第九話 初めての顔合わせ

― 王国歴1050年 年初-晩春


― サンレオナール王都




 年が明けて王都の冬は益々厳しさを増していた。ソニアとアレックスは相変わらず月に一、二回マダム・ラフラムの仮面舞踏会で逢瀬を重ねていた。その度にもっと頻繁に彼と会って体を重ねたい、一緒に朝を迎えたいという気持ちが募っていくソニアだった。


「私……アレックスにどんどん溺れてしまっているわ」


 分かってはいた事だが、苦々しく認めないわけにはいかなかった。毎回の舞踏会への参加費に二階の部屋代、出費は結構なものになる。ソニアは経済的には困っていないし、十分な給与も王宮魔術院から支払われているから問題はない。アレックスの経済力を考えているのである。


「月に金貨五、六枚も出せるということは、アレックスはそこそこ裕福なのでしょうね……けれど毎回同じ礼服だわ」


 最近は独り言が多くなったソニアだった。


 ソニアは直感でアレックスは貴族ではないと思っていた。身のこなしや言葉遣いは貴族のそれと変わらないようなのだが、何となくそんな気がしていたのだ。ベンジャミンの知り合いだろうが、どうして二人こんな会に出席しているのかは謎だった。彼は何もかも謎だらけだった。


 ベンジャミンに聞けば教えてくれるのかもしれないが、何となく言い出せなかった。端正で優しそうな顔立ちのアレックスなら、むしろ仮面で隠さない方が遊び相手だったらいくらでも見つかりそうなものだった。


「私、相当の重症ね。もうマダム・ラフラムのところに行くのはやめようかしら……」


 しかし、そんなことを毎回言いながらも行ってしまう。そしてアレックスを会場で見つけると二人で一曲だけ踊った後、上の部屋に直行するのが常だった。真夜中までの短い逢瀬で別れの度にアレックスに聞かれる。


「アン=ソフィー、次回も会えますか?」


 もう来ない、このままずるずると関係を続けられるわけがない、と答えようとしても、アレックスの真剣な眼差しに首を縦に振ってしまうのだった。




 王都にもそろそろ遅い春がやってきたそんなある日、就業中にベンジャミンがソニアを訪ねてきた。彼には時々舞踏会で会っていたソニアだが、最近は舞踏会でも職場でもただ会釈をするだけの仲だった。


「君に話があるのだけど、今晩空いている?」


「はい。終業後に執務室にお邪魔すればよろしいですか?」


「いや、ちょっと個人的で込み入った話だから、それに会わせたい人も居る。街に出て食事でもしながらでどう?」


「分かりました」


(モルターニュさんが私に個人的な話って……何だか嫌な予感しかしないわ)




 そしてソニアは夕方ベンジャミンと馬車で街中に向かっていた。


「どこか食堂に入ってもいいのだけど、静かな場所で話したいから結局部屋を取ったんだ」


 職場の先輩とは言え、男と二人きりで怪しげな店に連れて来られたソニアだった。相手がベンジャミンならば女性としての身の危険はないだろうが、少々軽率だったかと後悔せずにはいられない。


 そこはソニアが想像する連れ込み宿とはかけ離れた立派な場所だった。この手の店としては一流の部類に入るのだろう、建物は頑丈なレンガ造りで、内装は上品な落ち着いた雰囲気だった。


 宿の前には立派な噴水に車付けがあり、正面玄関は少し奥まっているので出入りしている客の姿は通りから全く見えないようになっている。


「私に会わせたい方とはどなたですか?」


 ベンジャミンと一緒に部屋に向かう階段を上りながら聞いた。


「君も知っている人だよ」


 ソニアには大体それが誰なのかどんな話をされるのか予想できていたが口は開かなかった。しかし、未だに彼がわざわざこんな宿にソニアを連れて来ないといけない理由が分からなかった。


 ベンジャミンはある部屋の前で止まり、その扉を軽く叩く。


「はい、どうぞ」


 その声だけでソニアは悪い予感が当たっていたと分かった。


「待たせたね」


「いえ。食事を先程運ばせておきましたよ」


 ベンジャミンにそう言って立ち上がった男性とソニアはしばらく見つめ合っていた。


「じゃあ改めて紹介しよう。こちら仮名アレックス、本名はルイ・ロベルジュ、私の従弟でうちの執事を務めている」


「ルイはもう知っているけれど、アン=ソフィーことソニア・ガドゥリー伯爵令嬢、私の魔術院の後輩だ」


 仮名アレックス改めルイはソニアの前に進み出ると膝を折って彼女の手を取りそこに口付けた。


「ソニア、やっと貴女の本当の名前が呼べるようになりました」


「アレックス……いえ、ルイ。貴方がモルターニュさんとお知り合いでも、お二人がそんなに近い間柄だとは思ってもいなかったわ。私に話というのは……あ、あまり良い知らせではないのでしょう?」


 そこでルイはベンジャミンの方をちらりと見た。覚悟は出来ているつもりのソニアだったが、自分の声が振るえていることにそこで気付く。


「まあ、つっ立っていても何だから……とりあえず上着を脱いで、折角の御馳走が冷めないうちにいただこうよ」


「私、食欲がありませんわ……きっと何も喉を通らないと思います」


 ソニアが自分の帽子と上着を脱ぐとベンジャミンがすぐにそれを受け取り上着掛けに掛けてくれた。


「ではソニア、葡萄酒だけでもお飲みになりますか? それとも水がよろしいでしょうか?」


 ルイが白葡萄酒の瓶を開けている。


「そうね、葡萄酒をいただくわ」


「主菜に合う銘柄を選んでもらいました」


 話の内容は酒が入らないと聞けないものなのでは、という危惧がソニアにはあったのだった。


 ルイが三人分の葡萄酒を注ぎ、ベンジャミンがソニアのために椅子を引いてくれた。男性二人に至れり尽くせりなのには少々意外だった。


「では、三人の正式な初顔合わせに乾杯」


「乾杯」


 ベンジャミンが何故か杯を高く掲げ、ルイもそれに続いた。


「そんなめでたいことでもないでしょうに……」


 ソニアだけは乾杯の音頭に乗らず、そのままグラスに口を付けた。そしてどちらかの男性が話し始めるのを待つ。まず口を開いたのはベンジャミンだった。


「単刀直入に言おうかな。ソニア・ガドゥリー嬢、私と結婚して跡継ぎを産んで欲しい」


 まさか彼から求婚されるとは思ってもいなかったソニアは耳を疑った。


「はい? モルターニュさん、今結婚っておっしゃいました?」


「うん、言ったねぇ。ひざまずいた方が良かったかな。花束も用意しておけば良かったね」


「申し訳ありません。私の手抜かりでした」


 そこでベンジャミンはうやうやしくソニアの前に回って床に膝をつく。


「妻にしたい女性は君以外には居ないんだ、結婚してくれ」


 言われていることはとてつもなくロマンティックである。本当に好きな相手から同じ言葉を聞きたいと切に願ったソニアだった。


「……ああ、分かりましたわ、モルターニュさん。偽装結婚ですね。貴方が本家ポワリエ家の爵位を継ぐためには女性と結婚する必要があるのですね」


 ルイはくすくすと笑っている。


「ルイ、やっぱりだったねぇ」


「そうですね。ソニアみたいな女性だと話が早く進んでいいですね」




***ひとこと***

おおっ、乙女憧れのひざまずいての求婚キターッ!

ん? けれど、あのベンジャミン氏が? 何かが違う……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る