三人の勇断
第二十三話 婚前契約書
早速ベンジャミンはティエリーに文を書き、モルターニュ家に彼を招いた。
「ガニョンさんは来てくれるかしら。まるで飛んで火にいる夏の虫状態じゃないの。貞操の危機を感じているに違いないわ。のこのこと一人で貴方の屋敷になんてやって来ないわよ」
「彼は了承の返事もくれたし、そういうところは律儀だから大丈夫だよ。それに俺が両親と同居していることも知っている」
当日ティエリーを待ち受けていたのはベンジャミンだけでなく、もちろんソニアとルイも居た。
ソニアはティエリーのことを以前から知っていた。彼が魔術塔のベンジャミンに魔法具製作を依頼しに来た時、彼を案内したことも覚えている。何と言っても親友の想い人である。しかし、正式にはこの時が初対面だった。
「ソニア、ルイ、こちらが友人のティエリー・ガニョン君。で、ティエリー、こちらが俺の婚約者、ソニア・ガドゥリー嬢とうちの執事ルイ・ロベルジュ」
「はい? 今こちらの女性のこと婚約者っておっしゃいましたか? だってモルターニュさん……それにしてもいつの間に?」
執事が同席していてしかも紹介までされたことよりも、ベンジャミンの婚約に驚くティエリーである。
ソニアの婚約を聞いて男性は大抵素直に祝ってくれる人が多い。上手い事やったなと嫌味なことを言う輩も時々居た。
ティエリーのような反応を示す人間はまず居なかった。ティエリーはベンジャミンの性的嗜好を知っているからである。
「王宮舞踏会の後すぐに婚約成立したけど、知らなかったの?」
「いやだって、そんな噂には疎いものですから……それにしても、モルターニュさん貴方……あ、そう言えば舞踏会で一緒に踊っていらしたのってこちらのガドゥリー嬢ですか?」
「うん、御明察。君にも目撃されていたか」
「けれど何でまた……」
「誰が説明する? ソニア?」
「ガニョンさん、ベンと婚約、結婚するということがどういうことか、私も承知の上です。今日貴方をこちらにお呼びしたのは、婚前契約書を書いて頂きたいからなのです」
ソニアは三人の関係と結婚について一通り説明した。時々ベンジャミンとルイが口を挟む。それを聞いていたティエリーは頭を抱えている。
「どうして私をこんな厄介事に巻き込むのですか? モルターニュさん、貴方が誰と偽装結婚しようが私は知ったことではありません。私までいざこざに巻き込まないでくださいよ」
「いや、いざこざじゃないし。だから揉める前に法に詳しい君の助けを借りて契約書を作成したいからこうして呼んだのだけどねぇ。君以外に適任者が見当たらないからだよ。ティエリー君、よろしくね。頼りにしているよ」
「他を当たって下さいよ。私は失礼させて頂きます。この話は聞かなかったことにして誰にも口外致しませんから」
ティエリーは立ち上がって出て行こうとする。
「ところでティエリー、あの魔法の笛だけど、愛しのカトリーヌさんはあれを使う機会はあったのかな? 使わないに越したことないよねぇ。それにソニアは彼女の学院時代からの親友だよ。知っていた?」
にこやかな笑顔のベンジャミンだが、魔笛作製の恩を着せての脅しである。ティエリーは立ち止まって振り返り、目を見開いて言葉に詰まっている。
「……そ、それは……ところで、カトリーヌが学院時代お世話になっていた親友とは本当に貴女なのですか?」
ソニアはどうしてティエリーがそこまで知っているのか不思議だった。確かに学生時代に下宿に居辛かったカトリーヌをソニアは時々
「私の方がお世話したというよりも、お互いさまですわ。私もカトリーヌには大変お世話になったのです。彼女に励まされて、そのお陰で魔術師になれたと言っても過言ではありません。その頃からカトリーヌとはずっと大の仲良しです」
「……わ、分かりましたよ。書類作ればいいのでしょ」
ティエリーは観念してベンジャミンとソニアの向かいに再び座った。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
そして婚前契約書と生前遺書の作成について数時間の話し合いが続いた。ルイは流石に執事としての仕事もあるのですぐに抜けた。
あまりに長時間に渡って客間に籠っているので遂にベンジャミンの母親が心配して顔を覗かせる。
「ベン、そろそろ夕食の時間ですよ。お客さまもソニアも良かったらご一緒にどうぞ」
「ああ、もうそんな時間でしたか。ついつい昔話に花が咲いてしまったのですよ。ティエリーもソニアも食事していくよね」
「ええ、お言葉に甘えていただきますわ」
「では私も」
ティエリーももう観念したらしい。夕食後、ベンジャミンの両親は自室に引き取り、ベンジャミンも一旦退席し、ティエリーとソニアは居間でしばらく二人きりになった。
「親友である貴女が幸せな結婚生活を送れなかったら……カトリーヌはひどく心を痛めるでしょうね」
「ああ、そうですわね。ガニョンさんはカトリーヌのために私の心配をして下さっているのね。確かに私たちは普通の男女が築く夫婦という関係にはなりませんわ。けれど、だからと言って私たちが幸せになれないとは限りませんよ」
「強がっているわけでもないよね」
「それは違います。けれど、まだ私カトリーヌにはモルターニュさんと普通に婚約したことしか報告していないのです。彼女には何もおっしゃらないでくださいますか?」
「うん、それは分かっているし、そもそも俺とカトリーヌはただの同僚でそこまで親しくない。実は名前で呼び合う仲でもない。未だにクロトーさんガニョンさんと呼び合っている」
「舞踏会ではお二人とてもお似合いでしたのに……」
「フラれて同じ職場でぎくしゃくするのが怖くて何も言い出せなくて……笑いたかったら笑ってもいいよ」
「そうだったのですか。私、職場恋愛の経験がありませんから、良く分かりませんわ」
「婚約者は職場の先輩なのに?」
「あ、そうでした。うふふ……」
「何を二人でそんなに楽しそうに話しているの?」
ベンジャミンとルイが居間に入ってきた。
「職場恋愛で結婚するのも悪くないという話よ」
「何だよ、それ?」
「モルターニュさん、そろそろ私は失礼します。書類を作成したらまたご連絡しますから。この年末くらいになってもよろしいですか?」
「うん、よろしくね、ティエリー。頼りにしているよ」
「突然こんな話を持ちかけて申し訳ありません」
「お手数をおかけします、ガニョン様」
「……まあお気持ちは私も分かりますから。貴方達が選んだ道に対してどうこう言うつもりはありません。モルターニュさんだって幸せになる権利も、結婚して侯爵家を継ぐ権利、もしくは責任もあるのですからね」
ティエリーはベンジャミンが渡そうとした書類作成の謝礼を断った。
「書類は私からの結婚祝いとして受け取って下さい。こんなことでお礼を得るなんて私の主義に反しますから。ああ、今日は貴方達三人のお陰でどっと疲れましたよ」
ソニアはもう何も口に出さなかったがカトリーヌとティエリーの恋愛が成就するように切に願っていた。
「良い人ですね、ガニョン様は」
「ええ。早くカトリーヌと両想いになって欲しいわ。あ、もうずっと両想いだったのでした!」
「ムッツリスケベっぽい彼だからさ、我慢しすぎるのも良くないのに……いざと言う時はヘタレなんだよなぁ」
「何よベン、その分かったような言い方。大きなお世話でしょ」
そう言うソニアだったがベンジャミンの言葉も一理あると思わずにはいられなかった。
***ひとこと***
ティエリーさんも早くカトリーヌに告白すればいいのに、全く! ソニアとベンジャミンに好き勝手なことを言われています。
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