第十二話 逢い引きの宿屋にて


 翌日の夕方、ソニアは真っ直ぐ帰宅し、夕食前に着替えようとして箪笥の前に立っている。


 その日は一日中、今からでもモルターニュ家のルイ宛てに今日は行けないと断りの文を出そうとして筆を執って書き始めてはやめるの繰り返しだった。


「ああ、もう! 私にどうしろって言うのよ!」


 その日は普通のドレスで、魔術師のローブではなかったので少し顔が隠れるベール付きの帽子をひったくり、着替えずそのまま自宅の階段を駆け下りた。驚いたソニアの母親が居間から顔を覗かせている。


「まあ、ソニア、何事ですか?」


「お母さま、申し訳ありません。とても大事な用事があったのを思い出しました。夕食はいりません、少し遅くなります」




 ソニアは指定の宿の少し手前までガドゥリー家の馬車で行き、帰りは辻馬車を拾うからと御者はそのまま帰した。息を整えて宿屋に入り、ルイが取った部屋を聞く。


「二階の三号室です。ご案内致します」


「あの、部屋代を先にお支払いします」


「いえ、もうお連れの方が全て清算済みです」


「……そうですか」


 ソニアは客室係によって三号室に案内された。


「お客様がお見えです」


「どうぞお入り下さい。ありがとうございます」


 宿の従業員は大袈裟なほどうやうやしく扉を開けてくれた。ベンジャミンの言った通りこの宿屋は前回三人で話をしたそれに比べると格は下がるものの、かなりの値段がしそうだった。先程受付で一泊の値段を聞いておけば良かったとソニアは思っていた。どっちにしろルイに全額払わせる気はなかった。


 開けられた扉の前に立ち尽くして部屋に入ろうとしないソニアに部屋の中のルイも、ソニアの後ろの従業員も不思議な顔をしていた。


「あの、お客様?」


「さあ、お入りください」


「けれど……」


「貴女がいつまでも廊下にいらっしゃったら他の客にも迷惑ですよ」


「申し訳ありません」


 ソニアはそこで従業員に軽く会釈をして渋々入室した。彼女の後ろで部屋の扉は音もなく閉められた。


「ルイ、先に言っておくわ。私、今日は貴方とここで肌を合わせるために来たのではないの。宿代を無駄に払わせるわけにはいかないし、それに貴方とはまず話をしないといけないから」


「何にしても貴女がこうして来て下さっただけで、貴女のお美しい顔を見られただけで私は嬉しいですよ。口付けくらいはしてもいいですか?」


 怒った様子ではなく、おどけた口調でルイが言った。


「ええ、と言いたいところだけど……キスをしてしまうと貴方がもっと欲しくなるに決まっているもの」


 ルイはソニアが今まで見たことのない満面の笑顔を見せた。目を細めて笑う様子がベンジャミンとそっくりだとソニアは気付く。


(二人は従兄弟だから? それとも恋人同士だから?)


「貴女のそんなはっきりしたもの言いを好ましく思います。では今夜は口付けも抱擁も手合わせもなしで、紳士的に振舞うと約束しましょう。それでも気が変わったらおっしゃって下さいね。大歓迎です」


 ルイが少し真面目な表情に戻り、ソニアはどきりとさせられた。


(そんな顔をされたら……やっぱりシたいわ、なんてすぐに降参してしまいそう。反則だわ)


 目を伏せて食卓の上を見ると赤葡萄酒に少々のチーズが置かれていた。ソニアの視線に気付いたルイが尋ねる。


「ソニア、葡萄酒をお飲みになりますか? 今日は貴女の希望を聞いてから食事を頼もうと思っていたのです」


「葡萄酒はいただくわ。けれど食事は結構よ」


「後からでも頼めますしね」


 ソニアは空腹を覚えるまで長居をするつもりはなかった。


「ルイ、この突拍子もない三角関係の計画はモルターニュさんが考えついたの?」


「はい。彼はご自分の肩にポワリエ侯爵家が懸かっていることを自覚されておいでです」


「ポワリエ侯爵には貴方以外の男子は居ないのね?」


「侯爵夫人との間にはお子様には恵まれませんでした」


「だったら直系の貴方が跡を継ぐ資格が一番ありそうなものなのに……」


「ベンも同じことをおっしゃいます。それに本当は彼もポワリエ家の爵位には執着なさっていません」


 ルイは葡萄酒を一口飲んだ後続ける。


「しかし、ベンは他に道がないのであれば偽装結婚をしてポワリエ家に入ることも厭わないそうです。彼が結婚してもいいと考える女性は、私とベンの関係を認めてくれ、誰にも口外することなく、お飾りの妻として収まってくれる人ですね。ベンは奥方に女性としての悦びを与えることも、お子様も授けることもできないので、彼女が外に愛人を作ることももちろん構わないとも」


「で、その愛人が貴方ならついでにポワリエ家の血を引く子供もはらませられると考えたわけね」


「はい。ですから私とベンは花嫁を探しに仮面舞踏会に繰り出すことになったのです。それでも中々適齢の貴族令嬢でマダム・ラフラムの館にいらしている方にも巡り合えませんでした」


「仮面舞踏会に来るような令嬢だと話が通しやすいと踏んだわけね。しかもお相手は貴族でないといけない……難しいわね。とにかく、光栄だわ。貴方たち二人に見初められるなんて」


「ポワリエ侯爵はベンの花嫁として貴族以外は絶対認めないでしょうね。半分平民の血が流れる私を認知するのを拒んだ人ですから。最初は自分の子であることさえ疑っていたのかもしれません。けれど私は成長するにしたがって実の父にそっくりになってきましたから。ポワリエ家の血を引いていることは明らかでした」


「貴方は実の父親についていつ知ったの?」


 ソニアは自分自身の父なのにポワリエ侯爵とまるで他人のように呼ばないといけないルイの心情をおもんばかり、ただ悲しかった。


「初等科に上がる頃でしょうか。その頃私達一家三人はモルターニュ家に住んでいました。母は私を身籠り、ポワリエ家にも居られなくなって路頭に迷いかけておりました。そこをポワリエ家の元執事サミュエル・ロベルジュが助けてくれたのです」


「ロベルジュ姓ということは……」


「はい。母と結婚して私を実の子のように育ててくれました。父サミュエルには感謝してもしきれません」


「まあ……」


「私が子供の頃、モルターニュ家の使用人達の話が耳に自然に入ってきて私は自分の父とは血が繋がらないということを知りました」


「ご両親から直接聞いたのではないなんて……」


「はい。何となく私の様子がおかしいのに気付いた母に尋ねて事実を確認したように覚えています」


 たった五、六歳でそんな形で自分の出自を知らされたルイ少年にソニアはひどく同情した。


「ベンのご両親、モルターニュ夫妻は素晴らしいお方です。私達一家三人に住む場所をと仕事を与えて下さいました。私が実の父親について知った経緯に心を痛め、それからは使用人全員に厳しく噂話を禁じられました」


 ソニアは少しずつ彼らの置かれている状況が分かってきた。




***ひとこと***

仮名アレックス改めルイが同情票を集めております。

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