第十一話 三角関係の図式
翌朝ソニアは再び寝不足気味だった。原因はもちろん昨晩ベンジャミンとルイからされた提案のせいである。
「私、好きな人の恋人から求婚されちゃった」
事情を知らない人間が聞いたら、というかつまり誰が聞いても何のことかさっぱり分からないことをソニアは
「あぁ、訳分からないわ! それにしても……愛がないとは言え、求婚の言葉がド直球に跡継ぎを産め、はないでしょうが!」
以前の婚約は本人達が幼い時に親同士が決めたので、元婚約者からこれといった決め台詞をソニアは言ってもらったことがなかったのである。
「本当に好きになった人から結婚を申し込まれたいなぁ……ルイから子供を産んで欲しいって言われたら、ハイよろしくお願いしますって即オッケーしてしまうわね。ああ、あのバカバカしい計画ではモルターニュさんと結婚して子供はルイと作るのだっけ……」
ソニアは大いに悩んで混乱していた。
「私がこの求婚を断ったら、もちろんルイとの関係も終わりなのよね……最近私って独り言ばかり……」
ルイとの別れが嫌でベンジャミンの提案に応じてしまいそうな自分も居るのが分かっていたソニアだった。彼女はそう信心深くもないし、不貞を絶対否定する倫理観が強いわけでもない。ただ、そんな三角関係が成り立つとは到底思えないだけである。
結局彼女は休みのその日、丸一日自分の部屋に籠って悶々としていた。
ソニアは職場ではなるべくベンジャミンを避けるようになった。それでも三十数名の小さな魔術院ではそうもいかなかった。
数日後のある日、廊下で二人はばったり会ってしまう。さっと会釈をしてベンジャミンと目を合わせないように通り過ぎようとしたというのに、彼は声を掛けてきた。
「やあ、俺の将来の奥さん」
「ちょ、ちょっと! そんなこと言って、セクハラですよ」
ソニアは慌てて誰も居ないか周りを見渡した。ベンジャミンは余裕の笑みである。
「だってもう君以外に適任者は居ないと確信しているから」
「そんなことあるわけないわ……」
ルイの魅力をもってすれば、あの突拍子もない三角婚姻関係に喜んで同意してルイの子供を産むという女性を見つけるのもそう難しくはないだろう。それに侯爵夫人の椅子まで転がり込んでくるのである。
ソニアは心の奥がちくりと痛んだ。そんな感情は顔に出さないようにベンジャミンの前からさっさと立ち去ろうとした。しかし、彼はソニアを呼び止める。
「ちょっと君に話があるんだよ。昼食一緒にどう?」
「私は何も……あれ以上の話を聞くつもりはありませんけれども……」
「そんな身構えないでもいいじゃないか」
ベンジャミンにも聞こえるような大きなため息をついて、ソニアは同意した。
「分かりました、貴方がそうおっしゃるのなら」
二人は他の魔術師が居ないベンジャミンの執務室で食事をすることにした。
「俺ね、明日から二週間休暇を取って少し遠方に行くことになってね」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
王都はそろそろ雪解けの季節を迎えていたが、まだまだ寒い。暖かい南方へでも旅行するのだろうか、もしかしてルイも同行させてのヴァカンス……など考えてしまいソニアは思わず目を伏せた。彼女はこんな話こそ聞きたくなかったのである。
「今君が何を考えているか当てようか? ルイは連れて行かないよ。一人旅だ」
「い、いえ、そんな……とんでもない……」
動揺してソニアはしどろもどろになってしまっていた。
「だからさ、俺が留守の間ルイに逢ってあげてよ。先日は折角お膳立てしてあげたのに君が帰ってしまうから……」
「お膳立てって……ハイ、貴方たちのために部屋を取りました、さあどうぞ思う存分ヤッて下さい、なんて言われて喜んで服を脱いで股を開けると?」
「ハハハ、君も言うねぇ」
ベンジャミンは破顔してソニアの言葉にうけているようである。
「失礼致しました」
ポケットから紙切れを取り出したベンジャミンはソニアにそれを渡した。
「これ、読んでごらん」
ソニアがその文を恐る恐る開くと、知的な印象を与える几帳面な美しい文字列が目に映った。
『親愛なるソニア、明日の夜ボワヴァン通り十番地の宿で待っています。ガルノーの名前で部屋を取ってあります。貴女が来て下さることを切に願って。ルイ』
「どうしてこの文をモルターニュさんが私に渡すのですか?」
「君達は俺も公認の仲だから」
「バカバカしい。私が行くわけないでしょう? おめでたいですわね」
「ルイは君が来るまで、いや来なくても朝まで一人で待っていると思うよ」
「そんなことおっしゃっても、貴方たちが勝手に……」
「今までの仮面舞踏会は俺の花嫁候補をルイが探すという名目だったから、ルイの参加費も必要経費も全て俺が負担していたよ。でも今回のこの宿はルイの自腹だ。先日の宿ほど豪華な場所ではないけれど、ただの執事の給料では結構痛い出費だろうねぇ」
「それは私には関係ありません」
「ソニア、伯爵令嬢である君を庶民の連れ込み宿に呼び出すのは忍びないとのルイの精一杯の背伸びなのだからさ。君だって安宿に男と出入りしているところを人に見られたくないよね」
「今からでも予約は取り消せるでしょう? 私の都合も聞かずに勝手に宿を取られても困ります」
「じゃあいつだったら都合がいいの?」
「いつでも駄目です。貴方の休暇中、予定で一杯ですから!」
「じゃあ、しょうがないねぇ。ルイに俺は何も言わないよ。だから彼は明晩の予約を取り消すこともしない」
「お金の無駄遣いだわ!」
「だって、君は行くから。彼に逢いたくてたまらないのだろう?」
「いいえ、行きません!」
ベンジャミンはそこでおどけた表情を見せた。彼は嫉妬している様子でもない。
「俺の留守中は君達デートだって逢引きだってし放題なのに、もったいないよ。君達もっとお互い知り合いたいでしょ? 思う存分楽しんでも罰は当たらないと思うけれど」
「当たりますわよ。私、いくら好きでも人のものを盗るなんてことしません」
ソニアは自分の元婚約者の隣で堂々と恥ずかしげもなく勝ち誇った笑みを見せていたあのブレトンの貴族令嬢の顔を思い出していた。彼女はそこまで落ちてはいない。
「盗るだなんて人聞きの悪い。共有するんだよ」
「余計悪いわ!」
「この俺がいいって言って、ルイだって君に逢いたいのに?」
「だからです、私には出来ません……お願いです、もう私のことは放っておいて下さい」
議論は平行線を辿って埒が明かなかった。
「とにかく、俺は留守だから、二週間ルイを独占して君の魅力で彼をもっと骨抜きに……」
「私、絶対行きませんからね!」
ソニアはベンジャミンの執務室から飛び出した。
***ひとこと***
三角関係がこじれて?おります。
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