴族が沢山集まる舞踏会で花嫁候補者を探す方が簡単ではなかったの?」
「貴族令嬢一人一人に聞いて回るのですか?」
「そうねえ、難しいわね。『ポワリエ家乗っ取り作戦に協力してくれますか? お嬢さん、こちらのベンジャミンと偽装結婚して私を愛人にして下さい』なんてまず無理ね」
「ですから何か事情がある人間ばかりが集まるマダム・ラフラムの仮面舞踏会に行くようになったのです。最初は西の女性専用小広間に出入りする方々だけを物色していました」
「まあ、そうね。モルターニュさんの花嫁が女性同性愛者だったら……お互い外で好きなようにして、夫婦間での揉め事は起こりにくいわ。けれど、問題は跡継ぎよねぇ」
彼らのその計画の難しさを改めて感じていたソニアだった。
「そんなある日、ベンが貴女を見かけました。職場の知り合いだということは貴女の魔力ですぐに分かったようです」
「ルイ、貴方は私が仮面舞踏会に来ている訳あり貴族令嬢だから声を掛けたの?」
「いいえ。貴女の事が純粋に気になったからですよ。少し話してみて益々好きになりました」
「そして私たちはすぐに深い関係になったけれど、貴方とモルターニュさんもずっと続いている……」
「ベンとの関係はもうかれこれ十年来のものですね。彼は特に十代の頃、自分の性癖について大いに悩んでいたのです。あの頃のベンは荒れていてちょっと見ていられませんでした。そしてお互いの傷を舐め合うように関係が始まったのです」
「モルターニュさん、ご自分の性的嗜好のせいで思春期には色々苦労したっておっしゃっていたわ」
「はい。十代の頃はベンも感情的に不安定で、始末に負えないくらいの反抗期を迎えていましたね。この十年間、私達は数えきれないほど喧嘩して、何度も絶縁状態になりました。けれどその都度ベンの方から謝ってきて仲直りの繰り返しです。ベンは今でこそ落ち着きましたが、若い頃はかなり感情にムラがありました」
「分かるような気がするわ。ルイ、貴方の方が包容力があるのね」
「そうでもありませんよ。私だって、あのベンにここまで信頼される貴女に少々嫉妬心を覚えます」
「はい? 貴方が私に嫉妬? 貴方たちの関係ってとことんややこしくて複雑ね!」
「私達二人に貴女が加わったからですよ。そういう私は貴女に仮面舞踏会で会って、どうしようもなく惹かれて、ベンのことも同時に好きなのに……大いに戸惑っているというのが正しいです」
ソニアは少しくすぐったいような感覚に陥った。
「正直に言ってくれてありがとう。貴方やモルターニュさんのご家族は貴方たちの秘密をご存知なの?」
「母は私が九つの時に亡くなりましたから、私の性癖については知らずじまいでした。父サミュエルは何となく気付いているのかもしれません。ベンのご両親やもう嫁がれたお姉様はご存知ではないでしょう」
「お母さまを亡くされているの……貴方の成長を見届けたかったでしょうにね……」
「若い頃から苦労を重ねた母には幸せになって欲しかったです。体調を崩して、流行り病に
「サミュエルさんはそれから?」
「ずっと独りです」
ソニアには無表情に淡々と話すルイの無念がひしひしと伝わってきた。思わず立ち上がり、向かいに座る彼の頭をそっと抱きしめていた。
「ルイ……」
ルイは頭をソニアに預け、しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「あの、ソニア、そんなに胸を押し付けられると私もちょっと……貴女との約束を反故にして押し倒してしまいそうなので……」
「もう、ルイ!」
そこでソニアはルイの体を離し、しんみりしていた雰囲気が和らいだ。
「ですから、貴女が良ければ私はいつでもよろしいのですけれどもね」
「駄目よ、いくらモルターニュさんの許可があったとしても……」
ソニアは再び座って葡萄酒を一口飲んだ後、ためらいがちに口を開いた。
「私、婚約破棄されてから、貴族の面目や世間体って何だろうと考えるようになったのね。それに自棄気味な行動に出ることもあったわ。浮気をしたり不貞を働いたりすることにはもう抵抗なくなったと自分でも思っていたのよ。けれど、やっぱりできないみたいよ。どうしてでしょうね」
「それは貴女が根は正直で真面目な方だからですよ」
「そうかしら?」
「ベンの留守中にまた会えますか? それとも仮面舞踏会へ一緒に行きませんか?」
「分からないわ。とりあえず今晩はもうそろそろ帰ります」
「良い方向に検討して下さると嬉しいです。それから、ベンが帰ってきたら彼の話も聞いてあげて下さい」
ルイは穏やかに微笑んでそう言ってくれた。そしてソニアは彼女のためにルイが呼んでくれた辻馬車に乗った。
「貴方も乗ってよ、モルターニュ家に先に寄ってもらうから」
「いいえ、私は歩いて帰ります。馬車の中で貴女と二人きりというのも……今晩はもうあまり理性が残っていませんから」
「ごめんなさいね、ルイ。私の気持ちを尊重してくれて」
「貴女が謝る必要はありません。貴女の魅力に抗えない私がいけないのです」
「……」
「気を付けてお帰り下さい、ソニア」
「ルイ、貴方もね。お休みなさい」
***ひとこと***
ソニアの理性>ルイの魅力 の巻でした。
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