第三十九話 重い真実


 翌朝、ルイ=ダニエルは未だに籠城戦を続けており、朝食の席にも現れなかった。昨晩から侍女も誰も部屋に入れていないらしい。


「全く、夏休みに入っていて良かったわ」


「まあお腹が空いたらそのうち出て来るさ。ほっとけよ」


「何を呑気な事言っているの、ベン。私今日は仕事休みましょうか……」


「ソニア、サムが病気になった時のために休みは取っておけよ。いざとなったら今日は俺が休む」


 流石にアレクサンドラやサミュエルも兄のことを心配し始めているようだった。


「私がまた朝食を持って様子を見て来ましょうか? それとも誰か別の者に頼みましょうか?」


「ルイ、貴方にお願いするわ……」




 再びルイはルイ=ダニエルの部屋の扉を叩く。


「ダニエルお坊ちゃま、お早うございます。朝食をお持ちしました」


 返事はなく、扉には鍵がかかっていた。




「お坊ちゃまにはもうしばらく時間が必要なのだと思います。部屋の中にいらっしゃって、食事もされているようですからそのうち出てこられますよ」


「俺もそう思う」


「けれど……」


「お坊ちゃまは真面目な性格ですから、毎食運ばせるのも悪いとお思いになっていることでしょう」


「どうして貴方たちはそんなに呑気なのよ……」


 ルイの言葉は正しかったのである。籠城二日目の朝、彼が扉を叩くと返事があった。


「ルイ? 入って……」


 内側から鍵を開ける音がし、扉が開かれた。朝食の盆を持ったルイは散らかり放題のルイ=ダニエルの部屋を見て、既視感を覚えた。昔、ベンジャミンが手も付けられなかった十代の頃、こんな状態の部屋を良く片付けさせられたものだった。思わず微笑んでしまう。


「何がそんなに可笑しい?」


「いえ、可笑しくはありません。懐かしく思っただけです。御父上も十五、六の歳にはかなり荒れておいでで、私は良く尻拭いをしていたのです。部屋の散らかし具合は御父上の方がかなり上手うわてでいらっしゃいました」


「ルイ、お前はそんな使用人の地位に不満があったのだろう? 平民との血が混ざっているとは言え、ポワリエ家の直系だからって、主家の夫人を寝取ってまで自分の子供に侯爵家の位を継がせたかった? 母上も母上だよ、金と地位に目がくらんで……僕を次期侯爵に仕立て上げるだなんて、親のエゴだ、王国や世間に対して欺いて!」


 ルイ=ダニエルは涙ながらにルイ相手に訴えた。


「何からお話ししましょうか、お坊ちゃま。とりあえずこちらにお座りになって下さい。お腹もお空きでしょう」


 ルイ=ダニエルの前に朝食の盆を置き、ルイは向かいに座った。


「私の母ダニエルは私が九つの時に流行り病で亡くなりました。最期まで愚痴も泣き言も言いませんでした。私のことを認知しようとしなかったポワリエ侯爵に対する恨み言などもです。ただ私を一人残していくことを許してくれと寂しそうに謝るだけでした。母が私に謝罪する必要なんてないというのにですよ」


 水を一杯飲んだだけで、ルイ=ダニエルは朝食には手をつけようともしない。


「僕のお祖母さまの名前がダニエルだったのか……」


「はい。母にはもっと生きていて欲しかったのです……育ての父サミュエル・ロベルジュには感謝してもしきれません。他の男の子供を身籠っていた母と結婚し、生まれた私を実の息子のように育ててくれました。生涯私が父と呼ぶのは彼一人です」


「サミュエル……」


「はい。母はポワリエ家を去る時にポワリエ前侯爵に言ったそうです。お腹の子が男の子だったらルイ、女の子だったらアレクサンドラと名付けると。神に誓ってこの子はポワリエ侯爵の子であると。お金の問題ではなくて、何か一つでも親らしいことをして欲しいのです、と」


 ルイ=ダニエルは自分達三人の名前の由来をこの時初めて知った。


「血を吐きながら惨めな一生を終えた母を看取って私は誓ったのです。ポワリエ前侯爵は母の葬儀にも花ひとつ送って寄こしませんでした。私は母をこんな目に遭わせた人物を決して許さないと。もし将来自分に娘が出来たら絶対に母のような道を歩ませないとも」


「ルイは復讐のために僕を産ませたの?」


「それは違います。しかし侯爵位は貴方の当然の権利だと思いませんか? 私自身はポワリエ姓を名乗って爵位を継ぎたかったわけでもないのです。ただ母に少しばかりの敬意を払ってほしかったのです。私の育ての父親に対してもです。母は一人で私を産んで育てる決意をして、侯爵には何も求めませんでした」


「ごめんなさい、ルイ。ぼ、僕は……貴方のことやお祖母さまのことを誤解していた」


「いいのです。ポワリエ前侯爵にも色々事情があったと後に知りました。前侯爵夫人は長いこと気の病を患っておいでだったのです。彼女が屋敷で実権も財布の紐も握っていたそうなのです。だからと言って私たちに対する仕打ちが許せるわけではありませんけれどもね」


 ルイ=ダニエルはまだ涙を流していたが、その涙の意味は少し違うものになっていた。


「私達がお坊ちゃまに真実を告白しても中々分かってもらえないだろうとは三人で常々言っておりました。私達の勝手でお坊ちゃまを悩ませているのは本当です。貴方のご意見もごもっともです」


「じゃあ何? 母上は父上とルイと二股掛けているのに三人そんなに仲がいいの?」


「御両親は書類上の夫婦なだけで、本当の意味では夫婦ではありません。お二人とも私のとても大事な人です。貴方の母上と結婚は叶いませんでしたが……生涯ただ一人の女性として愛しています。素晴らしい子供を三人も授かって私は幸せ者です」


「父上はそれでいいの? こんないびつな関係を良く我慢しているね」


「そもそも最初は全て御父上が言い出したことなのですよ。まあ、貴方はまだまだ若いから大人の汚い思惑などはあまりお知りになりたくないかもしれませんが……」


「父上が偽装結婚をしようと言い出したの?」


「はい。貴方の御両親にはそれぞれのお考えがあります。ご本人達に直接お尋ねした方がよろしいかと思います」


「一昨日大喧嘩して飛び出してきたから……ちょっと気まずいというか……」


「それは仕方ありませんね。ご両親も、まだお若いお坊ちゃまの双肩には重すぎる荷かもしれないと、申し訳なくお思いなのは確かです」


「僕は……生まれた時から次期侯爵として何不自由なく育てられた。恵まれていると思う……」


「それが分かっておいでなら貴方はもう立派な大人ですよ。お子様達全員にいずれは真実を話すと決めていたのは御両親の方です。貴方がたにも知る権利があるとおっしゃいました。それに私にも自分が父親であると名乗る権利があると……私は、私の血を引いた子供達の健やかな成長を側で見守ることが出来ればそれで良かったのです」


「昨晩からずっと、色々考えたり、小さい時のことを思い出したりしていたよ、ルイ。父上は僕達を自分自身の子供として育ててくれたけれど、ルイだって僕達の側にいつも居てくれた。一緒に遊んでくれて、勉強も剣も教えてくれた」


「それが私の最大の幸福であり喜びですから」


 ルイ=ダニエルの涙は益々溢れ出していた。




***ひとこと***

ルイ=ダニエル君が本当の父親ルイと話し合うこの場面、私の好きな場面の一つです。

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