第三十一話 板挟みの新妻
ソニアはビアンカの心遣いに今は感謝していた。
「私もつい三日前にもしや、と思い始めたばかりだったのです」
「南部への遠征のこと、悩んでいらっしゃるのでしょう?」
「やはり私の心を読んでおられるのではないですか……」
「魔術を使わなくてもソニアさんの事情を知っていますから、懸念は分かりますわよ。それに貴女のお子さまもお母さまが悩んでいるって心配されているのです」
「お腹の赤ちゃんはまだまだ小さいのに、ビアンカさまはこの子と意思の疎通が出来るのですか?」
ソニアは更に驚き、こんな小さな時から親の都合で心配を掛けていることを我が子に申し訳なく思った。
「そうね、私たち人間が話す言葉は使わないわ。動植物と話す時と同じような感じです」
「とにかく、この子が元気に生まれてくることを祈ります。その為には私は何をすべきか、もう決まっています」
ポワリエ侯爵家に入ったソニアの一番の役目は跡継ぎを産むことである。結婚してすぐに妊娠できたことにただ安堵していた。
「ええ。今回の遠征は魔術師としてとても良い経験になるでしょうけれども……貴女がどれだけその為の準備をされていたかも知っていますし……」
「私に知らせて下ってありがとうございました。母親としての勘で確信はしていたのですが、ビアンカさまに確認していただけて良かったです。今晩こそ主人に話して、明日の朝には遠征出来ないことを総裁に報告します」
「私は総裁以外には他言致しませんから」
「お願いします。本当は主人にあまり早く知らせて……もしものことも考えられますから、ぬか喜びさせたくないのです。それから職場の皆さまに迷惑を掛けることだけは避けたかったのですけれど……」
「代理の魔術師については心配要らないと思いますわ」
「そうでしょうか?」
「だって私がアナさんと一緒に行ってもいいのですしね。南部テリオー領から私の実家、ボション領はすぐですから、遠征の後に休みを取って帰省も出来ます」
「まあ、それは名案ですね……」
ソニアはそう言ったものの、あのクロード総裁が愛妻を二週間もの間、遠征に送り出すわけがないのは分かっていた。
「それに、この遠征への希望者は私だけではないのですよ。ソニアさんがこれ以上気に病む必要はありません」
しかし、出発の一週間前に急に辞退するソニアの後釜に喜んでなろうという人物が他に居るとも思えなかった。
その日ソニアはベンジャミンと帰宅途中に彼に報告したかったが、どうしてもルイにも同時に知らせたかったので
その代わり、ベンジャミンには今晩二人に話があると伝えた。帰宅して、丁度ルイが出迎えてくれたので彼にも伝えた。
「ルイ、貴方に話がありますから夕食後に書斎に来て下さい」
「畏まりました、奥様」
寝室でなく書斎でということはベンジャミンも同席すると暗に言っているのである。
夕食中にはベンジャミンに不審がられていた。
「ソニアは最近どうした? もうすぐ遠征だからってそこまで落ち着かないのか?」
「私にも色々あるのよ、ベン。食事の後にルイも同席させてお話するわ」
夫婦は食事の後にすぐ書斎に移動し、ルイもしばらく後にやって来た。
「失礼します、旦那様、奥様」
「ルイ、そこに座って下さい」
ベンジャミンは執務机の前に座っており、ソニアはルイに向かいの肘掛け椅子を勧めた。
「何をそんなに改まっちゃって、ソニア」
ベンジャミンがそう言うのも無理はない。ルイは座る前にソニアの唇に軽く口付けるも、彼女の表情は固いままだった。ソニアは長椅子に腰をかけて口を開く。
「二人に報告があります。私、子が出来ました」
「おめでとう、奥さん。多分そうだろうと思っていたよ。君は二、三日前からお酒を飲むのを止めていたよね」
「本当ですか、ソニア。最近顔色が良くありませんでしたけれど……まだ日が浅いのに妊娠は確定なのですか?」
「おいおい、ルイ。お前日数を数えているのか?」
「勿論ですよ。ソニアが妊娠しやすい週からまだ三週間少ししか経っていませんよ」
「流石に敏腕執事のルイさんはやたら細かいわね。今日魔術院でビアンカさまが断言して下さったわ。お腹に小さい存在が宿っているって。私が自分で気付く前に遠征に行ってしまってはと思われた彼女が教えて下さったのよ」
「ああ、ビアンカ様は特殊な能力があるからね」
「あの、まだ実感が湧かないのですが……嬉しいです。ソニア、抱きしめてキスしてもいいですか?」
「ええ」
ルイはソニアの隣に座って彼女に口付ける。
「おめでとうございます」
「貴方たちに報告したから、早速明日の朝一番に南部への遠征を辞退します」
「君が元気がなかったのは、そのためだったのか。けれど、無理をしなければ遠征にも行けるのじゃないか?」
「長い馬車旅に、向こうでの勤務も毎日長距離の移動があります。今は私、魔術師の仕事よりも、ポワリエ侯爵夫人として何が一番大切なのかは明白よ」
「私もソニアの決断が正しいと思います」
「確かにそうだね。ソニア、楽しみにしていた遠征は残念だけども、魔獣よりも君の子供の方が大事だ」
「私たち三人の子供よ。ベンにお願いがあるの。私の代わりに遠征に行って下さらない? 直前に辞退して周りに迷惑を掛けたくないの」
「冗談言うなよ、ソニア。俺が身重の妻を置いて二週間も留守に出来るわけがないだろ?」
「妻を置いて行けないと言うのはただの建前でしょう? 本当は私とルイが二人王都に残って自分一人が遠征するのが嫌なのよね」
「うん、その両方。君が仕事に対して無責任ないい加減な態度で臨みたくないのは分かるけれども」
「私、辞退は一身上の理由ということにするし、まだ早期過ぎるから今のところは貴方たち二人以外に妊娠を告げるつもりはないのよ……そうしたら周りにはどうして急に辞退するのだ、って責められるかも」
「いくらなんでもそれはないでしょう。ソニア、妻である貴女の側に居たいというベンの気持ちも汲んであげて下さい」
「大丈夫、代理はすぐに見つかるから。心配事ばかりだと体に良くないよ、ソニア」
「だって、ビアンカさまは私の代わりに行きたいとおっしゃいましたけれど、総裁さまがお許しになるはずがありません」
「ビアンカ様ではなくて別の魔術師でどうしても行きたがっているのが一名居るらしい。明日の朝一緒に総裁に辞退の報告に行くよ、俺が代わりに行かないのはもう決定だからね」
「ベン……」
「ソニア、今晩はなるべく早く貴女のお部屋に参ります」
「ルイ、でも私今晩も……その気になれないのよ。貴方に申し訳ないわ」
「ちょっとそういう話し合いは二人きりの時にしてよね。今日はソニアの当番なのだから、ヤるヤらないは関係なくルイは君の寝室に行くの。ハイ、話し合いはこれでおしまい。お休み、二人共」
ベンジャミンはさっさと書斎から出て行ってしまう。
「ソニア、ベンのおっしゃる通りですよ。ではまた後で」
ルイはソニアを軽く抱きしめて額に口付けて、ソニアに手を差し出して彼女を立たせる。
「貴方がそう言うなら……また一昨日みたいに後ろから抱きしめて一緒に寝てくれる?」
「もちろんですよ」
***ひとこと***
こうしてこの時期にソニアが妊娠したことで前作「愛の炎」の物語も動き出すのですね。
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