三人の邂逅

第一話 出会いの仮面舞踏会

― 王国歴1049年 秋 


― サンレオナール王都 マダム・ラフラムの屋敷




「あぁ、今夜もつまらないわ……もう帰ろうかしら……」


 そう呟くソニアは大広間の隅に居る二人の男性に目が留まった。


「あの彼は……先程踊っていた人ね」


 その彼は濃い茶色の礼服に、同じ色の仮面を付けている。彼の髪の毛は服よりも少し明るめの茶色だった。


「ここからでは良く見えないわ」


 ソニアは自分の瞳の色が分からないように、色硝子付きの仮面をし、しかもベールを被っての出席だった。視界が限られるのはしょうがないと諦めていた。


 ソニアの見事な長い黒髪は割と珍しく、このような場所で目立たないような例えば茶色に染めるのも手間が掛かる。この仮面舞踏会のためだけにわざわざ髪が痛むようなことをしなくてもいいとソニアは思っており、毎回頬と鼻まである仮面とまとめた髪をすっぽりと覆うベールを着用しての出席だった。


 彼女の瞳は緑がかった薄い茶色で、これもまた珍しい。こんな怪しげな会に単身乗り込んできているソニアも、一応伯爵令嬢であり、母親は侯爵家の出身である。彼女が持って生まれた魔力は間違いなく母方の血を引き継いだものだった。


 ソニアはぼんやりとその二人の男性を見ながら再び独り言をつぶやいた。


「あの茶色の礼服の彼はダンスの動きが優雅だったからポイント高かったのになぁ……連れの方と離れたら私から話しかけてみようかしら……」


 彼の隣は全身黒ずくめで背の高い男だった。茶色の礼服よりも頭半分背が高い。


 その時、黒服の方が仮面越しにちらりとソニアに視線を向けた。それと同時に何とも言えない、背筋がぞっとするような感覚に彼女は襲われた。


「何、今の……寒気がしたわ……」


 その奇妙な感じはこれが初めてではなかった。既視感ではないが、今までに何回か味わったことのある不思議な感覚だというのに、以前どこでいつ感じたのか覚えがなかった。


「何よ、この体感……一度経験したら忘れられるものではないのに……思い出せないわ……私、どうかしてしまったのかしら。疲れているのね、風邪を引いたのかも。もう帰りましょう。今晩は何の収穫もなし、と……あの茶色の礼服の男性は少し残念だけれども」




 ソニアが見ていた二人の男性のうち、黒ずくめの方もソニアに目を留めていた。


「あそこに居る、クリーム色のドレスの女……もしかして……」


「何を、あの女性に興味を示されているのですか?」


「いやね、あの女の子、多分俺の知り合い」


「へぇ、貴方がご存知ということは……ベールで良く見えませんが、悪くないですね。好みの部類です。声を掛けてもよろしいですか?」


「マジで?」


「ええ、貴方が反対なされないのでしたら」


「いや、そりゃしないけれど……」


「ではまた後で」




 ソニアは手にしていた飲みかけのシャンパンのグラスを側の卓上へ置き、上着を取りに玄関広間へ向かった。そこへ横から声を掛けられる。


「黒髪の美しいお嬢さん、私と一曲踊ってくださいますか?」


 何とそれはソニアが先程見ていた茶色の礼服の男性だった。彼女は彼の仮面の奥にある瞳を確かめようとした。色硝子越しではっきりとは認識できないが、薄茶色に見えた。その瞳を見る限りは誠実そうな若い男性という印象だった。


(何のいわくもない誠実な人がこんな会に来ているわけないわよね……自分のことは棚に上げて勝手な言いぐさだけれども……)


「そうですね。私、もう帰ろうと思っていたのですけれど、貴方のような素敵な男性に誘われたら断るわけにはいきませんわ。光栄です。一曲だけご一緒させて下さい」


「光栄なのは私の方ですよ」


「仮面とベールがあるのにどうして私が黒髪で美しいと断言できるのです?」


「違うのですか? 後れ毛が少し見えますから」


「確かに髪は黒ですわね。美しいかどうかは……好みによると思います」


「何となく分かるのです。貴女こそ、私が素敵な男性だとおっしゃいましたが?」


「そうですわね。ただ、貴方が先程踊っていたのを見ていたのです。とても優雅にダンスをされる方だから……」


 にっこりと笑ったその男性の差し出した手を取り、ソニアは彼と広間の中央に向かった。


 そして二人で曲に乗って踊り始めると彼のつけている香水の香りがソニアの鼻をくすぐった。強すぎず、弱すぎず、その香りはソニアの欲望に小さな火を付けた。


(この香り、好きだわ。フゼア系ね……)


 一曲終わり、男性はソニアの体を離し、片手は取ったままで頭を下げて挨拶をする。


「私はアレクサンドル、アレックスとお呼び下さい。貴女のお名前も聞かせて下さいますか?」


「アン=ソフィーです」


 この場では誰も本名を名乗らない。


「貴女のような貴婦人にぴったりの美しい名前ですね」


「貴婦人だなんて、とんでもない阿婆擦あばずれかもしれませんわよ。この舞踏会に来ているくらいですもの」


「仮面舞踏会に来ているからと言って貴婦人でないとは限らないでしょう」


「うふふ、お上手ですこと。一緒に踊れて良かったですわ。是非私も貴方にリードしていただきたいと思っていたのです」


「それにしてはもう帰宅されようと玄関広間に向かわれていませんでしたか?」


「それは……貴方が東の小広間前でお連れの方とお話をされていたから……私が帰ってしまう前に声を掛けて下さってありがとうございます。だって私、こんなに軽やかにステップが踏めたのは久しぶりですもの。とても楽しかったですわ」


 ソニアがそっと彼を微笑みながら見上げると、してやったりという表情が読み取れた。


「それではもう一曲続けて踊っていただけますか? 私も貴女をすぐに離したくなくなりました」


「はい、喜んで」


 二曲目を踊り終わった時にはもうソニアの体の奥ではアレックスを求める炎が大きくなっていた。彼の爽やかでいてセクシーな香水のせいだろうと彼女は思っていた。


「何だか貴女を帰したくなくなりました」


「本当にお上手ね。よろしければ庭に出ませんか?」


 ソニアがアレックスを悪戯っぽい目で見上げると、彼の薄茶色の瞳にも欲望の炎が少し読み取れた。


「ふふ、積極的な方ですね」


 その彼も彼女の腰を抱き、彼女をテラスから庭に導いた。


 人の背の高さほどの生け垣で区切られたところどころにベンチが設置されていて、松明の光で優しく照らされている。そのベンチにはどこも先客のカップルがおり、それぞれが体を寄せ合い、口付けたり、抱き合ったりしている。


「座る場所がなければ、あの木の陰に行きましょう」


 アレックスはこんな状況に慣れているようだった。ソニアは彼に連れられて人目につかない大木の後ろに回った。




***ひとこと***

伯爵令嬢ソニアちゃんの大冒険? こんな場に夜な夜な繰り出して悪い子ですね!

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